1953 Abarth 1100 Sport Ghia|アバルトの歴史を刻んだモデル No.075

1953 Abarth 1100 Sport Ghia
1953年 アバルト 1100 スポルト・ギア

自動車メーカーへの試み

創始者カルロ・アバルトのレースにかける強い情熱により、1949年に産声を上げたアバルト。創業後、カルロはモータースポーツに挑み続ける一方で、会社を自動車メーカーへと育て上げることに注力した。カルロは会社を興す前からエンジニアとして腕を奮っていたため、クルマ作りのエンジニアリングのノウハウや技術は有していたものの、草創期はまだ自動車メーカーとして製品を生み出す十分な体制は整っていなかった。こうした状況からカルロは、チシタリアのコンポーネンツを使用して一作目の作品、アバルト 205 ベルリネッタを1949年に送り出し、自動車メーカーとしての第一歩を印した。

アバルトは1952年に、205 ベルリネッタに続くスタディモデルとして1500 ビポスト・ベルトーネをトリノ・モーターショーで発表する。


1952年に発表された1500 ビポスト・ベルトーネ。

1500 ビポスト・ベルトーネのモデルは、B.A.T(Berlinetta Aerodinamica Tecnica/ベルリネッタ・アエロディナミカ・テクニカ=空力実験車両)の第1作目として製作され、“B.A.T.1”の別名が与えられている。空力性能を突き詰めた未来的なスタイリングで、自動車界に大きな衝撃を与えた。

1500 ビポスト・ベルトーネのメカニズムは、前作205A ベルリネッタのシャシーを流用し、そこにフィアット 1400のエンジンを搭載していた。そのエンジンはアバルトの手により排気量が1480 ccに拡大されるとともに、高度なチューニングが施され、最高出力は75hpを発生。最高速度は180km/hにも達し、当時のトップレベルのパフォーマンスを誇った。

華麗な姿で登場した3作目のアバルト

こうして自動車メーカーへの階段を上り始めたアバルトは、1953年3月のジュネーブ・モーターショーでデビューした新型フィアット 1100の可能性に着目する。カルロはすぐさまトリノにあるカロッツェリア・ギアを訪ね、フィアット 1100の主要パーツを活用した3作目となるスタディモデルのデザインとボディの製作を依頼した。


アバルト3作目の作品である1100 スポルト・ギア。1953年4月に開かれたトリノモーターショーで、カロッツェリア・ギアのスタンドに姿を見せた。後方左に写るセダンがベースとなったフィアット 1100。

ジュネーブ・モーターショーからわずか数週間後となる1953年4月に開かれたトリノ・モーターショーで、アバルトは早くも新たなスタディモデルを発表する。カロッツェリア・ギアのスタンドに飾られデビューした、アバルト 1100 スポルト・ギアである。ショーに姿を見せるや否や大きな注目を集め、トリノ・モーターショーの主役といえる存在となった。

アバルト 1100 スポルト・ギアのデザインはイタリアのカーデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティが手掛けたといわれる。彼によって描かれた繊細なスタイリングがカロッツェリア・ギアの技術により見事に再現されたのだ。アバルト 1100 スポルト・ギアは、前作のアバルト 1500 ビポスト・ベルトーネと大きくイメージを変えたエレガントな佇まいで、現代でも通用するラインでまとめられている。長いノーズとコンパクトなキャビンによるスリークなスタイルが特徴で、ボディサイドを前後に貫くプレスラインは躍動感を強調し、ホイールアーチ上部はカバーされエレガントな印象を与える。また、フレームレスのサイドウインドウが先進さを示していた。


アバルト 1100 スポルト・ギアのリアビュー。ショルダーラインはリアフェンダー下まで続き、テールランプもこのライン上に位置する。1950年代のイタリア製GTによく用いられたデザインのはしりといえる。

1953年当時はヘッドライトがフェンダーの先端に付くスタイルが一般的だったが、アバルト1100 スポルト・ギアではラジエーターグリル内に組み込まれていた。さらにはヘッドライトから延びるバーの中央に「くちばし」のようなブロックが設けられ、デザインのアクセントになるとともに、冷却風の整流を担う先進的なデザイン処理が注目点といえる。ショルダーラインはフロントからリアエンドまで続き、テールランプはラインに溶け込む処理がなされていた。

メカニズム的には、4台製作されたアバルト 205の最後のシャシーを使用し、新型フィアット 1100のメカニカルコンポーネンツが利用された。フィアット 1100の1089ccエンジンは、アバルトのチューニングにより標準の36hp/4400rpmからその1.77倍にもなる64 hp/5500rpmまでパワーアップされていた。


フィアット 1100のものをベースとする1089ccエンジンは、各部のチューニングとアバルト製ツインキャブレターキットにより、最高出力64hpにまで高められた。

トリノからアメリカへ

こうしてアバルト 1100 スポルト・ギアはトリノ・モーターショーで大成功を収め、アバルトの存在を世に広く知らしめた。ショーの後に、アバルトはアメリカ人のビル・ヴォーンの要望により1100 スポルト・ギアを売却する。ヴォーンは「アメリカ初のOHCヘッドを備えるV型8気筒エンジン」を搭載する「ヴォーン SS ワイルドキャット」として、1954年のニューヨーク・オートショーに出品した。しかし、アバルト 1100 スポルト・ギアにV型8気筒エンジンが積まれた記録や痕跡はなく、ヴォーンの構想通りに生産に至ることはなかった。


スタイリングは滑らかな面で構成され、現代のデザインレベルに比肩するものだった。フロントグリル中央にはくちばし状のブロックが取り付けられ、デザインのアクセントとなっている。

アバルト 1100 スポルト・ギアはその後行方が分からなくなっていたが、1982年にメリーランド州の納屋で発見され大きな話題となった。2010年には熱烈なアバルトファンの手に渡り、5年の月日をかけて製作時の姿を再現する徹底的なレストアが行われた。その作業は、すべての部品の真贋(しんがん)性と正確性を調査することが含まれていた。

レストアがひと通り完成したアバルト 1100 スポルト・ギアは、2015年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスに出展された。公の場に姿を現すのは1954年以来となり、オリジナルの姿に復元されたすばらしいコンディションから、同クラスの最優秀賞を獲得すると共にベスト・オブ・ショーにもノミネートされるほどだった。


インテリアもエレガントなイメージでまとめられ、トリムも豪華に仕立てられている。サイドウインドウは先進的なフレームレス構造になっていることに注目したい。

こうして復活して高い評価を得たアバルト 1100 スポルト・ギアは、2017年8月に行われたRMサザビーズ・モントレー・オークションに姿を現す。ショーモデルとして1台だけが作られ、幻の存在となっていただけに大きな注目を集めたのはいうまでもない。車両のコンディションは、ペブルビーチ・コンクール・デレガンス出展時と変わらず申し分のないものだった。オークションではコレクターの激しい入札が続き、最終的に89.1万ドル(当時の為替レートで約9800万円)という驚きの額で落札された。

カルロ・アバルトの美的センスによりまとめ上げられたアバルト 1100 スポルト・ギアは、今なおクルマ好きを魅了するオーラを放ち続ける特別な1台だ。だからこそ64年の時が経過しても色あせることなく、正しく評価されたのである。

文・写真 チンクエチェント博物館

1953 Abarth 1100 Sport Ghia

エンジン形式:水冷直列4気筒OHV
総排気量:1089cc
最高出力:64hp/5500rpm
変速機:4段マニュアル
*ボディサイズ、重量は未発表

アバルト公式WEBサイト