チンクエチェントの生みの親、ロベルト・ジョリートが往年の“アバルト現象”について語る

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今に受け継がれるDNA

アバルトを語るにこんな相応しい人はいない。
現在FCAグループのヘリテージ部門責任者を務めるロベルト・ジョリートは、自動車史に精通しており、デザインについては専門家だ。もともとデザイナーとしてフィアットに入り、「Multipla(ムルティプラ)」や現行「500(チンクエチェント)」のスタイリングを手掛けた。そう、ABARTH 595のベースとなった500は彼の作品なのである。加えて500のベースモデルとして2004年のジュネーブ・モーターショーで発表されたコンセプトカー「トレピュウーノ」も彼の手になるもの。このプロトタイプを製作したとき、アイデア・ベースとなったのは「フィアット・アバルト 500」や「フィアット・アバルト 600(セイチェント)」といった往年のサソリたちという。たとえばトレピュウーノをバンパーレスに仕立てたのもクロームを効かせなかったのもアバルトからヒントを得た。アバルトの特徴であるスポーティとグッドプロポーションを念頭に置いたそうだ。

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2004年のジュネーブ・モーターショーで発表された500の原型となったコンセプトカー「トレピュウーノ」。

が、これだけでは終わらない。活動の軸をクラシックカーショーへの参加、イベントの企画、車両のレストアと認定証の発行に据えるヘリテージ部門は、今春、すべてのベースとなるHUB(ハブ)をオープンした。ハブはトリノにあるフィアット工場の一画をリフォーム、FCAが有するブランドの歴代車両を一堂に集めた場所で、ヘリテージファンのミーティングポイントになることを目指してこう名付けられた。ここには滅多にお目にかかることのできないアバルト車両も並ぶが、アバルトを揃えることはジョリートの強い希望によるもの。思いを込めたのは彼が大のアバルトファンだから。本人の言葉を借りれば「生粋のアバルティスタ」ということになる。実際、彼の最初の愛車は「アウトビアンキ A112 アバルト」 、2台目は「フィアット 131 アバルト・ラリー」。まだ自動車デザイナーになるなんて思いもしなかった頃のことである。

Inaugurazione  FCA Heritage HUB
2019年春にトリノにオープンしたFCAヘリテージHUB。ブランドの歴史を伝えるビンテージモデルが顔を並べる。手前のモデルは124 spiderの前身にあたるフィアット・アバルト124 ラリー。

ジョリートは1962年生まれ。50、60年代をアバルトの最盛期とすれば彼が実際にステアリングを握った時期とはズレているものの、アバルトと出合ったのは幼い頃。それを彼はこう説明した。「友達のお父さんたちがあの頃は盛んに乗っていましたから」

とてもイタリアらしい話だと微笑ましかった。この国で子供にクルマを教えるのはいつも「友達のお父さん」なのだ。「友達のお父さん」が「気前のいい叔父さん」に変わることもある。お父さんも叔父さんも多分、社会の風のような存在なのだと思う。あの頃、イタリアにはアバルトの風が吹いていた、こういうことかもしれない。
「当時は“アバルティザーレ”(アバルトという固有名詞を動詞にした)という新しい言葉が生まれるほど、一種の社会現象だったんです。国語辞典に載ったのですから相当なものだったといえます」

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ロベルト・ジョリート。1989年にフィアット・チェントロスティーレに加わり、フィアット&アバルトデザイン統括を経て、現在はヘリテージ部門責任者を務める。

アバルティザーレ、なんてステキな言葉なんだろう。こう思わずにはいられなかったが、ジョリートは新語が生まれるほど人気を呼んだのはイタリア人の嗜好にマッチしていたためと分析する。

「イタリアの若者は今も昔も大きなものを振りかざすのは嫌いです。小さくてもパンチの効いたものが好きなんです。大きくて力があるのはあたり前という考え方。逆に体は大きくてぼさっとしたものは軽蔑されます。小さくて俊敏なものがかっこいい、イメージは…….」 山椒ですか?と言いそうになった。

「小さいものが大きいものを追い越す快感を味わわせてくれたのがアバルトというわけですが、それはもちろん、細くくねくねした道の多いイタリアの地勢にも合っていたんだと思います。それともう1つ、忘れてならないのは創業者であるカルロ・アバルトのマーケティングの才。マフラーやステアリングホイールを含めたキット販売です。差異化という点でも、楽しみという面でも我々の好みにマッチした。でもね、大切なことは、アバルトは輝かしい過去ではないこと。カルロ・アバルトの精神は今に受け継がれている。ここが最も大切な点ですね」

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アバルトは、いわゆるコンプリートカーの製造だけでなく、ベース車両の性能やルックスを向上させるチューニングキットの販売も手掛け、大きな成功を収めた。写真左は、アバルトのステアリングホイール。右はヌオーヴァ 500用に用意された595エンジンチューニングキット。

ノスタルジーによって愛されているのではない、現在に至るまで創業者の情熱は脈々と受け継がれているという彼の言葉に、ミラノで行われたABARTH DAYS 2019(関連記事)を思い出した。ABARTH 595シリーズや124 spiderを楽しむ若者が集結していたのだ。最新ラインナップの試乗にも長い列が出来ていた。
「国境を越えゴルディーニにもクーパーにも影響を与えたアバルトのチームはフィアット傘下に入ってからもランチアのラリー車両、DTMに参戦したアルファ ロメオ 155の開発に深く関わりました。彼らの参加がなかったら双方ともあれほどの活躍はなかったはず。カルロ・アバルトが亡くなってからも彼の精神はエンジニアたちによって継承され、それが今日の595シリーズなどに受け継がれたということです」

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2019年10月にミラノMINDで開催されたABARTH DAYS 2019。

今回、ジョリートの計らいでカルロ・アバルトのパーソナルカーだった「フィアット・アバルト 2400クーペ・アレマーノ」(1961年)と「695」(1964年)を裏庭で50mほど試乗させてもらった。わずかな距離にもかかわらず、サウンドも含めて走る楽しさを予感するには十分だった。ラグジュアリーとホット、どちらも「スバラシイ!」と感激すると、彼が日本のアバルトファンに伝えたいのはそこなのですよ、とこう言った。

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フィアット・アバルト 2400クーペ・アレマーノ。アバルトがラグジュアリー市場に向けて送り出した1台である。カルロ・アバルトがパーソナルカーとして愛用したことでも知られる。

「カルロは単なるチューナーではないんです。クルマのエヴォリューションを総合的に考えた人。それは彼自身が真のクルマ好だったからこそ。スピードをこよなく愛しましたが、もとにあるのは自動車を駆る楽しみ、乗る喜びです。アバルトは運転してこそ良さがわかる。是非乗ってみてください」
生粋のアバルティスタの言葉には説得力がある。

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Yo Matsumoto/自動車雑誌『NAVI』の編集者、『カーグラフィックTV』のキャスターを経て1990年にトリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を行う。著書に『愛しのティーナ』『伊太利のコイビト』(共に新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『私のトリノ物語』(カーグラフィック社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』『タルガフローリオの神話』(共に二玄社)など翻訳を行う。

アバルト公式webサイト
ABARTH DAYS 2019について詳しくはコチラ