1951 ABARTH 205A Berlinetta|アバルトの歴史を刻んだモデル No.040

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1951 ABARTH 205A Berlinetta
アバルト205A ベルリネッタ

アバルト初のロードカー

創始者カルロ・アバルトが「ABARTH & C」を設立したのは1949年4月15日だが、この時点ではまだ、同社は自動車メーカーというよりは、レーシングチームを運営する組織だった。会社設立時に記された業務内容は、自動車の生産、スポーツカー及びレーシングカー用コンプリートキットの生産、スポーツカー/レーシングカーの改造とチューンアップで、またレース参戦も含まれていた。エンブレムは、カルロの星座にちなんだスコルピオーネ(サソリ)を配した印象的なもので、その基本的なデザインは現代のエンブレムにも受け継がれている。

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ノーズに誇らしげに付けられたアバルトエンブレム。この時期のエンブレムは装飾した文字を用いていた。

活動がスタートした時点では、「スクアドラ・カルロ・アバルト」と名付けられたレーシングチームでモータースポーツに参戦していた。かつて、カルロが在籍していたチシタリア社がアルゼンチンに移転することになり、そこで同社で製作してレースで使用していたマシン「204A」と「D46」を引き継いでレースを闘うことにしたのである。

スクアドラ・カルロ・アバルトは、カルロを慕って集まったイタリアのトップドライバーであるタツィオ・ヌヴォラーリを始め、フランコ・コルテーゼ、グイード・スカリアリーニ、ピエロ・タルッフィらの錚々たるメンバーで構成され、すぐさまレースに挑み、優秀な成績を残していった。

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1950年のミッレ・ミリアに姿を現したアバルト204A。スカリアリーニとガッローネのドライブで、1100ccながら大排気量の強豪を相手に総合31位、S1クラス9位という素晴らしい結果を残した。

レースでの勝利という当初掲げた目的を次々に遂行したカルロだが、レースへのチャレンジは現在と同様に多額の費用が必要だった。そこで天賦の才ともいえるチューニング技術を活かしてアクセサリーパーツを製作することで活動資金を捻出していた。まず手掛けたのは、フィアット500トッポリーノを当時最先端の装備だったコラムシフトに改造するキットで、発売するや否やたちまちクルマ好きの間で人気商品となる。続いてアバルトの代名詞といえるスポーツエキゾーストシステムの「マルミッタ・アバルト」を送り出す。レースでの活躍を背景にパワーアップでき、同時に心地良い排気音をもたらすマルミッタ・アバルトは、様々な車種に対応する幅広いラインアップが用意された。こうして「マルミッタ・アバルト」はたちまち人気商品となり、同社の経営を安定させることに貢献し、次なるステップへ踏み出す契機となった。

新会社の業務内容にあった「自動車の生産」を現実のものとするため、カルロはチシタリア時代に手掛けたレーシングマシンの204Aをベースとするロードカーの205の開発に取り掛かる。基本的な構成はチシタリアのものを踏襲し、フィアット1100用エンジンをチシタリアがチューニングしたOHV水冷直列4気筒をアバルトがさらに改良を加え、最高出力65HPを発生する1188ccエンジンを搭載する。

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205のパワーユニット。フィアット1100用をベースにチシタリア時代に開発されたエンジンにアバルトが手を加え65HPを発生した。

ボディデザインはジョヴァンニ・ミケロッティが担当し、製作はカロッツェリア・ヴィニャーレが行うという当時のイタリアのゴールデンコンビによる1台だった。この頃のクルマはようやくフロントフェンダーがボディと一体になるが、半分離型でその存在を主張していた頃に、204Aベルリネッタは時代を先取りしたフェンダーとボディが一体となったフラッシュ・サーフェイスというイタリアならではの現代的なデザインでまとめられていた。

こうして誕生した試作車の204Aベルリネッタは、アバルトの流儀に則ってレースに挑むことになる。その闘いの場に選ばれたのが伝統のロードレースで耐久力が試される過酷なミッレ・ミリアだった。1950年大会に姿を現したアバルト204Aはゼッケン630を付け、スカリアリーニとガッローネにステアリングが託された。アバルトの未来を背負ってスタートした204Aベルリネッタは、トラブルもなく1600kmを走り抜き、わずか1100ccの小排気量ながら大排気量の強豪を相手に総合31位、S1クラス9位という素晴らしい結果を残し、アバルトの名を知らしめることに成功した。

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カルロ生誕100周年を記念したイベントに展示されたアバルト205Aベルリネッタ。当時作られた3台は現在も素晴らしいコンディションを保って愛好家のもとで暮らしている。

ミッレ・ミリアでパフォーマンスが確認されたスポーツクーペは、「205Aベルリネッタ」として1951年4月に開かれた第33回トリノ・ショーにて、アバルト初のロードカーとして正式に発表された。その姿は204Aベルリネッタと基本的なボディ・ラインこそ同じだが、路上での使用を考慮して2本の小さなバンパーが追加され、1対のフォグランプが装着されスタイリングにアクセントを与えていた。

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正式に発表されたアバルト205Aベルリネッタのオフィシャルフォト。傍らに立つのは若き日のカルロ。ドアには誇らしげに「スクアドラ・カルロ・アバルト」のレタリングが入れられている。

また当時のイタリアではコンクール・デレガンスが開催されるようになり、カルロは205Aベルリネッタを各地のコンクールに出品する。その美しい姿と卓越した性能から数多くの大賞を獲得し、アバルトの存在を広く知らしめるに至る。こうしてアバルトは自動車メーカーとしても幸先の良い船出を切った。

1951 ABARTH 205A Berlinetta

全長:3495mm
全幅:1420mm
全高:1245mm
ホイールベース:2210mm
車両重量:818kg
エンジン形式:水冷直列4気筒OHV
総排気量:1188cc
最高出力:65HP/5500rpm
変速機:4段マニュアル
タイヤ:F 4.50-15、R 5.00-15
最高速度:170km/h