コルソ・マルケ38とは

main

古くからのアバルトのファンなら知らぬ者はないであろう「コルソ・マルケ」。日本語に直訳すれば「マルケ通り」。イタリア・ピエモンテ州の州都トリノ市内の区域名である。とはいえ、単なる区域名に過ぎない「コルソ・マルケ」が、なぜアバルトを愛してきたファンにとって特別な意味を持つかといえば、このコルソ・マルケの38番地に、かつてアバルトの歴史的名車たちを送り出してきた本社ファクトリーが存在したからなのである。


アバルト&C.本社工場研究所(1972年)。

かの開祖カルロ・アバルトが1949年12月に独立、アバルト&C.社を創立した際には、同じトリノの「ヴィア・トレカーテ」通り10番地に小さな工房を構えていた。ところが、モータースポーツでの華々しい戦果と生産モデルおよびチューニングパーツの大成功により、アバルト&C.社は急成長。1958年にコルソ・マルケに大規模な新工場を竣工したのち、1960年秋には本社機能もコルソ・マルケ38番地に移設されることになった。


イタリア、トリノ市マルケ通りのアバルトの二つの工場のうちの第一工場(1962年)。車の生産と整備に使われた。この他にも工場があり、アバルトマフラーの製造に使われた。

この新本社は、当初エキゾーストシステムなどのチューニングパーツ部門からオープン。総面積7,750㎡で従業員も156人だったが、1960年末までには総面積13,000㎡に拡張。従業員も225人に膨れ上がった。さらにアバルトの躍進とともに工場施設は拡大を続け、同じコルソ・マルケ通りの72番地までカバーする巨大ファクトリーに成長したのだ。


1963年初頭におけるアバルト&C.の試作部門。

ちなみに、往年の素晴らしいヒストリーとカルロ・アバルトたちが育んできたスピリットを大切にする現代のアバルトでは、地元トリノの有力ディーラーとのコラボレーション企画として、かつての聖地「コルソ・マルケ38番地」のすぐ隣、「コルソ・マルケ40番地」に、現代アバルトのフラッグシップ・ディーラー「オフィッチーネ・アバルト」を期間限定で開設していたが、所期の目的は達成されたとのことで、残念ながらクローズとなってしまった。


アバルト&C.の新工場が完成するやいなやフィアットアバルト/ザガートやアレマーノの750、850を造り始めた。

一方、アバルトが大々的な復活を進行させている現在。アバルト本社はフィアット クライスラー オートモビルズ グループの本拠、ミラフィオーリ本社工場内に置かれることになった。500/595からなる標準型生産モデルのアッセンブリー拠点は、フィアットグループの別工場で行われているものの、それらを含む各モデルの企画・開発は、すべてミラフィオーリ内で行われているという。

また、ARARTH 500/695アセットコルセやABARTH 500ラリーR3Tなど、レースおよびラリーに供されるコンペティツィオーネ。加えて、近い将来の正式リリースが期待される695 Bipostoなど“スペチアーレ”なストラダーレモデルの製作も、このミラフィオーリ本社内で行われることになっている。


現在のアバルト本社内、KARL ABARTHルームの入り口表札

このオフィスに足を踏み入れた人は誰しも、コルソ・マルケ時代と変わらぬ感慨を覚えるに違いない。広大なエントランスには栄光の過去と現代のアバルト史を彩ってきた貴重な写真の数々が壁一面に飾られているほか、奥まで歩みを進めれば小規模ながら、歴代アバルトの至宝を展示したミニ・ミュージアムも設けられる。そして何より感動的なのは「KARL ABARTH」の表札が掲げられた小部屋。実は、コルソ・マルケ時代にカルロ(カール)・アバルトが長年使用していた執務室を、すべて本物の調度品で再現したものなのだ。

今や、ミラフィオーリ本社こそがアバルトの新たな聖地。かつての「コルソ・マルケ」の正統な血脈は、現在ではミラフィオーリに受け継がれているのである。


中に入ると往年の執務室が再現されている