ゲームには、真剣に取り組む価値がある。 eスポーツ界を牽引するプロゲーマー・ときど氏インタビュー

東大卒のプロゲーマーとして注目を浴び、ストリートファイターⅤのプレイヤーとして、世界タイトルを次々に獲得し、活躍を続ける、ときど。彼の登場で、格闘ゲームの世界は一気に華やぎ始めた。最強と言われるキャラクター『豪鬼』を自在に操り、高水準の攻略で対戦相手を徹底的に追い詰める。その冷徹なプレイと表情に海外では「Murder Face」と呼称される。ひたすら勝利にこだわり、挑戦を続ける動機、そして熱情の底流にあるものとは。

まずうかがいますが、ときどさんにとっての格闘ゲームの魅力とは何でしょうか。

一般的にはまだ浸透しているゲームではありませんから、画面上で闘う「勝った、負けた」というだけのゲームだと思われていると思います。しかし、実はプレイヤーの性格や普段の取り組み方が、さらけ出されてしまう面白さがある。そこが魅力ですね。対戦相手が辛抱強いなとか、あるいは早く終わらせたいと思って投げつつあるな……とかわかる。瞬速を争うだけに考える暇がないので、嘘がつけないんです。相手にどれだけの真剣さがあるか、何をもってゲームをしているか、何をもって生きているかさえ如実に現れてしまう。それぞれのキャラクターの裏に“人間”がいるということです。それは、きっと観衆にも見抜かれているはず。そこが、非常に面白い競技です。

奥が深いですね。短い時間にドラマがある。いつごろから、そのようなことを感じたのですか。

もちろん、初めからそんなことを感じていたわけではないです。小学校2年生の頃からゲームの面白さにはまってやり続け、25歳でプロになって、その3年後(2013年)、ももち(百地祐輔)に敗戦してからです。それまで勝ち続けて来たから、あの負けは大きな衝撃でした。それまで僕はとにかく短い期間で早く勝つ、早く攻略するという合理的で理詰めの技を習得、勉強でいえば「公式」を完璧にマスターして、大会でその差、結果を出すという姿勢、哲学を持って走り続けてきました。ところが、それでは勝てない人が出てきた。違う哲学を持った人が現れたわけです。

初めて挫折を味わったという感覚ですか。

ええ。すごく怖くなりました。ももちをはじめ、これだけすごいプレイをするプロたちと、自分は今後もずっと勝負していかなくてはならないという怖さです。けれど、怖くなったと同時にうれしくもありました。この人たちと自分はいったい何が違うのか。まだまだ自分には強くなれる余地があると思ったんです。

打たれ強いですね。

でも、そこから自分の新しいやり方を獲得するのは簡単ではなかったですね。非常に苦しかった。試行錯誤しながら、あるときこれまでの自分のやり方を全部、捨てました。複数やっていたタイトルもひとつに絞り込んで集中した。それまで5、6種類のタイトルを並列してやって、上位入賞の確率を上げれば差をつけられると、調子のいいことを考えていたんです。
けれど、なかなか結果が出せなくて、抜け出すのに2年余りかかりました。

その間に、もうやめたいと思ったことはなかったですか。

辞めよう……とは思わなかったですね。自分が覚悟して選んだ道だし、かなりの負けず嫌いなのでしょう(笑)。いちばん辛いなと思ったのは、ある戦いで不甲斐ない負け方をしたときに、練習につきあってくれていたプレイヤーから「あの戦い方はない。一緒に練習している人たちへの裏切り行為だよ」と言われたことです。おそらく僕はまだ「勝負哲学」のようなものが確固としていなくて、僕を倒した人たちのやり方を真似して必死に練習していただけ。甘くはない勝負の世界を履き違えていた。勝負の裏、ゲームは真剣に考え抜き取り組めばもっと深堀りできるものだということに気づかなかったんです。それは、技術だけではなくて人間の内面、深さとか魅力とかも関わってくるんだと気づくことでもあった。ウメハラ(梅原大吾)さんのゲームが面白く、エンタメ性があるのはそういうところなんです。あの時期は僕自身が人として成長するために必要だったのだと思います。

負けず嫌いは小さい頃からですか。

そうですね。僕は中学校・高校と学力的に高い学校に通っていましたが、逆立ちしても勝てない優れた人たちがたくさんいました。そんな中で、格闘ゲームなら誰にも負けないと。ゲームセンターを“自分という存在の居場所”としていました。誰よりも真剣に勝負している自負があったし、親や周りに何か言われたくないがために、勉強もしっかりやった。すべてはゲームをやるためでした。
誰かに負けると猛烈に悔しかったですね。「いつか倒してやる」「このままでは終わらせない!」と。この思いは、いまもずっと変わりません。

東京大学・大学院を中退して、プロの格闘ゲーマーとなった。どういう決意があったのでしょう。

それまでトントン拍子で生きて来られていたのが、希望する研究室の試験に落ちたりして、研究への情熱も失せていろいろなことがうまくいかなくなったんです。今後、どうしたらよいのかわからなかった。でも、人間的に未熟だったから、自分の弱みを見せたくなくて人に相談できなかったんです。中退して安定した地方公務員になるか、100人に聞いたら99人が反対するだろうプロゲーマーという職業を目指すか、長い時間、悩んで葛藤しました。
初めて人に相談しようと思って父に話したんです。そうしたら『好きにやったらいいよ』と。そして、初のプロゲーマーとして活躍していたウメハラさんにも相談しました。そしたら『チャレンジしてみるのもいいんじゃないか。人生は1回しかないんだから』と。

