風と共に、F595と一緒に。アバルトライフFile.71 清水さんとF595
今回ご登場いただくのは、32年ぶりにマニュアル車を選択したというF595オーナーの清水雅子さん。インストラクターに教わりながらサーキット走行にもチャレンジされた、熱きスコーピオンスピリットの持ち主だ。マニュアル車を選択されたきっかけは、アクセルを踏み間違えづらく安全運転に役立つと考えたため。納車から1年が経過しようとしている現在は、アバルトのコミュニティを通じて知り合った人たちとの交流を深め、アバルトライフを満喫されている模様。そんな清水さんのアバルトライフをご紹介。
移動手段からの脱却
聞けば聞くほど、熱い。そしておもしろい。朗らかな雰囲気の口調からは、80年代に日本を盛り上げたクルマたちの名や、用語がポンポン出てくる。「コラムシフト」「名ばかりのGT」「スリーエス」「角目四灯」「ターボII」etc。アバルトオーナー諸兄姉の中にも、そんな用語を聞いて心躍る人は多いかもしれない。清水さんはそんな時代を駆け抜けてきた。マニュアル車を何台も乗り継ぎ、ハイソカーブームの後半頃にご結婚されて乗り心地のいいAT車に乗り換え、やはりつまらないからとマニュアルのホットハッチに回帰。その後、再びAT車に移り……。そして、32年ぶりにマニュアル車を選ばれた。それがアバルトF595だった。
クルマに勢いがあった時代背景もあったかと思いますが、周りのお友だちに比べても清水さんはクルマ好き度が濃い方だったのではないでしょうか。
「当時、私の周りにはクルマ好きの友人が沢山いました。カーショップに勤めている友だちもいて、キャブレターを外して吸気性能を高めてもらったり、“カミソリタイヤ”ってわかります? ボディに対して細く見えるタイヤをそう呼んでいたのですが、その見栄えを良くするために、フェンダーギリギリまでタイヤを外側に寄せるカスタマイズをしたり。重ステ(パワーステアリング非装着車)で外径の小さなハンドルに交換したら、狭い空間への縦列駐車が大変になってしまったり(笑)。そんな苦労話もありつつ、でも楽しかった。良き時代を謳歌しましたね」
熱い時代が蘇ってくるようですね。その後、落ち着かれたのは何か転機があったのですか?
「結婚し子どもがお腹にいた時に、当時乗っていたクルマの振動がすごかったので、揺れないクルマを求めるようになり、さらに当時サイドエアバッグが出たばかりの時代だったので安全のためにそういう安全装置が付いたクルマに惹かれたりと、クルマ選びの基準が変わっていったんです。さらに子どもが大きくなると、もう少し広いのが欲しくなってミニバンに乗り換えました。そこから先は何だろう。クルマが単なる移動手段になってしまい、気づいた頃には興味が薄れていましたね。好きで選んだわけではないクルマにも乗りました。でも最近になって、やっぱりマニュアル車がいいと思ったんです」
それはどうしてですか?
「年齢が年齢なので、アクセルの踏み間違えをしないためにはマニュアル車の方が安全かと考えたのです。オートマチック車だと、ただアクセルを踏むだけで走り出しますが、マニュアル車だとクラッチ操作をしないと発進しませんよね。しかも何かあったらエンジンは止まりますので、安全だと思ったんです」
なるほど。マニュアル車の中でもアバルトを選ばれた理由は?
「32年ぶりにマニュアル車に乗るので、慣れるまでは周りのクルマに、マニュアル車だとわかってもらえるクルマがいいと思ったんです。最近はオートマチック車が多いので信号待ちなどで車間を詰めて止める方が多いですよね。でも一昔前は、前に止まっているクルマがマニュアル車で運転が不慣れそうだと察すると、車間を広めに開けていたじゃないですか。アバルトならそういう風に車間を開けてもらえるかもしれないと考えたんです(笑)。あと、もともとフィアット500のデザインが好きだったので、それもあってディーラーに見に行ったのです」