1952 ABARTH 1500 BIPOSTO BERTONE|アバルトの歴史を刻んだモデル No.071

1952 ABARTH 1500 BIPOSTO BERTONE
1952年アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネ

アバルト2作目となる未来的スタイリングのショーカー

モータースポーツに並々ならぬ情熱を注ぎ、約1万勝とも言われる勝ち星を挙げてきたアバルト。創始者のカルロ・アバルトは1949年に自らの会社、アバルト& C.を立ち上げたが、創業当初は以前に所属していたチシタリア社から受け継いだマシン(アバルト204)でレースに挑んでいた。カルロ・アバルトはアバルト& C.を自動車メーカーへと発展させることを志したが、設立当初からその体制が整っていたわけではなかった。カルロは1949年に、レーシングマシン204Aをベースとしたロードカー「205 ベルリネッタ」を送り出し、自動車メーカーとしての歩みを踏み出していった。

1950年代初頭に、カルロは持ち前の技術力を発揮し、高性能で先進的なモデルの開発に取り組んだ。そして1952年のトリノ・モーターショーで2作目となる「アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネ」を発表する。同モデルは現代の「695 BIPOSTO(ビポスト)」でお馴染みの“ビポスト”の名を最初に与えられたモデルである。その最大の特徴は、未来の自動車デザインを先取りしたかのような先鋭的なスタイリングだった。

デザインはフランコ・スカリオーネが担当

デザインを担当したのは、カロッツェリア・ベルトーネで新進気鋭のデザイナーとして活躍していたフランコ・スカリオーネである。アテネオ大学工学部航空機学科に進んだが第2次世界大戦の勃発により学業の継続が困難になり、自動車デザインの世界に転じたという経緯がある。スカリオーネは航空学を学んだその経験からカーデザインに空気力学を注ぎ込んだ。

こうして完成したアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネは、自動車界に大きな衝撃を与えることとなった。フロントの左右に加え、中央に配された大径のヘッドライトを組み込んだポンツーン・ノーズと2分割されたラジエーター・グリルは、それまでの自動車には見られない未来感を思わせるセンセーショナルなスタイリングだった。


カロッツェリア・ベルトーネでカルロ・アバルトが共同経営者のカルロ・スカリオーネと共に撮影されたショット。右はエンジンやコンポーネンツを使用したフィアット 1400。

プロポーションは低いフロントノーズからリアエンドへと至る伸びやかなラインを基本に、流れるようなラインを描くルーフで構成。車体の側面まで回り込むフロントウインドウに加え、リアウインドウもサイドにラウンドし、中央の細いドーサルフィンがアクセントとなっていた。

デザイン上のハイライトは、スカリオーネの空力に対する天才的な感性とベルトーネの職人技が生んだ、リアフェンダーのフィンである。複雑なカーブを描くこのフィンとルーフからの流れるようなラインが合流し、独特のリアエンドを完成させていた。


ボディサイドに目を移すと、前後フェンダーの後ろ側が大きくえぐられていることに気づく。他にも戦闘機の機銃を思わせるテールライトやボディに埋め込まれたアウタードアハンドルなど、独創的なデザインが散りばめられていた。

メカニズムは205Aベルリネッタ用に造られた角断面プレス鋼板製フレームに、フィアット 1400 ベルリーナのパワートレインやサスペンションなどのコンポーネンツが組み合わされた。エンジンは排気量を1480 ccまで拡大するとともに、各部をチューンアップ。さらにアバルト製のエキゾーストシステムを組み込むことにより、最高出力はフィアット1400の45HP から75HPにまで高められた。

アメリカの高級車メーカー、パッカード社が購入

1952年のトリノ・モーターショーで披露されたアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネは、その斬新なスタイリングと高いパフォーマンスにより高い評価を得ることとなった。同モデルは、米デトロイトから訪れていた高級自動車メーカーのパッカード・モーター・カンパニーの取締役社長の目に留まり、パッカードの社長はデザイナーたちにインスピレーションを与えるために1500 ビポスト・ベルトーネを購入し、アメリカへと持ち帰ったのである。アメリカに渡ったアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネは、デザインの研究に使用され、退役後は倉庫に保管された。

しばらく倉庫で眠っていたアバルトだが、ひょんなことから新たな展開が始まる。パッカード社はプロモーションに協力したフォーチュン誌のライターだったリチャード・A・スミス氏への感謝の印として、アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネを譲ったのである。スミス氏はこのクルマを大切に所有し、老齢で乗らなくなってからもガレージで大事に保管し、生涯所有し続けたという。

幻のアバルトが姿を現す

スミス氏の没後、残された遺族は遺産整理のため、2003年に行われたクリスティーズ・ロックフェラー・センター・オークションにアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネを出品した。51年ぶりに公の場に姿を現すことになったアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネは、ボディカラーはブルーに塗り替えられていたが、欠品もなくオリジナルの姿を保っていた。1台のみが作られた希少なショーカーだけにオークションでは世界中から注目を集め、最終的に29.65万ドル(日本円で約3499万円)という高額で落札された。


最高出力45HPを発揮するフィアット1400用のエンジンをベースに、排気量拡大(1480cc)やチューニングにより高出力化。最高出力は75HPにまで高められた。

新しいオーナーとなったクリス・ドレイク氏は、すぐさまレストアを依頼し、6年間にも及ぶ作業の末、1500 ビポスト・ベルトーネをオリジナルの姿に復元した。

映えある賞「グランツーリスモ・トロフィ」を受賞

往年の輝きを取り戻したアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネは、2010年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスに出展される。そこで芸術的な美しさとパフォーマンスを兼ね備えたモデルに贈られる「グランツーリスモ・トロフィ」を受賞し、レストア後のデビューを華々しく飾ったのである。ちなみに「グランツーリスモ・トロフィ」は、大人気ドライビング・シミュレーター『グランツーリスモ』を主宰する山内一典氏がペブルビーチ・コンクール・デレガンスの中で選出する賞で、2008年の開始以来、現在も続いている特別賞である。

ペブルビーチ・コンクール・デレガンスでは車名が「アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネ B.A.T.1」と記されていた。これは1953年から登場するフランコ・スカリオーネが手掛けたコンセプトカーのB.A.T.(Berlinetta Aerodinamica Tecnica/ベルリネッタ・アエロディナミカ・テクニカ=空力技術クーペの略)シリーズの原点が、アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネという認識から後年になって命名されたものである。

「グランツーリスモ・トロフィ」の受賞とあわせ、アバルト 1500 ビポスト・ベルトーネが、国内版『グランツーリスモ6』にアバルト 500やアバルト プントと共に収録されたことは、アバルトファンにとって見逃せないストーリーであろう。

1998 FIAT SEICENT SPORTING TROFEO
全長:4520mm
全幅:1650mm
全高:1380mm
ホイールベース:2650mm
車両重量:870kg
エンジン形式:水冷直列4気筒OHV
総排気量:1480cc
最高出力:75HP/5500rpm
変速機:4段マニュアル
タイヤ:5.90-14
最高速度:180km/h