ファイブフィンガーズ

「ビブラム」の名はご存じの方が多いだろう。

思い起こせば、’80年代に流行したアメカジ(アメリカン・カジュアル)全盛期に、バブル期という時代背景もあって、それこそ奪い合うかのように高額な人気ブランドの靴が売れていた。エンジニアブーツや、ワークブーツ、マウンテンブーツといった当時人気を博したゴツイ靴のソールには、必ずといっていいほど、「ビブラム」の黄色いエンブレムが付いていた。「ビブラム」ソールというだけで、その靴の価値に十分以上の説得力が与えられていたものだ。

前置きが長くなったが、「ビブラム」は、ソールメーカーとしては世界屈指のメジャーブランドである。
その「ビブラム」が、ソールだけでなくすべてを手掛けたシューズが、ファイブフィンガーズだ。

そもそものコンセプトは、海や山で使うことを前提に、より素足に近いシューズを作ることだった。どういうわけだか、一般的に手袋は5本の指が独立したものが好まれる傾向にあるのに対し、足の指に関してはないがしろにされてきた歴史がある。昔から、靴は足全体を完全に覆うモノ、そういった既成概念が自然とできあがっていたようだ。
 
だが、足に指があるのに意味がないわけが無い。足の指は、地面をしっかりと掴み、体のバランスをとるために重要な役割を担っているのだ。「ビブラム」は、そこに着目して、足の指がそれぞれ独立したシューズを開発した。そして、素足の感覚により近づけるためにソールは薄く、シューズを履いていることを意識させない作りとなっている。

結果的に、素晴らしくコンフォータブルで疲れにくいシューズができあがった。1度履いたが最後、やみつきになり他の靴が履けなくなるほどの快適性。それこそが、ファイブフィンガーズの真骨頂である。

そして、人間の足に備わる機能をごく自然に最大限にまで引き出すこのシューズは、その優れた特性をいかし、様々なシーンで威力を発揮する。当初は、履きやすさに特化したあまり足をホールドしないタイプのシューズがリリースされたが、今ではランニングやあらゆるアクティビティ用のバリエーションが多数ラインアップされる。

5本に分かれた指先部分。衝撃を吸収しグリップ力と足の保護の役目を担うラバーのパッドは、ご覧の通り足の動きに合わせた形状になっている。指の関節までが、しっかりと機能するように細かく分かれているところに注目。

どうしても、5本の指が独立した個性的なルックスの目を奪われてしまいがちだが、実はソールにも様々な工夫がなされている。メジャーなソールブランドの作るシューズだけに、ソールの機能性が追求されているのは、当然と言えば当然のことなのだが、そのアプローチが現代のトレンドとまったく相異なるから興味深い。

バリエーションが豊富なファイブフィンガーズには、ソールに凹凸のないモデルもある。これは、使用するフィールドごとに最適な形状を追求しているため。理想で言えばソールは平たい方がいいが、それは使い方にもよるそうだ。


空気を充填したクッションをソールに埋め込んだスニーカーがブレイクして以来、シューズメーカーやスポーツブランドはハイテクソールの開発に躍起となり、その競争は止まることを知らないまでに過熱している。次の1歩へと繋げるための反発力を生み出すソールから、低反発のクッション材を採用したものまで、そのバリエーションやアプローチ方法は数え切れない。だが、ファイブフィンガーズは、そういったトレンドに疑問を抱き、人間工学を追究した結果、まったく逆の結論へと至った。
 
そもそも、人間が走る際、かかとからは接地しないのである。というよりも、ほとんどかかとは使っていない。主に使っている部分は、フォアフットと呼ばれる指の付け根より後ろの限られたところだけだ。意識して走ってみれば、それは十分に理解して頂けるだろう。それが証拠に、陸上競技用のスパイクも、その部分にだけ鋲が打ってある。だから、ファイブフィンガーのソールはフォアフット部分を少しだけ厚くしているほかは、総じて薄い。特に、一般的に様々なハイテク素材や機構が投入されるかかと部分は、より薄く作られている。そこに、クッション性は不要だからだ。

一番最初に登場したクラシックというモデルは、それこそアッパー部分もほとんどなく、足先とかかとしか覆わないような素足に限りなく近いものだった。このKSOはクラシックをベースにアッパーを覆いあらゆるシーンで使えるようにしたもの。


こう書くと、アスファルトの路面を走ると膝に負担がかかり、関節を痛めてしまうのではないだろうか!? という疑問が生じる。しかし、それこそが絶妙なるマーケティングと、商品価値を高め収益性を上げるために大手のメーカーが打ち出したコマーシャルによる思い込みで、人間が走る時には前傾姿勢となり、特に意識することなく体が勝手に上手く膝を使って衝撃を逃がす。要は、足が自然に動くのを妨げないで、体の姿勢をバランスよく保つことの方が重要で、その点ファイブフィンガーズは軽く、足にピッタリとフィットしボリューム感もないので足の動きの妨げにならない。ゆえに、足に備わる機能をフルに使いながら、負担の少ないランニングが可能なのである。
 
このシューズは、すでに世界中で大ヒットしている。
その火付け役となったのが”BORN TO RUN”という、事実をベースにじゃっかんの脚色を加えた1冊の本だ。これは、ハイテクなアイテムを貪欲に取り入れ、走りを極めようとする男性ランナーが、いくらハイテク武装しても依然として自分の足が痛くなることに不満を覚え、走るという行為自体を深く調べていく物語。そして、最終的に行き着いた究極の回答は、長距離をいともたやすく当たり前に走り続けるタラウマラ族にあった。彼らは、スニーカーなんか履いていない。素足で長距離をランニングしても、足を痛めたり、怪我をしたりもしない。我々が半ば常識と捉えていた、走りの科学は矛盾するものだらけだったのだ。

フォアフット部の厚みを増やしクッション性を高め、アッパーに使用する素材も通気性の良いメッシュ地としたランニング用のBIKILA。素足に近い感覚を残しつつも、ランニングに最適なホールド性を確保した人気のモデル。

SPEEDは、BIKILAと同一のソールを採用したランニング用のシューズ。甲の部分のホールド性に自由度を持たせるため、ストラップによる調整ではなくシューレースによりホールドさせるタイプとしている。ファッション性が高いのも特徴。

この本は、全米でベストセラーを記録し、20万人以上のアメリカン・ランナーの走りを変えた。そして、この本に共感を覚えた人たちが選んだシューズがファイブフィンガーズだったのである。

何も走る事だけに限った話ではない。文明は進化し、我々の生活は豊かに、そして驚くほど快適になった。ハイテクは我々に多くの恩恵を与えてくれる。だけれども、それが絶対に正しい訳ではない。効率ばかりが最重要項目として扱われる昨今、これを機にもう一度人間本来のあるべき姿、人生の意味を考えるのもいいかもしれない。たかがシューズ、されどシューズ、ファイブフィンガーズは優れた靴であるばかりか、現代人とその文明へのアンチテーゼでもあるのかも知れない。今までの思い込みや常識、既成概念を覆す快適さをぜひ味わって欲しい。