アバルト歴代モデルその5

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フィアット131アバルト・ラリー
FIAT 131 ABARTH RALLY

2014年から全日本ラリー選手権に初登場し、賞典外ながら非凡という以上の活躍を見せた“ムゼオ チンクエチェント レーシングチーム(mCrt)”のアバルト500ラリーR3T。いよいよ2015年シーズンからは正式にFIA-R規定が日本国内戦にも導入されることから、さらなる活躍が期待されている。
mCrtがアバルトとともにラリーを走る最大の動機は、ラリーこそが近代アバルト史上最も重要な活躍の場であり、その伝説の再現を期しているからにほかならない。
そこで今回はアバルトとラリーの歴史を振り返るために、アバルトの名を冠したラリーマシンの中でも最も活躍した名作、フィアット131アバルト・ラリーについて解説させていただきたい。

1971年にフィアット・グループの傘下に入ったアバルト&C.社は、フィアット・グループのコンペティション部門として活動を続けることになる。そして新生アバルトの闘いのステージは、1960年代までのサーキットから、世界ラリー選手権(WRC)を筆頭とするラリー競技へと移行していた。
フィアット131アバルト・ラリーは、以前このサイトでもご紹介したフィアット・アバルト124スパイダー・ラリーと同じく、Gr.4規約で闘われていたWRCのために開発され、1976年春のジュネーヴ・ショーで正式発表されたホモロゲートスペシャルである。
131ラリーのデビュー前夜、フィアット・グループでは、ランチアのワークス部門“ランチア・スクアドラ・コルセ”擁するHFストラトスが1974年から3年連続でWRCのメイクスタイトルを獲得していた。これは1973年にWRCがヨーロッパ選手権(ERC)から世界選手権に昇格して以来、初となる快挙である。しかしこの時期、オイルショックの影響や慢性的な経営不振に喘いでいたフィアット首脳陣は、量産車の販促に直接繋がらないストラトスの勝利を、純粋には喜べない状況にあったという。
一方フィアット・グループでは、ラリー活動に携わるもう一つの勢力があった。言うまでも無くアバルトである。当時のアバルトは、それまでの124アバルト・ラリーに代わる主戦兵器を独自に計画していた。その先駆けとなったのは量産ミドルサルーン“131”に、当時のフィアットの最上級モデルたる“130”用V6を3.5リッターに拡大。バンクあたりDOHC化して搭載した“ティーポ035”である。このモンスターが1975年の“ジーロ・ディタリア”で総合優勝を果たしたことから、アバルトとフィアット・グループは大いに勢いづくことになるのだ。そして1974年に登場したフィアットの中核モデル、131ミラフィオーリの販売促進も期して、アバルトの開発による“131ラリー”に全フィアット・グループのワークス体制を一本化。WRC選手権への参戦を決定したのである。
当時のWRCトップカテゴリーだった“グループ4”規約に合わせて400台だけ生産されることになった131ラリーは、131ミラフィオーリの2ドアセダンをベースに、131の上級モデル“132”用の直列4気筒1995ccのランプレーディ・ツインカムを16バルブ化して搭載した。このエンジンはストラダーレでも140psにチューンされたが、ラリー仕様のコンペティツィオーネでは215psを公称していた。またリアサスペンションも、131ミラフィオーリの5リンク式リジッドアクスルを潔く放棄し、124ラリーから流用されたセミトレーリングアーム式独立懸架に換装。当時最新の超偏平タイア“ピレリP7ラリー”を見越したチューニングが施された。そしてボディは、FRP製の前後スポイラーや巨大なオーバーフェンダーで武装される一方、ボンネットフードなども専用のFRP製に換装され、まさに“コンペティツィオーネ”と呼ぶに相応しいアピアランスを得た。
これらのボディ改装はカロッツェリア・ベルトーネに託されたが、ベルトーネの関与はそれだけに留まらず、FIA-Gr.4ホモロゲーションを獲得するために必要な「400台以上」の限定生産も、トリノ近郊グルリアスコのベルトーネ工場に委託。それは400台の最少生産台数が、フィアット・ミラフィオーリ工場の量産ラインで生産するには少な過ぎるが、他方コルソ・マルケ通りのアバルト・ファクトリーでハンドメイドするには多過ぎるとの判断に拠るものだったという。
しかし、モータースポーツに供するドライバーはもちろん、ストラダーレとして公道を走るユーザーからも支持を受け、結局1000台近くにも及ぶ131ラリー・アバルトが、ベルトーネ・グルリアスコ工場から生み出されることになった。
こうして生来の目的どおりWRCに参戦した131ラリー・アバルトは、マルク・アレンやヴァルター・ロールなどの名手がドライブを手掛け、フォード・エスコートRS1800などの強豪とも互角以上のパフォーマンスを示した。そして1977-’78年、’80年の3度に亘ってWRCメイクスタイトルを獲得するまでに至ったのだ。
フィアット131アバルト・ラリーは、グループ4時代のWRCにおいては、まさしく最高傑作の一つ。そしてフィアット傘下時代のアバルトにとっても、同じく最高傑作と呼ぶに相応しい一台なのである。

