【ABARTH CLASSICHE】アバルトの歴史を刻んだモデル No.017

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1976 FIAT 131 ABARTH RALLY
フィアット131アバルト ラリー

‘70年代後半の最強ラリーマシン

1971年にフィアット傘下に入ったアバルトは、グループ内でフィアットの競技車両とスポーツモデルの開発を担当した。1971年に「フィアット・アバルト124ラリー」を送り出し、世界ラリー選手権(WRC)やヨーロッパ ラリー選手権(ERC)で活躍する。しかし当時ラリーフィールドを席巻していたのは、同じフィアット・グループ内の「ランチア・ストラトス」だった。ランチアの競技部門であるランチア・スクアドラ・コルセが独自にラリーに参戦しており、専用開発されたミッドシップのストラトスは圧倒的な強さを発揮し、1974年から1976年まで3年連続WRCワールドチャンピオンを獲得していた。

フィアットの首脳陣は、市販車との関連性が薄いランチア・ストラトスでのワークス活動を中止し、市販量産モデルのイメージを受け継ぐラリーカーで参戦する方針に舵を切った。そこで当時フィアットを代表するモデルだった「フィアット131」をベースに、グループ4車両規定に対応したラリー用マシンの開発がアバルトに任されたのだった。

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ごく一般的なサルーンだったフィアット131にアバルト・マジックを加え、精悍なレーシングマシンへと変貌を遂げた「131アバルト ラリー」。

アバルトにとってフィアットの量産モデルをベースに競技用マシンに仕立て上げることは得意中の得意だっただけに、すぐさま勝利の方程式で開発が進められた。当時の車両規定でグループ4規定の認証を得るためには400台の義務生産台数が課せられていたため、ホモロゲート用に公道用モデルを一般に販売することにし、その一部を実戦で使用するラリー仕様に割り当てた。こうして誕生したのが「フィアット 131アバルト・ラリー」だ。アバルトならではの機能を突き詰めながら、マニアックな美しさを備えていた。

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太いタイヤを収めるために大きく張り出した角形のオーバーフェンダーは、迫力を感じさせた。

131アバルト・ラリーは、基本的なスタイリングこそフィアット131だが、太いタイヤを収めるために大きく張り出したオーバーフェンダーを装着。さらにバンパーを廃してエアダム形状とされたフロントスカートが只者でないことを主張していた。このほかルーフ後端にはスポイラーが追加される共に、トランクリッドにはダックテール型のスポイラーを備え、当時としては先進テクノロジーといえるエアロダイナミクスも突き詰められていたのである。

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5FRP製のトランクリットにはダックテール型のリヤスポイラーを備えた(左)。空力にもこだわり、操安性を高めるためにルーフスポイラーを装備した(右)。

メカニズム的にもアバルトの文法通りに作り上げられていた。競技用車両の基本構造はホモロゲートを受けた公道用モデルから変更できないため、実戦に必要な基本構成を最初から備えるように開発が行われた。エンジンは小型乗用車「フィアット132」用のDOHC直列4気筒1995ccユニットを基に4バルブ化して搭載。ロードバージョンの最高出力は140HPと控えめだったが、ラリー仕様は圧縮比を10.7:1まで高めることにより215HPを発生し、最終的にはフューエルインジェクションを採用すると共に圧縮比を11.0:1までアップ。オイル潤滑方式はドライサンプ式とし、最高出力は230HPを達成した。

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公道用のエンジンは扱いやすさを考えてシングルキャブレターを採用したが、最高出力は140HPと誇れるものだった。

サスペンションもアバルトらしい変更が施されていた。フロントは基本構成こそ変わらないが細部まで手が加えられ、リヤサスペンションはアバルト124ラリーの発展形といえる、鋼管で組み上げたセミトレーリングアームにコントロールロッドとスタビライザーで構成する、実戦的なものが採用された。ボディワークは、軽量化のためエンジンフード、フェンダー、トランクリッドにFRPを採用し、市販バージョンは980kgまで軽量化された。

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ダッシュボードはノーマルのフィアット131と変わらない。シートは写真のモデルにはバケットシートが装着されているが、オリジナルモデルは普通の131と共通のものが備わる。

コンペティション仕様の製作も同時に進められ、131アバルト・ラリーはすぐさま実戦で鍛え上げられることとなった。当初ワークスカーのボディカラーは、ダークブルーとイエローのオーリオ・フィアット(現在の「フィアット・ルブリカント」)カラーとされた。131アバルト・ラリーは1976年シーズン途中の第6戦のモロッコ・ラリーでデビューを果たしたが、熟成途上ということもあり12位に留まる。続く第7戦となる1000湖ラリーでは、マルク・アレン/イルッカ・キヴィマキ組が乗るワークスマシンが本領を発揮して初優勝を果たし、栄光の記録がここから始まった。

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1976年シーズンに登場したラリー仕様。この年はダークブルーとイエローのオーリオ・フィアット・カラーだった。

1977年からワークスカーはマーキングをアリタリア・カラーに改める。開幕戦のモンテカルロ・ラリーこそ2位に留まるが、ポルトガル、ニュージーランド、ケベック、サンレモ、ツールド・コルスを勝ち取り、1977年のWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンをフィアットにもたらした。

1978年は序盤こそ勝利を逃すが、ポルトガル、アクロポリス、ポーランド、1000湖、ケベック、ツールド・フランス、ツールド・コルスを制し、他のラリーでも常に上位に食い込み、アバルトはフィアットに2年連続のマニュファクチャラーズ・チャンピオンを献上した。あわせてこの年から新設されたドライバーズカップも、131アバルト・ラリーのタイトル獲得に貢献したマルク・アレンが獲得している。

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1977年からおなじみのアリタリア・カラーに改められ、1977年と1978年のWRCワールドチャンピオンを勝ち取った。

1979年は低調に終わったが1980年シリーズは前年から加わったドイツ人ドライバーのヴァルター・レアルが大活躍し、モンテカルロ、ポルトガル、アルゼンチン、サンレモを勝ち取り、この年のドライバーズ・チャンピオンになると共に、僚友マルク・アレンの活躍もありフィアットに3度目のマニュファクチャラーズ・チャンピオンをもたらした。

こうしてラリーフィールドで大成功を収めた131アバルト・ラリーだが、車両規定がより先鋭化したグループBに変わってからは、静かに実戦から姿を消していった。しかし’70年代のアバルトを象徴するラリーマシンとして、今もアバルト愛好家の間で高い評価を得ている。

スペック
1976 FIAT 131 ABARTH RALLY
全長 :4181mm
全幅 :1720mm (1820mm)
全高 :1360mm
ホイールベース:2490mm
車両重量 :980kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量 :1995cc
最高出力 :140HP/6400rpm(230hp/7000rpm)
変速機 :5段マニュアル
タイヤ(F/R):195/50VR15(285/35VR15)
最高速度:190km/h
カッコ内はラリー仕様