FIAT ABARTH 1000 Monoposto Record|アバルトの歴史を刻んだモデル No.039

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1965 FIAT ABARTH 1000 Monoposto Record
フィアット・アバルト1000モノポスト・レコード

カルロをダイエットさせたレコードカー

スピードを追い求めるカルロ・アバルトがレースに勝るとも劣らないほど情熱を注いだのが、スピード記録への挑戦だった。スピード記録とは、サーキットを長時間にわたり周回し、6、12、24、48、72時間といった時間内で走行した距離から速度を割り出したり、1000、2000、5000、10,000マイル、あるいは2000km、5000km、10,000km、15,000kmに到達するまでの時間により速度記録を狙ったりするものである。この競技ではマシンの形状によりクラス分けがなされた。

スピード記録競技は、自社のクルマの高性能さや耐久性の高さを世に知らしめることができることから、世界中のカーメーカーが積極的に挑んでいた。話は逸れるがトヨタも1966年にトヨタ2000GTで速度記録を打ち立て、スバルも1989年にレガシィが10万km耐久走行で世界記録を樹立している。

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フィアット・アバルト1000モノポスト・レコードのフレームは、当時のレーシングマシンのスタンダードといえる鋼管スペースフレームを採用する。

アバルトのスピード記録への挑戦は1955年に計画がスタートし、1956年にベルトーネの手による流線型ボディをまとった軽量な専用マシンが登場している。そのマシンのリアに搭載されるのは、フィアット600用4気筒をモディファイした“デリヴァツィオーネ750”用エンジンで、さらなるチューニングにより、最高出力は44ps/6000rpmまで高められた。ちなみにレコードカーの車両重量はわずか385kgで、最高速度は192km/hに達した。

最初のアバルトの挑戦は1956年6月17~18日に始まった。舞台はアバルトにとって地元といえるアウトドローモ・モンツァで、バンクを含むハイスピード・コースは速度記録挑戦にぴったりだった。こうしてチャレンジをスタートしたアバルトの小さなレコードカーは、悪天候に遭遇しながらも24時間をノントラブルで走り抜き、3763.642kmを走破、平均速度は156.985km/hという新記録を手にするのだった。

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空気抵抗を減らすために、ボディはミニマムの大きさだった。

こうしてカルロ・アバルトはレースへの参戦と並行して、様々なクラスやカテゴリーのスピード記録にチャレンジしていく。2台目のレコードカーからボディのデザインは風洞施設を持つピニンファリーナが担当し、より空気抵抗の少ないスタイリングに進化した。またエンジン排気量は当初の750ccクラスのほか、1000ccクラス、500ccクラスを制することに成功している。さらにはフィアット・ヌウォーヴァ・チンクエチェント(500)が登場すると、アバルト・マジックを施して市販車クラスで新記録を打ち立てる。

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サイドから見るとボディ部分がコンパクトであることがわかる。当時はアバルト・パターンのホイールが使用されていたが、現在は後年のタイプが組み込まれている。

1960年代に入るとアバルトはレースへ傾倒し、速度記録への挑戦は手薄になったが、カルロの熱き思いは消えたわけではなく、再チャレンジを密かに狙っていた。そこでクラスGに向けたモノポストのレコードカーの開発に着手した。このクラスGはフォーミュラタイプのレコードカーが対象となり、アバルトはチューブラーフレームでミッドシップ・レイアウトという当時最先端のパッケージの「フィアット・アバルト1000モノポスト・レコード」を作り上げた。

ミッドに搭載されるエンジンは1000ビアルベーロで実績のある982cc直列4気筒DOHC水冷ユニットをベースに、1シリンダーあたり2本のスパークプラグを持つツインプラグ・シリンダーヘッドを備え、最高出力は105HPを発生するに至った。

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ツインプラグ化により105HPを発揮するビアルベーロ・ユニットがミッドに搭載された。最初はエンジンカウルがつかなかったが、後年追加されている。

レコードカーは設計通りに完成したが、ここで大きな問題が発生してしまう。カルロ・アバルトは自ら速度記録のドライバーを務めようとしたが、新たに開発されたレコードカーは空気抵抗を減らすために前面投影面積を可能な限り縮小させたことから、コックピットは極めてタイトだったのである。

美食家のカルロ・アバルトだけに、いつの間にかその体は豊かになっていた。そこでカルロは、健康を保つためにさまざまな食事療法を試した結果、行き着いたのが伝説ともなった「リンゴ・ダイエット」である。このトライにより元の引き締まった体に戻りつつあったカルロだったが、新型レコードカーのタイトなコクピットに収まらなかった。そこで速度記録を自らのドライブで行うためにさらにハードなダイエットを行い、最終的に体重を30kgも減らしたという。

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インストルメントパネルには回転計を中心に左に水温計、右に油温計と油圧計が配される。ステアリングホイールはOT1000等で使われる革巻きタイプが備わる。鋼管スペースフレームの構造が良くわかる。

1000モノポスト・レコードのコクピットに収まることができたカルロ・アバルトは、1965年10月20日にアウトドローモ・モンツァで挑戦を始める。ここでは目論みどおりクラスG のSS1/4マイル(0-400m)と500m発進加速の国際新記録を樹立することに成功したのである。

こうして新記録を樹立したフィアット・アバルト1000モノポスト・レコードはアバルト社で保管され、イベントなどでその姿を見せた。最近では2019年1月31日からイタリアのトリノで開催された「アウト・モト・レトロ」と2月にパリで開かれた「レトロモビル」で、FCAヘリテージによるアバルト70周年を記念した企画に展示される4台のうちの1台に選ばれた。こうしてフィアット・アバルト1000モノポスト・レコードはアバルトの歴史をつくり上げたエポックメイクなモデルとして、再び注目を集める存在となった。

1965 FIAT ABARTH 1000 Monoposto Record

全長:3770mm
全幅:1500mm
全高:700mm
ホイールベース:2300mm
車両重量:500kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量:982cc
最高出力:105HP/8800rpm
変速機:4段マニュアル
最高速度:225km/h