アバルトのヘリテージ#003 フィアット・アバルト595/695

FIAT ABARTH 595/695

2013年1月、日本国内でも堂々のデビューを果たすことになったアバルト595シリーズ。そして2009年の“トリブート・フェラーリ”に次いで、このたび“エディツィオーネ・マセラティ”も登場するに至ったアバルト695シリーズ。“600”ではなく“595”、そして“700”ではなく“695”。この2つのグレード名の、いささか切りの良くない数字に違和感を覚えた向きもあるかもしれない。しかし“595”と“695”は、アバルトにとっては重要な意味のある数字。かつて、アバルトに栄光をもたらした名作へのオマージュだったのである。

1957年11月のトリノ・ショーにて、アバルトは4か月前にデビューしたばかりの“フィアット・ヌォーヴァ500”をベースとするチューンドカー、“フィアット500デリヴァツィオーネ・アバルト”を発表する。排気量は標準型フィアット500と同じ479ccながら13.5psから21.5psにアップ。最高速についても、標準型の85km/hから“大台”に乗る100km/hに向上していた。そして翌’58年、第二世代に進化した500デリヴァツィオーネ・アバルトは、スピードと連続耐久走行の国際記録に挑戦。数多くの記録を達成して見せた。さらに“イル・マーゴ(魔術師)”ことカルロ・アバルトは、フィアット500をベースとする単座レコードカーを製作して、20件以上の国際レコードを記録したのだ。

アバルトとフィアットのコラボで、1958~’62年まで販売されたフィアット500スポルト。エンジンを499.5cc・21psに強化するなど、のちの595の開発にも貴重な経験を残した。

ところがこの時期のアバルトは、意外にもフィアット500のチューニング版を積極的に販売することはなかった。と言うのも、同じ1958年にフィアット本社が、アバルトとのコラボによるヌォーヴァ500のスポーティ版“フィアット500スポルト”を発売していたからである。しかし’62年には500スポルトの生産も満了したことから、自社ブランドでフィアット500ベースの新しいチューンドカーを自由に製作する余地が与えられることになった。そして1963年9月に正式デビューした新型車こそ“フィアット・アバルト595”。つまり新型アバルト595の起源となったモデルなのだ。

誕生年の1963年に製作された最初期型595は、生産台数も数なく希少車。フィアット500との外観の違いは、専用エンブレムや細い2本出しマフラーが追加された程度。

フィアット・アバルト595のメカニズム面での新機軸としては、一体鋳造の専用シリンダーが挙げられる。またピストンやカムシャフトも新設計されたほか、大径のキャブレター(ソレックスC28PB)を選択。アバルトが得意とするオイルパンやエキゾーストシステムも専用品が用意された。さらに排気量も594ccにアップされ、パワーは27psまでスープアップ。最高速も120km/hに到達したのである。

一方、初期の595では外観の変更は最小限に留められたが、同時期にデビューした大ヒット作850TC用と良く似たダミーグリルや、内外装の随所に取り付けられたサソリの紋章など、一目でアバルトと判るようなコスメティック上のモディファイが効果的に施されていた。そして、これら小さなドレスアップと、テールエンド下からのぞくアルミ製オイルパン、2本出しの“マルミッタ・アバルト(アバルト・マフラー)”から、当時のエンスージアストたちはノーマル500とアバルト製の小さな“爆弾”とを見分けられたという。かくして、このシリーズ最小のアバルトは大ヒットを博するに至ったのである。

しかし、セールス上のヒットのみがアバルトの成功ではない。サソリの紋章を掲げて生を受けた以上、不可避的な運命として小さな595もコンペティツィオーネとしての資質が追求されてゆくことになった。まずは1964年2月。595にさらなるチューニングを施した“595SS”が追加される。ソレックス34PBICキャブレターを新たに採用したほか、軽合金製の専用吸気マニフォールドなどによって、“SS”用ユニットは32psをマーク。最高速は130km/hに達した。エクステリア上のスタンダード595との相違は、ゴム製のフックで固定されるエンジンフードや、そのフードの中央に貼り付けられたアバルトのエンブレムなどが挙げられる。

さらに595SSでは、“アマドーリ&カンパニョーロ”社が製造するアルミニウム-マグネシウム合金製ホイールや、“イエーガー-アバルト”製の4つの専用メーター(速度、回転、油圧、油温)を1つのクラスターに集合させたダッシュパネル。いわゆる“ストゥルメント・コンビナート・アバルト(アバルト・コンビネーションメーター)”などもチョイス可能とされていた。

