1979 FORMULA FIAT ABARTH 2000|アバルトの歴史を刻んだモデル No.047

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1979 FORMULA FIAT ABARTH 2000
フォーミュラ・フィアット・アバルト2000

次世代ドライバー育成マシン

次代のイタリアを担う若手レーシングドライバーを育成するために、イタリアのモータースポーツを統括するCSAI(Commissione Sportiva Automobilistica Italiana)が1971年に立ち上げたのが、フォーミュラ・イタリアだ。イコールコンディションのモノポスト(1人乗り)マシンによるドライバー育成プログラムとして企画され、車両の製作はアバルト&C.社に委ねられた。

このシリーズは、フォーミュラカーでステップアップを志す、若いレーシングドライバーの発掘を目的としていた。そのため参戦コストを抑えるため、フィアット・グループの量産モデルのコンポーネンツを最大限利用し、製作コストを抑えて安価に提供することを命題に開発された。

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CSAIが1971年にモノポスト・マシンによる若手ドライバー育成プログラムとして立ち上げたフォーミュラ・イタリア。マシンの製作はアバルトが担当した。

市販車のパーツを活用したフォーミュラカー

アバルトは、それまでのモノポストマシンの製作経験を生かし、開発を行った。大径鋼管で構成したフレームやサスペンションの一部とボディカウルこそ専用だが、エンジンはフィアット124S用の1600ccユニットに、2基のウェーバー40IDF13型キャブレターを組み合わせ、最高出力110HPを発生した。ギアボックスはランチア・フルヴィア用、アップライト(ハブを支えるパーツ)はアウトビアンキ A111、ステアリングギアボックスとラジエターはフィアット128、ブレーキシステムはフィアット125と、市販車用のパーツを最大限利用して製作コストとメンテンナス費用を低減した構成が特徴である。なおフォーミュラ・イタリア車両のアバルト社内コードナンバーはSE025となる。

このフォーミュラ・イタリアは1972年にスタートし、当初の目的どおり、ミケーレ・アルボレート、ブルーノ・ジャコメリ、リカルド・パトレーゼなど後年F1で活躍するイタリア人トップドライバーを輩出。イタリアのレース界では欠かせないカテゴリーとして支持された。

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フォーミュラ・イタリア・マシンが旧態化したため新たなコンポーネンツで製作されたのが「フォーミュラ・フィアット・アバルト2000」。直線基調のスタイリングは機能と整備性を重視したもので、カルロ・アバルトが最後にかかわったモデルでもある。

こうして大成功を収めたフォーミュラ・イタリアだったが、パーツの流用元となったベースモデルがモデルチェンジでフェードアウトしていったことから、新たなコンポーネンツで構成したマシン「フォーミュラ・フィアット・アバルト」を製作することになった。

新シリーズはフィアットのほか11社に及ぶパーツサプライヤー(油脂類:オーリオ・フィアット、電装品:マニエッティ・マレリ、タイヤ:ピレリ、ホイール:スピードライン、セーフティ・ハーネス:サベルト/ブリタックス、ブレーキ:ブレンボ、フィルター:サヴァラ)らの協力を得てエントラントの負担を減らす配慮がなされていた。

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コクピットは極めてシンプル。ドライバーの正面には回転計と油圧計、水温計が備わるだけ。この個体には、当時ドライブしたアレッサンドロ・ナンニーニのサインがシート左側に描かれている。

アバルトのコードナンバーSE033が与えられたこのマシンのシャシーは、マリオ・コルッチ技師が設計した軽量かつ強靭なアルミ/スチールモノコックに、鋼管サブフレームを前後に組み合わせるという手慣れた構成とされた。サスペンションとボディカウルもアバルトによる自製で、ウェッジ基調のボディデザインにはカルロ・アバルトが最後の仕事として参画したという。また純粋にドライバーが腕を磨くことを目的としたマシンであるため、ウイングなどの空力付加物はあえて取り付けられなかった。

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パワーユニットはランチア・ベータ用2000ccエンジンとギアボックスがそのまま横置きでミッドに搭載された。エキゾーストシステムはアバルトによる専用品。

SE033で大きく変更されたのがパワーユニットで、前輪駆動のランチア・ベータ用2000ccエンジンとギアボックスがそのまま横置きでミッドに搭載され、132HPを発生。このほかにも市販車のパーツが積極的に使用され、ステアリング・ギアボックスはフィアット131用、ラジエターはリトモ用がノーズに配置された。車名は1971年に登場したフォーミュラ・イタリア用マシンと区別する意図から「フォーミュラ・フィアット・アバルト2000」と名付けられた。

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サスペンションのアッパーアームはアバルトにより専用開発されたもの。そこには誇らしげに「ABARTH」の文字が鋳込まれている。

こうして完成したフォーミュラ・フィアット・アバルト2000は、1979年9月7~9日にモンツァ・サーキット行われたF1イタリア・グランプリで発表され、アバルトのテストドライバーを務めるジョルジョ・ピアンタがデモランを行い大きな注目を得た。

1980年からスタートしたフォーミュラ・フィアット・アバルト・シリーズは35台もの参加を数え、大成功を収める。また当初の目的である才能ある若手ドライバーの発掘にも貢献し、アレッサンドロ・ナンニーニ、エマヌエーレ・ピッロ、ニコラ・ラリーニ、アレックス・カフィー、パオロ・バリッラらのF1ドライバーを輩出し、女性F1ドライバーのジョヴァンナ・アマティも1982年シーズンを戦った。

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フォーミュラ・フィアット・アバルトは、現在も愛好家に向けた「フォーミュラ・クラシック・イタリア」シリーズで、活躍を続けている。

モンツァでフォーミュラ・フィアット・アバルト発表された翌月の24日、カルロ・アバルトはウィーンで逝去し、ひとつの時代が静かに幕を閉じることになった。そしてフォーミュラ・フィアット・アバルト2000は、カルロが最後に関わったマシンとして愛好家の間で語り継がれている。

1979 FORMULA FIAT ABARTH 2000

全長:3450mm
全幅:1380mm(ボディ)
全高:660mm
ホイールベース:2300mm
トレッド:F/1426mm、R/1471mm
車両重量:530kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量:1995cc
最高出力:132HP/6000rpm
変速機:5段マニュアル
タイヤ:F/175/50×13、R/265/40×13
最高速度:230km/h