ABARTH DAYS 2020を彩ったクラシケモデル PART. 3

ABARTH DAYS 2020内の「アバルト ミュージアム」を彩ったクラシック・アバルトを3回に分けて紹介するシリーズの最終章。クラブ・アバルト・ジアッポネのメンバーが所有する、アバルトの歴史を後世に伝える名車たちを紹介する。

1970年/1969年フィアット・アバルト1000TCR

アバルトのツーリングカー・レース用マシンの代表格といえるのが、実用車のフィアット600をベースとしたベルリーナ・コルサ。そのなかでも究極の存在が、フィアット・アバルト1000TCRこと「1000ベルリーナ・コルサ・グループ2」である。


1970年フィアット・アバルト1000TCR

1970年1月にアバルトは、CSI(国際スポーツ委員会)の新しい車両規定に適応させながらより高性能化した、「テスタ・ラディアーレ=半球型燃焼室シリンダーヘッド」を備えた最強バージョン、1000ベルリーナ・コルサ・グループ2仕様を発表する。一般的には1000TCに「ラディアーレ」のイニシャルとなるRを加えた1000TCRと呼ばれることが多い。


半開きにされたエンジンフードとメガホンタイプのテールパイプが、1000TCRの卓越したパフォーマンスを主張する。

1000TCRは、フィアット600をベースとしたコンペティションモデルの最終進化型だけに、そのルックスも強烈だった。フロントに備わる巨大なラジエターと太いタイヤを収めるために大きく張り出したリアフェンダー、水平まで開いたエンジンフード、太いエキゾーストパイプ、スポイラー下にのぞくアルミ製のオイルサンプがパフォーマンスの高さを物語っている。

このほかプレクシグラス(アクリル)製のサイド/リアウインドウを始めとする軽量化が推し進められ、一段と戦闘力を高めていた。


ドライバーの正面にはアバルトを象徴するレブカウンターを中心とするメーターナセルが配される。

排気量982ccのOHV直列4気筒エンジンは圧縮比を13:1まで高めると共に、「テスタ・ラディアーレ」に2基のツインチョーク・ウェーバー40DCOE2を組み合わせることにより最大出力は112hpを発揮し、最高速度は215km/hにも達した。


エンジンはOHVながらラディアーレヘッドを採用したことにより、最大出力は112hpを発揮。最高速度は215km/に達した。

これらの改良により高い戦闘力を備えた1000TCRは、1970年のイタリアとヨーロッパ・ツーリングカー選手権の1000ccクラスで王座を勝ち取っている。


1969年フィアット・アバルト1000TCR

このようにフィアット・アバルト1000TCRは卓越したパフォーマンスとレーシングヒストリーからアバルトのツーリングカーの頂点と位置付けられ、今も世界中のアバルト愛好家の間で“究極の1台”として支持され続けている。


こちらは1969年の仕様変更でアップグレード化された個体で、細部は微妙に異なる。

今回の「アバルト ミュージアム」には2台のフィアット・アバルト1000TCRが展示された。グレーにレッドストライプの1970年モデルは過去のABARETH DAYSでもおなじみの1台で、これまで目にされた方も多いことだろう。もう1台のグレーにブルーストライプのモデルは1969年にアップグレードが施された個体で、細部のデザインが微妙に異なっているのが確認できる。

1974年フィアット・アバルト124ラリー

1970年代に入りフィアットはプロモーションの一環として、国際ラリーに挑むことを決定する。そこで競技車のベースに選ばれたのは、当時のラインナップのなかで軽量コンパクトだったフィアット124スポルト・スパイダーだった。ラリーマシンの製作は長年にわたるレーシングマシンの開発実積からアバルトに任された。


1974年フィアット・アバルト124ラリー

当時の車両規定では認証を得た後に基本部分を変更することはできないため、市販段階で必要なものを組み込んでおく必要があった。そこでアバルトは実戦での様々な路面状況に対応できるようにサスペンションを一新。フロントは基本構成をそのままにラジアス・ロッドを追加。リアについてはリジッドアクスルだったものを、逆Aアームとマクファーソン・ストラットにパナール・ロッドを組み合わせ、調整範囲を拡大した独立懸架方式という、まったくの別物とされた。


インテリアは基本的にはフィアット124スポルト・スパイダーと共通だが、展示車は現役の競技車であるため、当時の実戦マシンに準じたモディファイが施されている。

ボディ関係では軽量化のためにバンパーを外し、エンジンフード、トランクリッドはFRP(ファイバーグラス)製とされ、ドアパネルはアルミ製を採用。ハードトップもFRP製で、リアウインドウはアクリル製にし、市販モデルでフィアット124スポルト・スパイダーに比べ25kgも軽い938 kgまで軽減している。

エンジンはフィアット124スポルト・スパイダーに搭載されている排気量1,756 ccのDOHC直列4気筒を基に、市販モデルはウェーバー44 IDFとアバルト特製のエキゾーストシステムを組み込み128 HP/6200 rpmを発生。ラリー仕様では175HPにまで高められた。


エンジンは排気量1,756 ccのDOHC直列4気筒をチューニングし、市販モデルは128 HP/6200 rpmを発揮した。

こうして誕生したフィアット・アバルト124ラリーは、すぐさま実戦に投入される。世界ラリー選手権(WRC)を始めヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)やヨーロッパ各国の国内戦で高い戦闘力を発揮し、様々なラリーで常に上位に食い込む活躍を見せた。


バンパーを取り外しオーバーフェンダーで武装した姿は、闘うマシンであることを主張する。

アバルト ミュージアムに展示されたフィアット・アバルト124ラリーは、古くから日本に棲む1台である。アバルトの闘う精神を受け継ぐオーナーの元で、現在もヒストリックカーのレースやタイムトライアルに参加している現役の競技車だ。

