アバルトのヘリテージ#004 フィアット・アバルト124ラリー

フィアット・アバルト 124ラリー

FIAT ABARTH 124 RALLY

昨年10月から日本でも発売されたプントをベースとした特別仕様車“アバルト・プント・スーパースポーツ”と限定車“アバルト・プント・スコルピオーネ”にスパルタンな装いを与える、マットブラックの極太ストライプ。実はこの魅力的なスタイルには、偉大なオリジンがある。それは1972年から’75年まで、ラリーに参戦するホモロゲート獲得のために限定生産された“フィアット・アバルト124ラリー”のボンネット/トランクフードに施されていた、マットブラックのアンチグレア(防眩処理)を拡大解釈したもの。つまり、往年の名作へのオマージュなのだ。

「アバルト デイズ2012」で快走するフィアット・アバルト124ラリー。エレガントなピニンファリーナ・スタイルは、ワイルドなラリーマシンとなってもまったく損なわれない。
 

1972年にデビューしたフィアット・アバルト124ラリーは、このシーズンまでのヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)および翌’73年から開幕した世界ラリー選手権(WRC)への参戦を期して、アバルトが当時のトップカテゴリーであるFIAグループ4レギュレーションに即して開発したホモロゲート・スペシャル。フィアットの傘下に収まったアバルトが、初めて製作した車両でもある。
 

エクステリアで「ABARTH」であることを示すエンブレムは、左右フロントフェンダーに取り付けられた紋章と車名バッジのみ。ただし、このサソリの紋章はノンオリジナル。
リアエンドに取り付けられる「124 SPORT」のエンブレムは、実はスタンダードの124スパイダーには取り付けられない、フィアット・アバルト124ラリー専用装備とのこと。



 
ベースとなったのは、1966年に誕生していたフィアットのオープンスポーツカー“124スパイダー”。モノコック構造のボディは124スパイダーと大きく変わらないかに見えるが、リアサスペンションは標準型124スパイダーのトレーリングアーム式リジッドアクスルから、マクファーソンストラット+コイルの独立懸架にグレードアップしている。また、タイアも当時としてはかなり太い185/70VR13を装備するとともに、前後のブレーキディスク径も拡大されていた。

ベースとなったフィアット124スパイダーは1966年に登場。ピニンファリーナ製のエレガントなボディにDOHCエンジンを搭載し、1985年まで生産されたロングセラーでもある。

エンジンは124スパイダー1800と共通となる直列4気筒DOHC 1,756ccだが、アバルトの手でツインチョークのウェーバー製キャブを二連装。標準型124スパイダー1800の118psから128psまでチューンを高めていた。さらに、ラリー競技に供されるワークスマシンでは170psに達したとされている。またこれもアバルトによって、ボンネット/トランクフードのFRP化やボディパネル鋼板の薄板化などの大胆なダイエットが図られた結果、ウェイトは124スパイダーから約50kg減となる945kgにまで減量。最高速度190km/hに達する高性能を獲得するに至った。
 

アバルトが得意とするチューニングで、ストラダーレ版でも128psを発揮したDOHCユニット。ダウンドラフトの二連装ウェーバーキャブには、本来エアクリーナーが装着される。
ガラス繊維がむき出しになっていることから、リアのトランクフードもFRPに置き換えられていることが判る。実際にトランクを開けてみると、これが驚くほどに軽いのだ。
クロモドラ製のマグネシウム合金ホイールを標準装備。「ABARTH」および「CROMODRA」双方の刻印の入ったオリジナル純正ホイールは、今では貴重なコレクターズアイテム。
燃料タンクの給油口は、124スパイダーの左リアフェンダー後端から、トランクフードの直前に移設されている。フィラーキャップもレーシーな形状の露出型に変更されている。
リア・コンビネーションランプは、なぜか標準型の124スパイダーより1cmほど低い位置に設置される。ボディを共用しつつも、ディテールはかなり細かく変更されているのだ。
フィアット・アバルト124ラリーには、独・エンゲルマン社製の“セブリング・マッハ1”タイプのミラーが標準装備。これも、今や貴重なコレクターズアイテムと言われている。


さらに、現代のアバルト・プントに継承されたマットブラック仕立てのボンネット/ハードトップ/トランクフードに加えて、クロモドラ社製アロイホイールやデュアルの“アバルトマフラー”、大型のレーシングフィラーキャップなど、いかにもアバルト的なコスメティックチューンが施され、アピアランスの面でも極めて魅力的なスポーツカーとなったのだ。

フィアット・アバルト124ラリーのデビュー時に公布されたオフィシャルフォトの一つ。なぜかこの時の広報写真は、特徴であるはずのハードトップを外したものが多かった。

こうして登場したフィアット124アバルト・ラリーは、当初グループ4ホモロゲーション獲得のために規定された最小生産台数に相当する500台+αを生産。予想外の人気を得たことからのちに500台が追加生産され、グループ4に加えてグループ3GTのホモロゲーションも獲得した。また1974~’75年にかけて、近年で言うところの“エヴォリューション”モデルとしてごく少数が製作されたとされるシリーズIIでは、エンジンを1,839ccに拡大するとともにヘッドを16バルブ化。WRC仕様のワークスカーでは最終的に210馬力にまでチューンされたと言われている。
 

まさに「オトコの仕事場」という表現が相応しいスパルタンなコックピット。ラリーカー的な2本スポークのアバルトステアリングやロールケージは、現オーナーが装着したもの。
こちらがフィアット・アバルト124ラリーの純正ステアリングホイール。同じアバルト自社製ステアリングながら、比較的コンベンショナルな3本スポークの形状とされている。


そしてアバルトとフィアット・ワークス期待のフィアット・アバルト124ラリーは、デビューシーズンの1972年にERC選手権でコンストラクターズ(製造者部門)ランキング2位を獲得。翌年から正式開幕したWRC選手権でも1975年まで連続でランキング2位を維持し続け、同じフィアット・グループから送り出されるランチアHFストラトスの世界タイトルを援護することにも成功したのだ。

同じアバルトが開発し、WRCで3度(1977年、1978年、1980年)のコンストラクターズタイトルを自ら獲得した“131ラリー・アバルト”と比べてしまうと、フィアット・アバルト124スパイダーは少々陰に隠れてしまったかの印象も持たれがちかもしれない。
しかし「隠れた名車」というひと言で片付けてしまうには、あまりにも魅力的なラリーマシン。だからこそ、現代のアバルト・プントがオマージュを捧げているのだろう。