ナポリピッツァの日本一に輝いたピッツァ職人は、左ハンドルのMTを駆るアバルト乗り アバルトFile.64 遠藤さんと595

感動の味を求め、イタリアに料理留学

今回ご紹介するのは、「真のナポリピッツァ」協会から認定を受け、ナポリピッツァ職人世界大会(カプート杯)の日本大会で日本一に輝いた、ピッツァ職人の遠藤秀雄さん。遠藤さんは、学生時代、トラットリアでアルバイトをした時にイタリア料理に魅了され、イタリア料理の調理師を志して専門学校へと進む。卒業後は、都内の一流ホテルに入社し、調理師として腕を振るった。そんな順調にキャリアを積み上げていた遠藤さんに転機が訪れたのは、あるピッツェリアでの出来事。ナポリピッツァとの出会いが遠藤さんの運命を変えた──。


ピッツェリア ティンタレッラのオーナーシェフで、アバルト 595を所有されている遠藤さん。

「ナポリピッツァが流行り出した頃、当時はまだ結婚前だった家内に誕生日にご馳走してもらったんです。その時行ったのがナプレ南青山本店というお店でした。そこでピッツァを口にした瞬間、鈍器で殴られたような衝撃が走ったんです。自分は宅配ピッツァのアルバイトをしていたこともあるので、ピッツァは散々食べてきたつもりでした。ところがそこで口にしたマルゲリータは、トマトとモッツァレラチーズとバジルというシンプル極まりないものだったにもかかわらず、口に入れた瞬間に広がる味覚、食感、風味が全然違う。あまりの美味しさに、自分も将来こんなピッツァを出す店をやりたい、と思うようになりました」

その後、どうされたのですか?

「イタリアの料理学校を斡旋してくれる会社の門を叩き、現地に料理留学することにしました。ただ、行き先の選択肢の中にナポリがなかったので、トスカーナ州のルッカという街の料理学校に入りました。そこでは午前中に料理を、午後には語学を学ぶ生活を1ヶ月ほどし、その後、研修先のレストランに就きました。周りの生徒はみんな料理をやりたくてきている人ばかりで、ナポリピッツァを志している人はごく少数でした。研修先もリストランテばかりだったので、昼はリストランテで働き、夜は現地の人に紹介してもらった家族経営のピッツェリアに通うという生活を10ヶ月ほどしました」

現地で学ばれた大きなものはなんだと思いますか?

「イタリアに行けばどこにでもナポリピッツァがあると思っていたのですが、現実はそうではなく、今思えばトスカーナで学んだものは、当初イメージしていたものと違いました。現地で学んだのは、イタリア語と、イタリア料理の“感覚”ですかね。日本食に例えるなら、この料理には出汁に昆布を使うのがお決まりとか、そういう感覚がイタリアにもあり、イタリアの家庭料理の定番やタブーなど、そういう感覚を身に付けられたと思います。今思えばそれが自身のピッツァ職人としての礎になったと思います」


ピッツァの生地を扱う遠藤氏。イタリアではピッツェリアは夜に営業するが、日本ではランチに食されることも多いため、生地の仕込みは営業後に行うのだという。

日本に戻って来てからはどうされたのですか?

「帰ってきてからは、今度はちゃんとナポリピッツァの店で働きたいと思い、昔働いていた地元のお店でアルバイトさせてもらいながら仕事探しをしました。その頃、ルッカで一緒に過ごした友人が帰国する際、一緒にお寿司を食べようという話になり、築地のお寿司屋さんに行ったんです。そこで友人と話していたら、僕らの話を聞いていたお店の大将が、『ピッツァ屋さんの社長と知り合いだから紹介しようか?』と話し掛けてくれたんです。聞いてみたらその知り合いの方というのがナプレの社長だったんです。当時ナプレは、スタッフの募集はしてなく、ほとんど内々で決まってしまうような時代だったので、ご縁を感じましたね」

かくしてナプレ南青山本店で働くことになった遠藤さん。お店はイタリアの装飾品で飾られ、イタリア人の方がたくさん働いているような素敵な環境だったそう。そこで師匠と呼べる方に出会い、ナポリピッツァの作り方を1から学ぶことになった。


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