自分を前向きにしてくれる大切な存在 アバルトライフFile.41 出石さんと595

ドライビンググローブの職人さん

チャチャ、チャチャ、と短い区間をリズミカルに縫い上げて、クルリと革を回転させると、次にはチャカ、チャカ、チャカ、チャカ……と長い区間を繊細に。直前まで小さな革のパーツだったものが、見る見るうちにドライビンググローブへと姿を変えていきます。

「ミシンごとに個性があるんです。だから工房で自分が使うミシンは決まっているんですよ。それを自分が制御しやすいスピードに、使いながらちょっとずつ調整します。機構的に難しいところはプロに調整してもらうんですけど、簡単なところは自分で調整しますよ。父に教わりながら」


595オーナーの出石実咲さん。

日本で最もよく知られているドライビンググローブのブランド、CACAZANを展開する出石手袋。100%ハンドメイドで作る同工房の紹介記事をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。記事内にはアバルト595が登場していますが、その595のオーナーが出石社長のお嬢さんの実咲さん。今回は若き手袋職人さんである実咲さんにお話をうかがってきました。

「ミシンの針のスピードは、ペダルの操作で制御します。ジワッと踏めば針の上下はゆっくりだし、グイッと踏めば速くなります。クルマの運転と一緒。クルマのエンジンを制御する感覚とミシンのモーターを制御する感覚って、かなり似てるんですよ。クルマの運転が繊細な人は、ミシンの操作も繊細です。だからクルマの運転はミシンの練習になるし、ミシンの操作はクルマの運転のいい練習にもなりますね(笑)」


実咲さんはグローブ職人として、縫製から仕上げまでほとんどの工程をこなします。

実咲さんは高校を卒業し上京、都内のファッション系の専門学校に進学しました。理由は靴や鞄、アクセサリーといった革製品を学ぶことができるから。卒業後すぐにさぬきに戻り、お父さんを師匠として手袋職人として修行を開始。平日は工房で手袋作りに従事し、週末にクルマのイベントにCACAZANが出店をするときにはブースで説明スタッフ兼販売スタッフをつとめるなど、今や欠かせない戦力です。師匠であり、スタッフの皆さんから“The 職人”と言われるほど仕事に対して厳しい姿勢で臨まれてる出石社長も、「こうるさく教えなくても、全部自分でやってますよ。いちばん難しいところとかはまだやらせてないけど、やれるでしょうね。基礎はできていて、あとは応用するだけですから」と、実咲さんの将来に強い期待を寄せています。

「父は兄と私に継がせたかったんだと思います。高校生の頃に進路を考えるとき、最初に思い浮かぶのは自分の目につく職業じゃないですか。例えば学校の先生になりたい、とか。それが私の場合は手袋職人だった、ということかもしれないですね。父も秘かにせっせとレールを敷いていたようで(笑)、私が進学した学校も父にさりげなく勧められたところでした。自分のやりたくないことをやっても続かないし、どうせなら誰かに喜んでもらえることをしたいと考えていたので、手袋職人の仕事をするのは嫌ではなかったんだと思います。CACAZANのグローブを気に入って使ってくださる方達を見てきましたから。誰もができる仕事じゃないし、外では学べないことを学べるのは幸せだとも思っています」


ミシンの使用はお手の物。縫ってはカットして…と作業を繰り返すことから効率よく作業するためハサミを握ったままミシンを操っていました。

大事にしているのはフィット感

ドライビンググローブを手掛けているくらいですから、CACAZANの代表である出石社長は、もちろん大のクルマ好き。ガレージの中に2台のスポーツカーを収めているほどです。そういうお父さんやお父さんのお仲間達、そして工房を訪ねてくる熱心なクルマ好きのお客さん達と接しているうちに、実咲さんもいつの間にかクルマが好きになっていたのだそうです。最初に手に入れたのは、日本製の小さなオープンスポーツカー。そして2台目が、アバルト 595でした。

「スポーティなクルマが好きなんです。だけどスポーティなモデルには大きいクルマが多いので、そうなると私が小さいからフィットしない。サイズの合わない服を着てるみたいで、違和感があるんです。自分の身体に合うサイズで楽しいクルマというと限られていて、だけどアバルトはものすごくフィット感があるんですよ。そこがいちばん気に入ってるところですね。どこにでも迷わずスイッと入っていけるのは、もちろんサイズの小ささもあるけれど、自分にフィットしてる感覚があるからだと思うんです」


生活の移動の大半はクルマ。実咲さんは日常の買い物から週末の移動までいつも595で移動しているそうです。

なるほど、フィット感ですか。手袋の職人さんらしいこだわりですね。

「フィット感ってとても大切。手袋は感覚の鋭い部分につけるものだから、なおさらですよね。でも……さっきのお話は乗っているうちに実感したことで、実は購入前には595には一度も乗ってなくて、実感も何もなかったんです(笑)。MT車が欲しいと思いながら教習所以来MT車を運転してなかったので、ショールームに試乗にいったときには父に運転してもらって、私は助手席でした(笑)。父は“これはいいなぁ”って楽しそうに運転していましたけど、エンジン音がすごくいいし、加速の具合もいいし、私は隣に乗ってるだけなのに“これは絶対に楽しいクルマだ”という予感がしたんですよ。だからその日に即決しました。予感は正しかったです(笑)」


