アバルトの“いま”へと繋がるヒストリックモデルが大集結。「グランプレミオ スコルピオニッシマ」
V8搭載の最終進化系レーシングカーや、世界5台とも言われる超レアモデルも
グランプレミオ スコルピニッシマではさらに、超レアモデルのサプライズ披露が行われた。1台は「アバルト 3000 SP(スポルトスパイダー プロトティーポ) Sr.2」だ。1960年代、最高峰カテゴリーであるFIAグループ6のスポーツプロトタイプクラスへの挑戦を志したカルロ・アバルトは、1966年に鋼管スペースフレームを採用したミドシップレースカーの「フィアット・アバルト 1000SP」を投入。スプリントレースのみならず、耐久レースやヒルクライムでも活躍を収めた。
アバルト 3000 SP Sr.2。
フィアット・アバルト1000SPは、982ccの直列4気筒DOHCビアルベーロ・ユニットを搭載していたが、マリオ・コルッチ技師が開発した鋼管スペースフレームの優位性が見出されると、その後、1300ccの1300SP、2000ccの2000SPへと進化を遂げ、やがてその鋼管スペースフレーム構造の車体に2968ccのV8という大排気量ユニットを搭載したフィアット・アバルト3000SPが投入された。スパイダーボディのフィアット・アバルト3000SPは最大排気量が3リッターへと改められたスポーツプロトタイプクラスに参戦。世界の錚々たるスポーツカーメーカーが鎬を削るヨーロッパ選手権や、ヒルクライムにも出場し、好成績を残した。同モデルはアバルトが実戦に投入した最大排気量モデルであり、アバルトが上り詰めた輝かしいモータースポーツ史の1頁を飾ったのだ。
デモンストレーションランを行った。ステアリングを握ったのは、日本人として初めてルマン24時間レースで総合優勝を果たした関谷正徳氏。
そしてもう1台は「アバルトクラシケ 1000SP」。こちらは2022年10月に、「アルファ ロメオ4C」をベースに、世界5台限定で生産されたモデル。その成り立ちから4Cのアバルト版と見ることもできるが、じつはカーボンモノコックボディを採用したこの本格スポーツカーは、当初アバルトブランドとして登場する計画があったとされる。1000kgの車重を目標としていたことから、車名は1000を意味する「モノミッレ」と社内で呼ばれていたという。もちろんその名には、1961年に登場した「フィアット・アバルト・モノミッレ」へのオマージュの意も込められていたに違いない。
アバルト クラシケ1000SP。
結果的にそのプロジェクトは実現こそしなかったものの、2023年にわずか5台ながら生産されたその背景には、かつての計画を何らかの形で結実したいという思いや、モータースポーツでの輝かしい歴史へのリスペクトから実現したことを窺い知ることができる。スポーツスピリットに溢れた特別なブランド、その成り立ちを現代に伝える象徴的なモデルといえるだろう。
アバルトは老若男女、誰もが楽しめる稀有なスポーツカー
グランプレミオ スコルピオニッシマに参加されたオーナーさんにイベントの感想を聞いてみた。
ご夫婦で参加し、ダブルエントリーでそれぞれサーキット走行を楽しまれていた補永さんご夫妻の愛車はグランデプント。「1400ccという小さいエンジンですけど、ターボ付きでパワフルですし、面白いです」と話してくれたのはご主人の拓実さん。奥さまの紫乃さんも「初めてのマニュアル車がこのグランデプントでした。運転もしやすいですし、通勤から買い物、そしてサーキット走行まで、全部遊べる(笑)。見た目もかわいいですし、すばらしいです!」と愛車に大満足のご様子。
補永拓実さんのお父さんも1964年型のアバルト 595に乗っていらして、2世代でイベントを楽しまれていた。
補永さん夫妻にとってクラブ アバルト ジャッポーネのイベントは、大きな楽しみとなっている模様。「こうしたクルマの集まりは、ブランドによって色が出ると思うんですけど、アバルトに乗っている方たちは気さくで親しみやすいですし、皆さん本当に楽しそうに走られていて、いい集まりだと思います」とご主人。奥さまは「見たこともないようなクルマや、走っていることが奇跡のようなクルマがたくさん集まってくるので丸1日楽しく過ごせました。いつもこうしたイベントを楽しみにしているんです」と笑顔で話してくれた。
ご主人とダブルエントリーでサーキット走行を楽しまれていた補永紫乃さん。