マルミッタ・アバルト|アバルトの歴史を刻んだモデル No.033
Marmitta Abarth
マルミッタ・アバルト
アバルトの発展を支えた礎石
この連載記事では、アバルトが過去に手がけた傑作モデルを中心に紹介しているが、今回は車両ではなく、創業期からアバルトの発展に寄与したパーツを紹介したい。アバルトの歴史を語る上で欠かせない存在が「マルミッタ・アバルト」、すなわちアバルト製のエキゾーストシステムだ。まだ自動車メーカーとしてブランドが確立する以前のアバルトは、カロッツェリアと組んで豪奢なGTカーを少量製作していたが、主な収益源は独自に製造・販売していたパーツだった。
創業まもない頃のアバルト社は実質的にはレーシングチームのような存在で、競争力の高いマシンを開発しては、タツィオ・ヌヴォラーリやピエロ・タルフィといったトップドライバーを擁し、数多くの栄光をトリノに持ち帰った。こうしてアバルトの名はカーマニアだけではなく、一般のクルマ好きにも知れ渡っていった。
当時から、レースに参戦するには多額の費用を必要とした。アバルトもレース活動に精力的に取り組んだ結果、財政的に厳しい状態に陥った時期があった。そこでアバルトは、1951年シーズンにレースへの参戦を休止し、自動車部品の開発・営業活動に専念した。最初に手掛けたのは、量産モデルを高性能化するチューニングパーツだった。カルロ・アバルトは持ち前のチューニングノウハウを駆使し、インテークマニフォールドやマフラーキットを作り上げ、様々な車種用にラインアップを取り揃えた。それらのチューニングパーツは、クルマ好きから高い人気を獲得した。
なかでもフィアット500トポリーノ(水冷4気筒エンジンをフロントに搭載したヌウォーバ500の前身にあたるモデル)用に用意されたコラム・ギヤシフトへの改造キットは、当時最先端のメカニズムであると同時に、ファッション的な側面からも人気を博し、大きな成功を収めた。こうしてアバルトは、再びレースに参戦するための地固めをしたのだった。
続いて送り出されたのが、エキゾーストシステムだった。カルロ・アバルトは2輪ライダー時代に、自らマシンのチューニングを行っており、なかでも得意としたのがエキゾーストシステムの開発だった。カルロ・アバルトの手がけたエキゾーストシステムはライバルたちを突き放す高いパフォーマンスを発揮した。さらにチシタリア時代からカルロ・アバルトと共に開発を行なっていたエンジニアも加わり、排気効率を高めてパフォーマンスアップさせるエキゾーストシステム「マルミッタ・アバルト」が世に送り出された。
マルミッタ・アバルトは、エンジンを組み直す必要のあるチューニングキットに比べ、簡単に取り付けられ、パワーアップできる上に、心に響くサウンドとスポーティなルックスを得られることから、たちまち人気を集めた。マルミッタ・アバルトはフィアット500トポリーノ、1100、1400をはじめ、アバルト、ランチア、アルファ ロメオなど幅広いイタリア車用に用意された。さらに英国車、フランス車、ドイツ車、はてはスクーターのヴェスパまで、さまざまなメーカーのモデルごとに専用で用意され、世界中のエンスージァストから絶大な支持を得た。やがてマルミッタ・アバルトは高性能エキゾーストシステムの代名詞となり、その成功がアバルトの経営を安定させる原動力となったのである。
1959年におなじみのヌウォーバ500が登場すると、アバルトはすぐにマルミッタ・アバルトをラインナップに加える。通常の仕様に加え、より排気効率を高めた特別バージョンも用意された。それが現在に受け継がれている「レコードモンツァ」で、これは当時アバルトがモンツァ・サーキットで数々の速度記録を樹立したことにちなんで命名された。
2007年にアバルトブランドの復活と同時に蘇ったレコードモンツァは、デュアルモードを採用することにより中速域のパワーアップを実現し、アバルトらしいエキゾーストノートは往年の「マルミッタ・アバルト」を彷彿とさせた。その後ラインナップに加わったアバルト124スパイダーにもレコードモンツァが用意され、サソリをより一層楽しむための逸品としてエンスージアストから支持を集めているのはご存じの通りだ。
クルマ作りにおいて最高の性能と美しいスタイリングを追求してきたアバルトは、エキゾーストシステムの開発において、サウンドにもこだわりを貫いた。“速いマシンは美しくなければならない”とするカルロ・アバルトのモノづくりの哲学がそうさせたのだろう。そのスピリッツは、現在のレコードモンツァに受け継がれ、常に最高を求めるアバルトファンのファン・トゥ・ドライブを支えているのである。