1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH|アバルトの歴史を刻んだモデル No.004

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1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH
アウトビアンキA112アバルト

ABARTHの魅力を日本に広めた伝道師

ABA_1210_02アバルトはアウトビアンキA112が持つ潜在能力を認め、1971年にレース用のアウトビアンキA112プロトティーポを完成させる。982ccの排気量から108hpの最高出力をマークした。生産化されることは無く試作車だけに終わってしまう。

今でこそメジャーなブランドとなったABARTHだが、1960年代の日本では極一部の先進的なクルマ好きのみが知るクルマで、当時は数台が日本に輸入されるに留まっている。このように本物を知る愛好家だけが知る存在だったABARTHだが、その名を日本に広く知らしめたのが『1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH(アウトビアンキA112アバルト)』なのである。

全長3230mmとコンパクトな3ドア・ハッチバックのボディは、決して格好良いスタイルとは言えないが、本物だけが持つ独特の存在感を放っていた。ひとたびステアリングを握ればABARTHの名に相応しい排気量を超えたパワーと、長年のレースで磨かれた技術で仕立てられた足回りにより、痛快かつ俊敏な走りに誰もが魅了されてしまう。ヨーロッパで発売されるや否や人気を集めた『1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH』は、日本で販売されるとすぐさま人気モデルとなったのは言うまでもない。

ABA_1210_03その後アウトビアンキA112にスポーツ・モデルが設定されることになり、アバルトが開発を担当した。1971年にデビューしたアウトビアンキA112アバルトは、982ccから58hpを発揮し、たちまち走りを愛するファンから支持された。

ベースとなった『AUTOBIANCHI A112(アウトビアンキA112)』は、『FIAT 850(フィアット850)』の後継モデルとなる『FIAT 127(フィアット127)』の先行開発モデルとして1969年にデビュー。このアウトビアンキというブランドは、FIATグループの中にあって先進技術を率先して採用し、アウトビアンキ・プリムラでは前輪駆動を初めて採用したことで知られている。

アバルトは『AUTOBIANCHI A112』が持つポテンシャルの高さを見抜き、レーシング・モデルとして1970年に『AUTOBIANCHI A112』プロトティーポを製作する。このモデルはオーバーフェンダーを備えるスタイリングからお分かりのように、レース用として開発されたもので、1000TCRで定評のある半球型燃焼室を持つラディアーレ・シリンダーヘッドを組み込み、982ccの排気量から108HPを叩き出し、最高速度208km/hという優れたパフォーマンスを発揮した。しかし最大のスポンサーであるFIATは、このプロトティーポの量産化を認めず、試作車のみで終わることになってしまった。

ABA_1210_041974年になると排気量を1050ccまで拡大して最高出力は70hpまで高められ最高速度は160km/hをマークした。写真の1979年モデルから5段トランスミッションが採用され、このタイプから日本で正式に販売された。

しかし1971年になるとABARTH社がFIATに吸収され、新体制になっての初仕事が『AUTOBIANCHI A112』のスポーツ・モデルの開発だった。こうして正式にABARTHの名が与えられた『1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH』が1971年にデビューする。エンジンはFIATでおなじみの水冷OHV直列4気筒982ccユニットをベースに、ABARTH定番のチューニングにより58HPを発揮し、150km/hの最高速度を誇った。

1974年に登場したシリーズ3になると排気量を1050ccまで拡大し、よりチューニングを高めることにより最高出力は70HPまでアップし、最高速度は160km/hに達した。当初は4速のトランスミッションが備わっていたが、1979年に登場したシリーズ5から5速トランスミッションが採用され、より走りのパフォーマンスを高めた。1983年モデルから大型バンパーを備えるシリーズ6となり、1984年には最後のフェイスリフトが行われシリーズ7となる。フロント・バンパーにドライビング・ランプが組み込まれ、リヤ・ガーニッシュにABARTHのロゴ入りリフレクターが採用された。

ABA_1210_051984年のマイナーチェンジで最終型となるシリーズ7となる。フロント・バンパーにドライビング・ランプが組み込まれ、リヤ・ガーニッシュにアバルトのロゴ入りリフレクターが採用されたが、性能的には変わらなかった。

しかし1980年代になるとクルマに求められる装備が高級化し、誕生から16年が経過した『AUTOBIANCHI A112』は、もはや時代遅れのクルマになっていた。FIAT社もその辺は承知しており、1985年に後継モデルとなる『AUTOBIANCHI Y10』が送り出され、A112は静かに退いてゆくのだった。

日本には1982年から正式に導入され、シリーズ5以降のタイプが輸入されている。走りの良さに加え当時189万円という輸入車としては手頃な価格から、たちまち日本のイタリア車ファンから支持される大人気モデルとなり、 ABARTHの名前もポピュラーな存在に変わって行った。まさに『1971 AUTOBIANCHI A112 ABARTH』は、日本でアバルトの名を浸透させた立役者だったのである。

last(左)1979年モデルのインテリアは、スピードメーターとタコメーターが正面に配置され、3つの補助計器はセンター下に並ぶ。ステアリング・ホイールは魅力的なアバルト製の2スポークの革巻きタイプが標準で備わっていた。
(右)サソリが配されたエアクリーナー・ケースと、アバルトの名が鋳込まれたカムカバーが熱い走りを予感させる。OHVエンジンでシングル・キャブレターながらアバルトのテクノロジーにより痛快無比の70HPを発揮した。

▼スペック
1982 AUTOBIANCHI A112 ABARTH

全長:3230mm
全幅:1480mm
全高:1360mm
ホイールベース:2040mm
車両重量:700kg
エンジン形式:水冷OHV直列4気筒
総排気量:1050cc
最高出力:70HP/6600rpm
変速機:5段マニュアル
タイヤ:135R13
最高速度:160km/h

INFORMATION

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★ABARTH + YAMAHA
二輪ロードレースの最高峰として位置づけられているMoto GP(モトGP)に参戦しているヤマハチームのオフィシャルパートナー。
>> https://www.abarth.jp/motogp/

★『ABARTH 695 BIPOSTO』の詳細はこちらから
>> https://www.abarth.jp/695biposto/

嶋田智之さんによる『ABARTH 695 BIPOSTO』レポートはこちらから
>> https://www.abarth.jp/scorpion/driving_fun_school/4862