PORSCHE 356B CARRERA ABARTH GTL|アバルトの歴史を刻んだモデル No.036

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1960 PORSCHE 356B CARRERA ABARTH GTL
ポルシェ356B カレラ・アバルトGTL

アバルトとポルシェのコラボレーション作

1950~1960年代のアバルトと聞くと、多くの方はフィアットをベースとしたクルマをイメージするだろうが、その歴史の中には意外なコラボレーションが存在した。その最たるものが今回ご紹介する「ポルシェ356 カレラ・アバルトGTL」である。

ポルシェは量産モデルの「356」でGTクラスのレースに挑んでいたが、ベースとなる市販モデルの快適性を高める改良を重ねるたびに車重は重くなり、エンジンのパワーアップだけでは戦闘力の低下を補うことが難しくなっていた。そこでポルシェ社はレース用として4カム(DOHC)ヘッドを備える356カレラ1600GSをベースに、軽量なボディを架装するというアイデアを計画したのだった。そこで白羽の矢が立ったのが、アルミニウム製ボディの軽量なマシンでレースを席巻してきたアバルトだった。このプロジェクトはポルシェ側からアバルトに持ちかけられたものだったが、実はカルロ・アバルトとポルシェは、創業以前から深い関係にあったのである。

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トリノのアバルトのファクトリー前で撮影されたポルシェ356B カレラ・アバルトGTL。フランク・スカリオーネがデザインを担当し、それまでのザガート・デザインとは違う雰囲気に仕上げられた。ボディにはどこにもアバルトのエンブレムは付かない。

カルロ・アバルトは第二次大戦後にイタリアのメラーノに戻り、自動車に関する様々な技術を扱う会社を設立した。その業務の一環として、イタリア国内におけるポルシェの自動車およびレーシングカー、および各製品の代理権を獲得していたのである。

ところでトリノの実業家ピエロ・ドゥジオが設立したチシタリア社は1946年に、排気量1493ccのV12エンジンにスーパーチャージャーを組み合わせ、300HPを発生するミッドシップ4輪駆動車という画期的なハイテク・グランプリカーの製作を決意していた。そのグランプリカーの開発にあたり、同社は高い技術力を持つポルシェに技術協力を依頼し、その際にチシタリア社のスポーティング・ディレクターとして加わったのが、イタリアでのポルシェ全般に関する契約を持ち、かつレースの経験も豊富なカルロ・アバルトだったのである。

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写真はプロトタイプのためエンジンフードのクーリング用ルーバーが左右5条ずつだが、量産型では左右6条に加え、中央に12条×2列が追加された。上面には開閉式のインテークフラップが設けられ冷却性能を高めていた。写真はフラップを開いた状態。

1959年9月、ポルシェは356Bのフロアパンを利用した2シーターGTのボディ製作をアバルトに依頼することで正式に契約を交わし、異例といえるポルシェとアバルトのコラボレーションが現実のものとなった。アバルトはこれまでに築いてきた軽量なボディ製造技術を駆使してそのGTモデルの製作に着手した。デザイナーはベルトーネを離れたフランク・スカリオーネを起用し、空気抵抗を減少させるためにフロントオーバーハングを伸ばし、低いルーフを持つデザインを完成させた。ちなみにノーマル356のCd値は0.398だったが、カレラ・アバルトでは0.365まで低減していた。

デザイン的にもアバルトの成功作であるレコード・モンツァのイメージを引き継ぎながらも、ひと回り大きな356にふさわしいボクシーな形状とされ、リヤフェンダーは太いタイヤを収められるようにダイナミックに張り出す形状とされた。またエンジンのクーリング性を高めるためにエンジンフードには多数のルーバーが設けられ、さらに上面に設けられたインテークのフラップを開くことで外気を取り込める構造とした。ちなみにこの開閉式インテークは効果が高かったことから、1961年に作られたフィアット・アバルト1000ビアルベールにも受け継がれた。

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インテリアは基本的に一連のアバルトGTモデルのデザインを受け継ぐ。しかし計器類はベースとなったポルシェ356のものが採用された。

ボディの製作はトリノにあるアルミニウム板金のスペシャリストであるロッコ・モットが請け負った。こうしてアバルトがプロデュースしたボディを持つポルシェ356BカレラGSは、「ポルシェ356B カレラ・アバルトGTL」と呼ばれることになった。GTはGTクラスを戦うマシンであることを示し、Lはドイツ語で軽量を意味する「Leicht」の頭文字から取られた。

1960年3月に発表されたプロトタイプは、スペックこそカレラ1600GSと変わらないが、車両重量は900kgから780kgへと大幅に軽量化され、最高速度は200km/hから220km/hへと高められていた。

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ダッシュボードはシンプルなデザインで必要最小限のものしか備わらない。シートはザガートタイプのサイドサポートに優れた形状を採用した。

ポルシェ356B カレラ・アバルトGTLは、レース出場のためホモロゲーションを取得すると、5月の世界スポーツカー選手権タルガ・フローリオをデビュー戦に迎えた。ここではヘルベルト・リンゲ/パウル・エルネスト・シュトラール組にステアリングが託され、5台のプロトタイプマシンに次ぐ総合6位、GT2.5リッタークラスのクラス優勝を果たした。2週間後のニュルブルクリンク1000kmではマセラティ・ティーポ61、フェラーリ250TRなどの大排気量プロトタイプマシンを相手に総合7位に入り、6月のル・マン24時間では大排気量のマシンに続く総合10位、1.6リッタークラスの優勝を勝ち取る活躍を見せた。

翌1961年シーズンもその勢いは衰えず、タルガ・フローリオ、ニュルブルクリンク1000km、ル・マン24時間でプロトタイプマシンを相手に大健闘し、クラス優勝をシュツットガルトに持ち帰ることに貢献した。

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リヤに搭載されるタイプ692/3 B4エンジンは、当時のポルシェ最強の4カム(DOHCだが水平対向エンジンのため4本のカムシャフトが備わることから)ヘッドを備え、1587ccから市販仕様で115bhpを発揮した。レース用は最終的に165bhpまで高められた。

こうしてポルシェとアバルトのコラボレーションによるコンペティションGTプロジェクトは大成功を収めた。しかし、1963年シーズン半ばからポルシェのワークスチームは自社でマシンを製作することになり、戦闘力を高めた通常ボディの356B 2000GSに切り替え、356B カレラ・アバルトGTLの活躍にはピリオドが打たれた。しかしアバルトとポルシェというビッグネームによる最初で最後のモデルであるポルシェ356B カレラ・アバルトGTLは、21台のみが作られた希少性も加わり、コレクターにとって究極の1台となっている。

1960 PORSCHE 356B CARRERA ABARTH GTL
全長:3980mm
全幅:1672mm
全高:1228mm
ホイールベース:2100mm
車両重量:780kg
エンジン形式:空冷水平対向4気筒DOHC
総排気量:1587cc
最高出力:115bhp/6500rpm
変速機:4段マニュアル
タイヤ:5.90-15/165R15
最高速度:220km/h