カルロ・アバルトの素顔を探る 周囲の証言から浮き彫りになるその人物像とは

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アバルトの創業者 カルロ・アバルト

「ABARTH&C.」を41歳で設立し、自動車好きから熱烈に愛されるカーブランドへと育て上げたカルロ・アバルト。モータースポーツシーンで活躍し、ロードカーの分野では乗り手を魅了する数々のモデルを送り出してきた。今回は、そんなカルロについて書かれた文献から周辺の人々のコメントを拾い、そこから浮かび上がってくるカルロ・アバルトの人物像に迫ってみたい。

カルロは、オートバイのレーサーを経て、自動車の世界に入った。ABARTH&C.創業前には、新興スポーツカーメーカー、チシタリア(CISITALIA)のレースカー開発プロジェクトにエンジニアとして参画し、フィアットのスポーツカー「204」の開発に携わっている。トリノを拠点とするその会社は資金難から存続の危機を迎え、プロジェクトは頓挫してしまうが、カルロの「204」に対する情熱と執着はその後、思わぬ展開で結実する。チシタリアでワークスドライバーを務めていたグイド・スカリアリーニとその父親のアルモンドがアバルトの技術力を高く評価し、彼をトップとした会社設立のバックアップを申し出たのだ。そして1949年に「ABARTH&C.」は誕生する。

チシタリア時代から開発が続けられた「204」は、アバルト第1号車として「アバルト204A」の名で世に送り出された。不屈の精神と人望に支えられた挑戦が自動車史に新たな1ページを刻んだ。アバルト204Aは国内レースでいくつか優勝を収め、会社設立前からモータースポーツに挑戦していたカルロは、自動車メーカーの経営者として新スタートを切ってからも、当然のようにレース活動を続けた。


かのタツィオ・ヌヴォラーリも乗った有名なレーシングスパイダーに加えて、このクーペのようなエレガントなロードバージョンもごく少数が製作された。

事業を軌道にのせ、数々のスピード記録を打ち立てていく

レース活動には多大な費用が必要だったが、その資金源となったのは、エキゾーストパイプをはじめとする自動車パーツの製作・販売で得た収益だった。カルロ・アバルトをよく知る人物のインタビューで編成された『ABARTH memories』には、チシタリア時代からカルロと苦難を共にしたレンツォ・ アヴィダーノ技師が口にした、ABARTH&C.創業時のエピソードが紹介されている。

Abarth_Memories
『ABARTH memories THE PROTAGONISTS OF THE MYTH』Luca Gastaldi 2015
カルロ・アバルトを知るさまざまな人物のインタビューから、その人物像に迫った一冊。記事はイタリア語と英語を併記したつくりとなっている。

カルロが会社の屋台骨となる業務を模索していた時、彼のもとで働いていたアヴィダーノはチシタリア時代の同僚で後にフィアットに入社した人物を訪ね、そこで純イタリア製の自動車用マフラーを求めるニーズがあることを知った。アヴィダーノがカルロにそれを伝えると、カルロは直ちにそのマフラー生産のために空き工場を買収し、2輪時代に積んだマフラー作りの経験を発揮して、フィアット500用マフラーの製造に取りかかったという。行動力の高さとビジネスに真摯に取り組むカルロの姿勢がうかがえるエピソードだ。

カルロは自ら手掛けたチューニングカーで、速度記録にも積極的に挑戦した。記録を塗り替えると新聞がそれを報道し、アバルトの名声と認知は広まっていった。また、カルロはフィアット車でモータースポーツに参戦し各地で優勝を重ねた。そうして得られた賞金を用いて、より速く、より完璧なクルマをつくりあげることに情熱を注ぎ、世界中のエンスージアストを魅了していったのだ。

『Car Magazine MEMORIES ABARTH』は速度記録について、カルロの一面を示すユニークなエピソードを紹介している。いくつもの記録を達成してきたアバルトだが、記念すべき100個目の記録は、自らの運転で挑戦することを切望したという。その100個目の挑戦はモンツァのオーバルコースで行われた0-400km/h加速の競技だった。カルロは体格がよかったため、アヴィダーノ技師は狭かったコクピットを改造して乗れるようにした。そしてカルロは見事記録を樹立し、目標を達成した。

Car Magazine_MEMORIES
『Car Magazine MEMORIES ABARTH』 株式会社ネコ・パブリッシング 2001年8月28日発行 自動車エンスージャストから絶大な支持を受ける『Car Magazine』の掲載記事で振り返るアバルトの特集本。市販車をベースにした高性能マシンから栄光のラリーマシンまでを紹介している。

アバルトは常に新しい挑戦に向っていった

ところでカルロは、伊達男としても知られていた。アヴィダーノ技師によると彼は背が高くハンサムだった。いつも仕立てのいいスーツとタイを身につけていたという。カルロの3人目で最後の夫人、アンネリーゼ・アバルトは『ABARTH memories』のインタビューで「カルロはイタリア文化をこよなく愛し、常にきちっとした身なりでエレガントに振る舞っていた」と答えている。

ファッションへのこだわりからか、カルロは当時まだ一般的ではなかった自動車ファッション“オートブティック”部門を立ち上げていた。スポーツウェアといえば男性向けが中心だったその時代に、ABARTH&C.はミラノを拠点とするファッションデザイナー、エヴァ・サバティーニと手を組み、女性向けのアパレルを展開していた。誰も手をつけていない新しいことに挑戦するアバルトの姿勢があらわれている。

ABARTH&C.にはピーク時で500名ほどのスタッフがいたという。アンネリーゼは「アバルトはよく厳しい人だと言われたが、実はとても繊細で、仲間にとても寛大だった」と述べている。

カルロ・アバルト。その足跡を少したどっただけでも、彼がレースをこよなく愛し、不屈の精神で挑戦を続けた冒険心あふれる人生観が浮かび上がってくる。一方で、どこか温かみがあり親近感を抱かせる一面も持ち合わせていたようだ。そうしたカルロ・アバルトの人となりは、高い走行性能を発揮しながらも、人間味豊かなアバルト車の魅力になにか通じるものを感じる。カルロを取り巻く人たちも、彼を慕い、その情熱を共有していたからこそ、その想いをモノづくりに発揮することができたのだ。アバルトを好きで乗っている人ならば、熱く生きた創業者の息吹をそのクルマに感じることができるだろう。

カルロ・アバルトについて、さらに詳しく知りたい方はこちらから。
全3回にわたって日本のビジネスリーダーが大いにアバルトの魅力を語る「挑み続けるリーダー」。
vol.1 ABARTH 595C TURISMO + 成毛眞氏
vol.2 NEW ABARTH 595 COMPETIZIONE(MT) + 高島郁夫氏
vol.3 NEW ABARTH 595 COMPETIZIONE(AT) + 森川亮氏

Text:曽宮岳大