トリノだ、フェスタだ、アバルトだ! 「パルコ・ヴァレンティーノ・モーターショー2019」リポート

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「パルコ・ヴァレンティーノ・モーターショー」が、イタリア北部トリノ市で2019年6月19日から23日に開催された。
メイン会場は、ポー川沿いにあるトリネーゼ憩いの場、ヴァレンティーノ公園。欧州で販売されている主要ブランド展示のほか、イタルデザイン、ピニンファリーナそしてGFGスタイルといった地元トリノ名門カロッツェリアも参加し、そのブランド数は54に達した。

同ショーは、伝説のモデル誕生の舞台となりながら2000年をもって終了したトリノ・モーターショーを新たなかたちで復興させるべく、2015年にスタートした。

5回目を迎えた今回は、旧市街をクローズしたパレードを含め、計30ものスペシャルイベントが企画された。メイン会場は深夜0時までであることから、夕涼みや犬の散歩がてら、夏のフェスタ(お祭り)感覚で訪れるビジターも少なくなかった。加えて、特別エリア以外入場無料ということもあり、5日間の来場者は70万人を記録。2015年の第1回の来場者が30万人だったことを考えると、その2.3倍以上ということになる。

近年そのあり方を巡って見直しが迫られている世界のモーターショーにとって、ひとつの成功例となろう。

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シンボル的エリアであるヴァレンティーノ城で。イベントはトリノ市、ピエモンテ州など地元自治体が全面的にバックアップ。欧州屈指のモータウンにおけるイベントとして年々定着しつつある。

そのパルコ・ヴァレンティーノにおいて、地元トリノゆかりのアバルトは、数々のシーンで注目を浴びていた。

ひとつめは、公園内のヴァレンティーノ城に展示された特別参加車のコーナーである。訪れた筆者の目に最初に飛び込んだのは、かつてラリー用マシーンとして造られた1973-1974年アバルトX1/9プロトーティポであった。鮮やかなレッドとグリーンが強烈にカメラ映えするためだろう、ギャラリーたちの注目ぶりは45年前の車とは思えないほどであった。

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1973-1974年アバルトX1/9プロトーティポ。

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ランチア・ラリー・コンペティツィオーネ。1982年、アバルト監修のもとグループB参戦のため開発された。

その傍らには、ピニンファリーナによる1960年フィアット・アバルト1000レコルドもディスプレイされていた。ベースは大衆車フィアット600で、エンジンは僅か982ccながら、モンツァ・サーキットで8つの世界記録を樹立している。同様にアバルトが関与したスピード記録車はベルトーネによるものもあるが、ピニンファリーナがデザインを担当したこの車体は、より流麗である。旧市街のイベントでは珍しい走行シーンも見せてくれた。

鑑賞していたビジターに声をかけてみる。その若者は「カルロ・アバルトの人生は、常に挑戦だった」と感慨深げに語った。その若い風貌に似合わぬ語り口に思わず聞けば、彼の仕事は自動車デザイナーだった。いわば車の“目利き”が何気ない顔で鑑賞しているところが、さすが車の都トリノである。

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1960年フィアット・アバルト1000レコルド。全長✕全幅✕全高は4555✕1550✕1200mm。

新車展示のコーナーも散策する。アバルトのスタンドには、最新型2台がディスプレイされていた。「595 esseesse」のアバルト創業70周年記念仕様と124スパイダーの特別仕様車「ラリー・トリビュート」(いずれも日本未発売)であった。

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ブランドによるアバルト新車展示スタンドは、多くのビジターで賑わっていた。

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アバルト124スパイダーは、とくに若いトリネーゼたちにとって注目の的である。

どちらのモデルも、シートに座る順番待ちができるほどの賑わいだ。ビジターの多くは若い世代だが、来場者アンケートをとっていたコンパニオンのマルゲリータさんによると「ヒストリック・アバルトを所有している長年のファンで、『お子さんやお孫さんのためにぜひ』という方も数々いらっしゃいました」と笑顔を見せた。

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アバルトのスタンドで奮闘していたコンパニオン、マルゲリータさん。

日付は変わって最終日の6月23日朝、市内ヴィットリオ・ヴェネト広場には、「グランプレミオ」と題した40kmの走行会参加車両たちがスタートを待っていた。

そこでは、新旧アバルトのロードゴーイング仕様を楽しむオーナーたちと語らうことができた。

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フィナーレの日の朝、「グランプレミオ」のスタートを待つ参加車たち。

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トリノ郊外ピアネッツァに本拠とし、アバルトをはじめとするチューニングパーツを扱うスペシャリスト「ブラック」による参加車。

マッシモ・マルジョッタ氏の愛車は、どこかフォルムが違う。聞けば、地元トリノで板金工房を営む彼は、リアフェンダーをよりブリスター(膨らませる)化することで、アバルト本来のカート的操縦感覚をさらに強調したのだという。

ドアハンドルや後ナンバープレート照明のモールなど、各部のクロームパーツがカーボン風に換えられている。「自分でカッティングシートを水圧転写印刷(ハイドログラフィック)で貼り付けたんだ」と自慢げに教えてくれた。アバルティスタはディテールのこだわりに余念がない。

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トリノでボディ製作工房を営むマッシモ・マルジョッタ氏によるドレスアップ。

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「少年時代から車のボディに携わっていたよ」というマッシモ・マルジョッタ氏。フロントフェンダーに設けたエア・アウトレットも自慢。

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内装は、よりスパルタンに改装。シートはスパルコ製に変えている。

イタリア版イベントの常で、参加車ではないものの、語らいを求めてスタート地点にやってきた車やファンも数々みられた。

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市電と戯れるように走るフィアット・アバルト595。

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「リアのエンジンフード開け」は、アバルトのお膝下であるトリノの人さえ心ゆさぶられるシーン。

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1970年代中盤、グループ4のために開発されたフィアット131アバルト・ラリー。カレッロのフォグランプも当時を知る人なら、しびれるはずだ。

フィアット・リトモ・アバルト130TCを眺めていた男性は、その細かいスペックを“そら”で感慨深げに話す。オーナーかと思いきや、違うという。なぜ記憶しているかと聞くと「1980年代、俺たちの憧れの車だったからさ」と答えが即座に返ってきた。

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フィアット・リトモ・アバルト130TC。ベルトーネによるそのスクエアなスタイルは、今もってモダンである。

やがて本当のオーナーが戻ってきた。ファビオ氏という名の彼は、かつてアウトビアンキA112アバルトでサソリの道に入ったという。
アバルトの魅力は? そう聞くと、ファビオはとっさに腕に生えた毛をつまんでみせた。その心は「エンジン音を聞いただけで、途端に鳥肌が立つ!」のだそうだ。イタリアのアバルティスタは、いつもエンターテイナーである。

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オーナーのファビオ氏。一緒に来ていた息子のステファノ君は4歳。いつか彼も父親のリトモ・アバルトのステアリングを操る日が来るのだろう。

report 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
photo  Mari OYA/Akio Lorenzo OYA

アバルト公式サイト https://www.abarth.jp/