1980年フィアット131アバルト・ラリー

1970年代中頃、ラリー界を席巻していたのはフィアット・グループ内のランチア・ストラトスだった。しかしフィアットの首脳陣は、市販車との関連性が薄いランチア・ストラトスに代え、量産モデルのラリーカーで参戦する方針に舵を切る。そこで当時フィアットを代表する「フィアット131」をベースにしたラリー用マシンの開発がアバルトに任された。


1980年フィアット131アバルト・ラリー

前述のように競技用車両は、実戦に必要な基本コンポーネントをベース車両の段階から備えておく必要があった。131アバルト・ラリーは、太いタイヤを収めるためにオーバーフェンダーを装着。さらにバンパーを廃してフロントスカートはエアダム形状に。ルーフ後端にはスポイラーが追加され、トランクリッドにはダックテール型のスポイラーを備える。

エンジンはDOHC直列4気筒1995ccユニットを4バルブ化して搭載。市販モデルの最高出力は140HPだが、ラリー仕様は215HPをマーク。最終的には230HPを発生した。


DOHC直列4気筒1995ccユニットの最高出力は市販モデルでは140HPだったが、ラリー仕様は215HPにまで高められた。

フロントサスペンションは基本構成こそ変わらないが細部にまで手が加えられ、リアサスペンションは鋼管で組んだセミトレーリング式に変更。ボディは軽量化のためエンジンフード、フェンダー、トランクリッドをFRP製とし、市販モデルで980kgまで軽量化された。

こうして「フィアット 131アバルト・ラリー」は1976年に誕生し、当時の車両規定でグループ4の認証に必要な400台が製作された。


ロードカーのダッシュボードは、ベースとなったフィアット131を踏襲する。

ワークスカーは、当初ダークブルーとイエローのオーリオ・フィアットカラーで、1976年第6戦モロッコ・ラリーでデビューするが、熟成途上のため12位に留まる。続く第7戦の1000湖ラリーで初優勝を果たし、栄光の記録がここから始まった。

1977年からワークスカーはアリタリア航空カラーに変わり、5戦を制して同年のWRC王座を勝ち取る。1978年には6戦を制して2年連続のチャンピオンを獲得。1979年は低調に終わったが1980年は盛り返してフィアットに3度目のチャンピオンをもたらした。


展示されたフィアット131アバルト・ラリーは1980年のワークスカーに施されたカラーリングで、ポルトガル・ラリーに参戦したベッテガ車を再現したもの。

1970年代のアバルトを象徴するラリーマシンとして、今も愛好家の間で高い人気を誇る。アバルト ミュージアムに展示されたフィアット131アバルト・ラリーは、1980年のワークスカー、アッティリオ・ベッテガ車を再現したもの。

1982年ランチア・ラリー

1982年に競技用車両のクラス分けが簡略化され、ラリーカーの主流だったグループ4はグループBに移行し、義務生産台数が400台から200台に引き下げられ、メーカーにとっては専用モデルの製作がしやすくなった。


1982年ランチア・ラリー

フィアットは、アバルトにグループBラリーカーの開発を託す。今回はランチア・ブランドをプロモーションするため、既にノウハウの蓄積があるランチア・ベータ・モンテカルロをベースに製作された。こうして新型ラリーマシンには、アバルトの開発コード名である「SE037」が付され、義務生産台数の200台+αが製作されることとなった。


ロードカーのインパネは競技用ベースモデルとは思えぬ豪華な設えだった。

開発にはジャンパオロ・ダラーラの協力を得て、ランチア・ベータ・モンテカルロのセンター・モノコックの前後に鋼管スペースフレームを追加。サスペンションは前後共ダブルウィッシュボーンだが、ピロボールを採用したレーシングマシンそのものだった。

エンジンはフィアット 131 アバルト・ラリーで熟成された2リッター直列4気筒DOHCユニットに、スーパーチャージャーを組み合わせミッドに搭載された。最高出力はロードカーで205bhpだったが、ラリー用は325bhpを発生した。


ミッドに搭載された2リッター直列4気筒DOHCエンジンはスーパーチャージャーが組み合わされ、最高出力はロードカーでは205bhpを発揮した。

コードネーム「SE037」は当初ランチア・アバルト・ラリーの予定だった。1982年に発表された時はランチア・ラリーとなり、アバルトの名は消えてしまう。しかしアバルト・スタッフの意地から、車体の各所にはアバルトのエンブレムや文字が数多く確認できる。

1982年の途中から実戦で熟成を進め、1983年はWRC開幕戦のモンテカルロ・ラリーを皮切りにターマックラリーで本領を発揮し、この年の王座を勝ち取る。またヨーロッパ・ラリー選手権でも1983年から1985年まで3年連続でチャンピオンを獲得した。


ピニンファリーナの手による流麗なスタイリングは、最も美しいラリーカーと称された。

しかし先鋭化したグループBラリーカーは、確実なトラクションを得るため4輪駆動化が必須となる。アバルトは参戦車両を4輪駆動のランチア・デルタS4にスイッチし、ランチア・ラリーは第一線から退くこととなった。しかし最も美しいラリーカーとして今でも語り継がれている。

「アバルト ミュージアム」に展示されたランチア・ラリーは市販されたロードカーで、オリジナルの優美な姿を完璧に保っていた。

ABARTH DAYS 2020を彩ったクラシケモデル PART.1
ABARTH DAYS 2020を彩ったクラシケモデル PART.2

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