ワールドチャンピオンの証|アバルトの歴史を刻んだモデル No.066

CAMPIONE DEL MONDO
アバルトのワールドチャンピオン記録

勝利の追求

1960年代半ばに製造されたアバルト車のボディサイドには「CAMPIONE DEL MONDO=ワールドチャンピオン」と記されたバッジが取り付けられていた。古いアバルトに興味を持っている方なら、アバルトのエンブレムとチェッカーフラッグを組み合わせたこのバッジを目にしたことがあるだろう。


1963年以降のアバルト車のボディサイドに取り付けられた「CAMPIONE DEL MONDO」バッジ。

「CAMPIONE DEL MONDO」バッジは、世界スポーツカー選手権のGTクラスでアバルトが年間チャンピオンを獲得したことを記念して取り付けられたもの。このバッジはデザイン上のアクセントともなったことから、2007年のアバルトブランド復活後にも、「695トリブート フェラーリ」や「595 50thアニバーサリー」、また70周年記念時のロゴやバッジにもそのモチーフが使われた。


「CAMPIONE DEL MONDO」バッジは、アバルトらしいデザイン性の良さを特徴とし、アバルトブランドのヘリテージに由来するアニバーサリーモデルのエンブレムにもそのモチーフが生かされた。

アバルトの熱き血筋

そもそもアバルト社は、創始者のカルロ・アバルトがレースで勝利を得るために設立されたブランド。発足後はレーシングチームである「スクアドラ・カルロ・アバルト」を結成し、すぐさま活動を開始した。マシンはチシタリア時代にカルロ自らが手掛けた204Aスパイダーを受け継ぎ、独自の軽量化とモディファイにより戦闘力が高められた。

「スクアドラ・カルロ・アバルト」にとっての初勝利は1949年5月8日に行われたチルクイート・ディ・レッジョ・エミリア。この年は17もの優勝を獲得しアバルトの名は広く知れ渡った。

現在もそうだがレース活動には膨大な資金が必要であり、設立したばかりの小さな企業だったアバルトには大きな負担となっていた。そこでカルロは1950年にレース活動を一時休止し、業務に注力する判断を下した。


アバルトにとっての初勝利はアバルト204Aスパイダーで挑んだ1949年のチルクイート・ディ・レッジョ・エミリアだった。

1956年にはアバルトブランドにとって飛躍の原動力となるフィアット600が登場する。このコンポーネントを使用してアバルトが開発したフィアット・アバルト750GTザガートが高い評価を得て、アバルトは本格的な自動車メーカーへと発展したのである。また750GTザガートは高い戦闘力を備えていたことから、アバルトにとってレース再開の契機ともなり、再びレースの世界で勝利を積み重ねていくこととなった。

こうして1956年からレースフィールドに復帰したアバルトは、世界選手権からヒルクライムまで、純レーシングマシンやツーリングカーで挑み、1971年までに7300を超える勝利を手にしている。

こうしたレースの中で頂点に位置するのが1953年から始まった世界スポーツカー選手権(現在のWECに相当)だ。ル・マン24時間やセブリング12時間、ニュルブルクリンク1000km、タルガ・フローリオなどで構成される最高峰シリーズである。

ワールドチャンピオン獲得

世界スポーツカー選手権は当初はモノクラスだったが、1962年にクラス分けが行われた。1000cc以下のGT-Iクラスには、700cc以下のディビジョン-1、850cc以下のディビジョン-2、1000ccまでのディビジョン-3の3クラスが設けられた。小排気量のマシンを得意としていたアバルトにとってこれは朗報で、1962年に早々とGT-Iクラス3ディビジョンの年間チャンピオンを獲得。1963年もアバルトの勢いは衰えず、GT-Iクラス3ディビジョンを制圧した。

1964年にはクラス分けが変更され、GT国際メーカー選手権のGT-Iクラスは1300cc以下、GT-IIクラスは2000cc以下とシンプルな区分となった。アバルトはGT-Iクラスにアバルト・シムカ1300で挑むと年間チャンピオンを勝ち取り、翌1965年もタイトルを勝ち取った。1966年からクラス名がS1.3と変わるがアバルトはOT1300で圧倒的な強さを見せ、翌1967年も制して年間タイトル6連覇を達成するという快挙を成し遂げたのである。


1966年と1967年のワールドチャンピオン獲得の原動力となったフィアット・アバルトOT1300。S1.3クラスで無敵の強さを発揮した。

トップの写真は、アバルトが年間タイトル6連覇を記念して本社前で撮影されたもの。後列は左にOT1300、右に1000SP、前列は最新型の2000スポルトスパイダーが並ぶ。興味深いのは2000スポルトスパイダーの左がミッドシップ仕様で、右はリアエンジンレイアウトを採用した2タイプを並べていることだ。ちなみに看板の「CAMPIONE MONDIALE MARCHE」は、年間チャンピオンメーカーを意味する。


世界スポーツカー選手権で年間タイトル6連覇したことを記念して撮影した写真には、後列にOT1300(左)と1000SP(右)、前列は最新型の2000スポルトスパイダーの2タイプが並べられた。

1968年になるとFIA(国際自動車連盟)はまたしてもクラス分けを変更する。スポーツプロトタイプとGTクラスの2クラスだけとなり、排気量による区分は廃止されてしまう。これは2000cc以下のマシンで闘うアバルトにとって大きなマイナスとなり、ここでの年間シリーズチャンピオン獲得は幻のものとなってしまった。

■アバルトが獲得した世界スポーツカー選手権年間タイトル

1962年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-1
1962年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-2
1962年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-3
1963年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-1
1963年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-2
1963年世界スポーツカー選手権GTIクラス・ディビジョン-3
1964年世界スポーツカー選手権GTIクラス
1965年世界スポーツカー選手権GTIクラス
1966年世界スポーツカー選手権S1.3クラス
1967年世界スポーツカー選手権S1.3クラス

アバルト公式WEBサイト