olio
131アバルト・ラリーが1976年にWRCデビューした際には、“OLIO FIAT(フィアット純正オイル)”のイメージカラーだったブルー&イエローの2トーンペイントが施された。

run
現代のアバルトにも通じる、野太くワイルドなエキゾーストノートを響かせつつ快走する131アバルト・ラリー。この個体は、オリジナリティが高レベルで保たれた一台である。

engine
1970年代としては世界的にも稀有な4バルブ・ヘッドを持つ1995cc4気筒DOHCエンジン。この個体は、アバルト純正のマニフォールドを使用してツインキャブ化している。

rear
131ミラフィオーリ譲りの端正なプロポーションを持ちつつ、FRP製のオーバーフェンダーやエアロパーツで完全武装。この時代のコンペティツィオーネらしい外観となっている。

front
前後ともバンパーは潔く外し、フロントには大型エアダムスカートを装着。オーバーフェンダーに融合するスタイリングは、当時のベルトーネのデザイン力の高さを誇示している。

空力への取り組みが積極的になり始めた1970年代後半には、ルーフにもスポイラーを設ける例がしばしば見られたが、131アバルトのそれはサイズ・形状ともに極めて印象的だ。

rear
トランクフードは、こちらも大型のダックテール型スポイラーを組み込んだFRP製に置き換えられる。このあたりの美しい形状も、やはりイタリア車ならではのものと言えよう。

intake
リアフェンダーのタイアハウス直前には、ブレーキ冷却用のエアインテークが設けられる。ただしラリーに出場したワークスマシンでは、ふたが被せられる例も多かったという。

mirror
131ラリーの標準ミラーは、ヴィタローニ社製“カリフォルニアン”。のちに同じくアバルトが製作したランチア037ラリーや、フェラーリ308GTB/Sにも純正指定されている。

wheel
クロモドラ製のマグネシウム合金ホイールを標準装備。「ABARTH」および「CROMODRA」双方の刻印の入ったオリジナル純正ホイールは、今では貴重なコレクターズアイテム。

emblem
ボディのデザインを施し、アセンブルも担当したカロッツェリア・ベルトーネのエンブレムが誇らしげにつく。上の“C”エンブレムについての詳細は、残念ながら不明である。

mafler
テールエンドを引き締めるのは、もちろん“アバルトマフラー”。斜めにカットした極太の2本出しのマフラーには、当時は世界中のエンスージアストが魅了されることになった。

dash
アバルト純正の3スポーク・ステアリングを除けば、131ミラフィオーリと大きくは変わらないかに見える操縦席。’70sの実用車然としたメーターが、今となっては実に魅力的だ。

seat
黒いファブリックにボディ色と同じストライプが入るシートカラーは、最新のアバルト500にも影響を与えたように見える。座り心地はソフトで、長距離ツーリングでも快適だろう。

works
最も有名な“アリタリア航空”カラーで快走するワークス131アバルト・ラリー。1977-’78年、’80年の3度に亘ってWRCメイクスタイトルを獲得した、ラリー史に残る名作である。