そして決断した。

さらに、自分の心の声も聞きました。公務員になって、家庭を持って、幸せに暮らしていることを想像してみたんです。ある時、ふとつけたテレビにかつて対戦したプレイヤーたちが映って試合していたら……。そんなことを考えたら、もう絶対に後悔すると思いました。「ああ、自分はそういう人間なんだ。どうしようもないくらいに格闘ゲームが好きなんだ」と、溢れる気持ちを止められなかった。自分はもうそっちに行くしかないと、決心しました。

その後は、曲折あれど快進撃をしてきました。ときどさんにとってプロフェッショナルとはどういうものですか。

ゲームは僕の生業。無様な負け方はしまいという姿勢です。昨日の自分より強くなることが大切なんです。対戦中、特に力のレベルが拮抗してくると、精神的な負荷がかかってきます。けれど襲ってくるそのストレスから逃げたいあまり、うわっと試合を投げ出すことだけはしまいと。投げ出すことは敗北そのもの。プロだったら最後の最後まで歯を食いしばって、やり遂げて、真剣に負けろと思います。そうでなければ絶対に強くなれない。
勝負事って攻略や技術だけの要素ではない、メンタルや身体の状態によってものすごく左右されるものだと、日々痛感しています。

フィジカル面では、毎日どのような調整をしていますか。

1日の練習は7時間ほど。そして週に3日、ジムで筋トレをし、空手を習っています。武道から何かヒントが得られるのではと始めました。空手着を着て、グローブをつけてスパーリングもします。それから目の動きのトレーニング。自分の目の動きのクセを知るためや、ゲームの動きに必要な周辺視野を広げるためです。アスリート的と言われれば、そうかもしれませんね。ストイックと言われますが、最高の試合をするためには当たり前のことで、まったく苦ではないです。

プレイヤーであると同時に、新たな地を拓いていく若手起業家のような一面も感じます。突き動かしているエネルギーの源泉はどういうものですか。

ふたつあります。ひとつは世間に対して「ゲームは真剣に取り組む価値のあるものだ」「ゲームは人を成長させるものだ」ということを言いたい、示し伝えていきたい、という強い気持ち。それは、僕自身が小さなころから抱えている命題のようなもので、怒りに似た感情といっていいかもしれない。かつてゲームセンターはマイナスのイメージでした。不良の溜まり場のように言われていて、ゲームは良くない、悪いものとしてずっと捉えられていた。懸命に真っ当に取り組んでいたのに理解されず、うしろめたく、やりきれない思いを抱いて辞めていってしまった人も多い。僕は、世代の違う彼らからたくさんのことを学びました。
いまは世の中が変化してゲーマーはずいぶん生きやすくはなったけれど、それでもまだ日本においては認められない面もあります。
真剣にゲームをやって、真剣に生きていた人たちがいた、いまもいる、と知って欲しい。

非常に面白い世界であると知ってもらって、裾野を広げたい。それが僕の人生の課題、挑戦です。そして僕自身、競技者としての人生を全うしたい。燃え尽きる舞台を失うわけにはいかないんです。
業界が存続していくためには、プレイヤーたちが連帯して底上げしていくしかないと考えています。

プレイヤーは、それぞれ強力なライバルというだけでなく、同じ仲間として練習しあい切磋琢磨していることに驚きました。

あるころから、互いをレベルアップしていくために、そのように変えざるを得なくなりました。お互いに顔を突き合わせて練習し、議論しあう方法をとっています。時にはキツイことも口にし合いますが、そうすることで互いに技術もメンタルも向上し成長していきます。

試合では敵同士になるとしても。

もちろんです。容赦ない戦いの場ですから。そしてもうひとつ、僕を動かしているエネルギーは、世界ナンバー1のプレイヤーになることです。世界でいちばん強いプレイヤーにならなければ納得できない、絶対に気がすまない。これだけ身を切るように真剣にやっていても、まだまだ上には上がいる状況が許せない。これからも、トップになるために挑戦し続けていきます。

プロフィール
ときど 本名・谷口一(たにぐち はじめ) 1985年、沖縄県出身。神奈川県横浜市で育つ。麻布中学校・高等学校卒業後、東京大学教養学部理科1類入学。同大工学部マテリアル工学科に進学。同大学院工学系研究科マテリアル工学専攻中退。2010年、格闘ゲームのプロとしてデビュー。年間に出場する国際大会は20を超え、海外大会での優勝はトップクラスを誇る。実績に世界最大大会EVO2017 優勝、NorCal Regionals 2019 優勝(米)、Canada Cup 2019優勝(カナダ)ほか。TOPANGA所属。父は東京医科歯科大学名誉教授の谷口尚氏。「ときど」という名は“飛んで キックして どうしたぁ”という連続技しか使わなかったことに由来している。