595はサイズ感がちょうどいいと感じているようで、「どこでも迷わずスイっと入っていけるところがいい」と話す実咲さん。

納車されたのは2018年。それから年平均15,000kmほど走って、現在は45,000kmオーバー。順調に距離を重ねています。

「クルマがないと生活しにくい土地だし、買い物に行くにもちょっと足を延ばさないと楽しいところがないんです(笑)。出店するイベント会場まで乗って行くときには、結構な長距離になりますしね。仕事が終わってから走りに行くこともあります。この辺にはワインディングロードもあるし、気持ちのいい海沿いの道もあって、買い物のついでに少し流して走ったりとか。アバルトは普通に乗っているだけでも楽しいんですよね。パワーも私には十分だし、カーブを曲がるのも楽しい。595 Competizioneにも乗ったことはあるんですけど、私には色々な意味でハード過ぎて、このベースが合ってるみたいです。スポーツモードに入れると“これに慣れちゃったら他のクルマには乗れないな”って感じるくらい楽しいから、本当に楽しみたいときしか使わないようにしています」


595を走らせると気分転換にもなる、と話す実咲さん。

実咲さんは様々なイベントで数多くのクルマを見てきているし、色々なクルマのオーナーさん達と話をしたりもしてきています。他に気になるクルマが出てきてもおかしくはない環境におられるわけですが……。

「それが、不思議なことに全然ないんですよ(笑)。アバルトはまったく飽きていないですし、他に目移りすることもないんです。次のクルマっていうのが思い浮かばないんですよね。きっと私、ものすごく満足してるんだと思います。最初からワクワク感は強かったけど、今も運転していて“あぁ、楽しいな……”という感覚は変わってないですね。ちっとも冷めてないです。普通のクルマでもお買い物とかにはいいでしょうけど、楽しみたいときには物足りない。目的もなく走ることも結構ある……というか、走ることが目的みたいになってるときもあります。こういうクルマって、そんなにないんじゃないでしょうか……?」

目標はお父さんを超えること

595をかなり気に入られているようですね。実咲さんの今後の目標を教えてもらえますか?

「そうですね……。父は手袋作りに関してすべてを自分の手ですることのできる、業界でも珍しい存在です。父が100できることがあるとすれば、私はひいき目に見ても今は40いくかいかないか。負けず嫌いなので、いずれは師匠である父を越えたいとは思っています。でも、父は今も進化しているし、これからもそうだと思うんです。簡単に超えられる存在じゃないですね。もちろん目標にしているし仕事に妥協をするつもりはないんですけど、ときどきその現実が迫ってくることがあります。父はあまりうるさく言うタイプじゃないですけど、“ここはこうした方がいいだろ”みたいに言われると、ものすごく悔しい(笑)。ものすごくショックで」


実咲さん愛用のドライビンググローブには、自ら刺繍を施したサソリのロゴ(左)。シートベルトにも自作のカバーや装飾を施すなど、アバルトへの愛情を感じるカスタマイズを披露してくれました(右)。

師匠ですから、当然といえば当然ですね。うるさく言われないことをありがたいと感じるべきかもしれませんね。

「そうですね。わかってはいるんです。でも悔しい(笑)。私、まだまだ甘いという証拠だなぁ、まだ職人になりきれてないんだなぁ……って。だから、仕事は楽しいし、やりがいも感じてるけど、ときどき仕事から離れたくなることもあるんですよね。私は自宅でも工房でも家族と常に一緒で、いいこととそうじゃないことが背中合わせなときもありますし(笑)。でもそんなときにアバルトに乗ると、普通に走ってるだけですごく楽しいから、気分転換になります。コンビニまで行って帰ってくるだけで、悩んでた気持ちが軽くなる。すっきりさせてくれるんです。根がネガティブな(笑)私を、前向きな気持ちにさせてくれる。そういう存在だと思います。私は熱狂的なクルマ好きっていう感じじゃなくて、もっと冷静だと思うんですけど、これに乗ったら絶対にいい時間が過ごせるって思ってるし、どこかに行くならこれに乗りたい……うまく言葉にできないなぁ。でも、とっても大切な存在です。ないとものすごく寂しいと思う。整備で長く預けているときには、精神崩壊するかと思いました(笑)。どこにも行きたくなくて、用事がないと外に出る気にもならなかった。だから精神安定剤のようなもの、かな。……あれ? あんまり冷静じゃないかもしれません(笑)」


ご家族で営まれているため、工房はアットホームな雰囲気。写真右が実咲さんのお父様にあたる出石社長。その隣はお母様。

仕事とアバルトについて明るく朗らかに語ってくださった実咲さんですが、ちょっとした悩みもあるのだとか。

「父は仕事のときには必要なことしか言わないんですけど、アバルトの隣に乗っているときは、うるさいんです。“もっと回転を引っ張って走れ」とか。人を乗せているときに引っ張って走ったりしないですって(笑)。そういうのはひとりのときに楽しみますから」

その問題を解決するには、手袋職人としてだけじゃなくクルマ好きのドライブ好きとしても、父であり師匠でもある出石社長を超えるしかないでしょうね。イベント会場に出店されているときには様子をうかがいに行きますから、がんばってください。楽しみにしてますからね。


CACAZANのドライビンググローブ。立体整形ゆえ手にぴったりフィット。左のモデルはニットKNR-071アイボリー×キャラメル(27,000円)。右のモデルはDDR-071Rネイビー×グレー(28,000円)。WEBサイト:https://www.caca-zan.net/

文 嶋田智之

アバルト公式WEBサイト