しかし、アバルトの攻勢は595SSだけに留まることはなかった。ほぼ時を同じくして、“フィアット・アバルト695”をデビューさせるのだ。695は空冷2気筒ユニットをさらに約100cc増しの689ccまでスケールアップ。595SSとまったく同等のパワーをずっと低い回転数から搾り出させることでロードユーズ向けとしたモデルである。さらに695のデビューからわずか7ヵ月後となる1964年10月には、モータースポーツ用に38psのパワーと140km/hのマキシマムを誇る純コンペティツィオーネ、“フィアット・アバルト695SS”も誕生するに至ったのである。

富士スピードウェイ・ショートコースを快走する695SSアセット・コルサ。こちらもカルロ・アバルト本人が生前所有していた極めて貴重な個体である。

フィアット・アバルト595/695は、当時イタリア本国や欧州大陸で人気を集めていた700cc以下の超小型ツーリングカー/GTレースでも活躍。特に当時695SSだけに選択可能とされた純粋なレーシングオプション仕様車、10インチ径ワイドホイールとカルダンジョイントでワイドトレッド化を果たした“アセット・コルサ”バージョンは、“BMW700”や、同じフィアット500ボディを流用するオーストリア車“シュタイア・プフ650TR”ら強力なライバルとともに、ツーリングカーレースで三つ巴の熱戦を繰り広げたという。

その後は1965年にフィアット500系が、前ヒンジのドアを持つ“500F”シリーズに進化したのに伴って、アバルトも同じ年の3月から新ボディへと移行。その後もレースレギュレーションや市場の嗜好に対応して、暫時改良を施されることになった。

そして1960年代後半からの595/695ファミリーはまさに増殖を極め、1970年当時のアバルト&C.社の製品カタログには、実に12車種ものフィアット・アバルト595/695ファミリーが掲載されていた。その上、この当時のアバルト本社から発行されていたオフィシャルカタログや自動車専門誌のプライスリストには、アセット・コルサ仕様まで記されていたのである。

しかし、これがフィアット・アバルト595/695シリーズにとっては、最後の輝かしい時期となってしまった。翌’71年にレーシングストライプのグラフィックが変更される程度の小変更を受けたのち、同年12月をもって、その幸福に満ちたキャリアに自らピリオドを打つことになったのだ。

それでも、アバルト595/695の名声は今なお息づいていると言えよう。そして第一幕の終了から40余年を経た現代。まずはアバルト500としての成功を収めたのち、かつての同じ手順を踏んで、アバルト595/695の伝説第二幕が幕を開けようとしているのである。それは、アバルトという当代最新のメーカーが自社の“ヘリテージ”を大切にしていることの、何よりの証と言えるだろう。
 
 

エンジンも一見したところフィアット500用に酷似するが、中身はまったくの別物。ピストンやカム、気化器を換装したほか、もちろんオイルパンやマフラーもアバルト専用品。
695のエンジンは、595をベースに689ccに拡大。標準版695でも32ps、この695SS(エッセエッセ)ではキャブレターの大径化などのチューンにより38psをマークしていた。


オリジナルの595ではフェンダーもフィアット500と同じナロータイプで、特に’63年モデルでは、ホイールもスティールにアルミ製キャップの組み合わせが標準装備とされていた。
595SS以降は12インチのマグネシウム合金ホイールがオプションに追加。さらに695SSアセット・コルサでは10/12インチのワイドホイールとワイドフェンダーも選択できた。


フィアット・アバルト595のトランクルームは、スタンダードのフィアット500と大きくは変わらないレイアウト。トランクリッド裏からビス止めされたエンブレムにもご注目。
695のリアエンド下には、アバルトの象徴たる極太の“マルミッタ・アバルト”と、アルミ製オイルパンが鈍く輝く。一方の595は最初期型のため、マフラー径が一回り細くなる。


ボディ同色のダッシュパネルとエボナイト製のステアリングも、ベースとなったフィアット500となんら変わらないが、サソリのエンブレムと“595”のバッジが素性を物語る。
こちらはうって変わって戦闘的な695SSアセット・コルサのダッシュパネル。アバルト製ステアリングホイールと、専用のメータークラスターを装備した“男の仕事場”である。


595の集合メーターは、一見した限りではフィアット500と共通に見えるが、実はABARTHのロゴと紋章の入った専用品。これも現在では、希少なコレクターズアイテムとされている。
695SSには、“イエーガー-アバルト”製の4つの専用メーターを1つのクラスターに集合させた“ストゥルメント・コンビナート・アバルト”がオプション選択可能とされていた。


フィアット・アバルト595のインテリア。500D時代のフィアット500ベースのため、前開きのドアとシンプル極まりないシートが特徴的で、それが今では独特の魅力を醸し出す。