アバルトエピソード集:なぜアバルトは“小さな巨人”であり続けるのか

 
アバルトはなぜ“小さなクルマ”を作り続けるのか。その問いに答えるために、創始者カルロ・アバルトの哲学、フィアットとの関係、そして最新モデルに受け継がれるスピリットまで、多彩な物語を集めた。小さくても強く、誰よりも熱く。アバルトというブランドを形作ってきた、知られざるエピソード集をお届けする。
 
なぜアバルトは“小さなクルマ”を作り続けるのか
 
アバルトが送り出すクルマには、小さなモデルが多い。とはいえ、コンパクトカーだけを作ってきたわけではなく、美しいクーペや「フィアット・アバルト2400 クーペ アレマーノ」のような豪華なグランツーリズモも生み出している。ただ、やはりアバルトの得意分野といえばコンパクトモデルだ。その理由のひとつは、アバルトがイタリアで人気の高いフィアット車をベースにすることが多く、そのフィアット車にコンパクトカーが多かったことが挙げられる。
 

往年の595と現代の「595」(左)。アバルトが1961年に登場させたフィアット・アバルト2400クーペ アレマーノ。
 
もうひとつの理由は、創始者カルロ・アバルトのレースへの情熱にある。彼はツーリングカーレースやスポーツカーレースに参戦しており、そこで培った経験が小さくて速いクルマ作りに活かされた。レースでは排気量ごとにクラス分けされるため、アバルトは小排気量クラスで勝利を収めると、次にひとつ上のカテゴリーにステップアップするという挑戦を繰り返した。その結果、小さいながらも高性能なクルマが数多く生まれることとなった。さらに何よりも、カルロ・アバルト自身が根っからのエンスージアストであり、おとなしいベース車をチューニングによって速いクルマに仕立て上げ、格上のライバルを追い抜くことに喜びを感じていたことも大きいだろう。
 

 
こうした背景から、アバルトのクルマは“ピッコロモンスター(小さなモンスター)”や“ジャイアントキラー”と呼ばれるようになった。その精神は、今もなおアバルトのクルマ作りに受け継がれているのだ。
 
フィアットとの深い絆
 
アバルトは、レース活動と並行して市販車向けのチューニングキットを販売することで成功を収めたメーカーだ。なかでも得意としていたのがスポーツエキゾースト(高性能マフラー)。1962年には年間25万7000本を生産し、そのうち65%を輸出していたという記録が残っている。
 
一方、アバルトはレースの分野でも大きな成功を収めたが、その陰にはフィアットとの深い関わりがあった。アバルトは元々フィアット車のチューニングを得意としており、第一号車もフィアット1100がベース。フィアット以外にもシムカやポルシェのチューニングも手掛けたが、やはり数が多いのはフィアット車だ。
 

エキゾーストシステムを手に取るカルロ・アバルト。
 
では、なぜアバルトはこれほど多くのフィアット車をチューニングしてきたのか。それは、1958年にフィアットと結んだ契約が大きく影響している。この契約では、フィアットがアバルトチームの勝利数や記録更新数に応じて報酬を支払うことが取り決められていた。これがきっかけとなり、アバルトは新しいフィアット車が登場すると、それをベースとしたチューニングキットやコンプリートカー、レース車などを製作。そして10の世界記録、133の国際記録、10,000以上のレースでの勝利という伝説的な快進撃を生み出す原動力となった。1971年にアバルトはフィアット傘下に入るが、それ以前から両者の関係は切っても切れないものとなっていたのだ。
 

 
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