建築家・岩切茂さんのおもちゃ箱とアバルト

丹下健三氏に学んだこと

敷地内に置かれた2台のエアストリームは、1台がバー、もう1台はリビングルームにカスタマイズされていて、その前にはテーブルやBBQグリルが設置されていた。置かれたものはどれもこだわりの品であることは一目瞭然で、そのひとつひとつが集合体となり、外国にいるような世界観を作りあげている。カリフォルニアのロングビーチか、サンディエゴか。そんないるだけで開放的な気分になれる非日常的な空間が広がっていた。


岩切さんの遊びの空間。OFFの時間を過ごしたり、友人や職場、仕事関係のお客さんを招いてパーティを楽しんだりしているという。なお岩切さんはアバルトカレンダー2021の2月のパートにご登場いただいた。

一級建築士事務所、TEAM IWAKIRI JAPAN(チームイワキリジャパン)の代表を務め、グローバルに活躍されている建築家の岩切茂さん。このカリフォルニアのような空間は岩切さんの自宅の敷地の一部。両脇には、ボルゾイやサルーキのブリーダーとしてグランプリ級の名犬を育てられている奥さまのドッグランまで併設されているのだから、その一角はまさに異次元の世界である。

岩切さんは、チームイワキリ創業前には、丹下健三事務所で丹下氏に師事されていた。東京都庁舎やフジテレビ本社ビル、新宿パークタワーなど、名だたる建造物を生んだ、あの世界の丹下先生である。フジテレビ本社ビルの設計には、岩切さんも丹下健三事務所時代に携われたという。


岩切さんと奥さまの亜紀子さん。

岩切さんは武蔵野美術大学を卒業後、建築を学ぶためイタリアに3年間留学し、その後、丹下健三事務所に入社。在籍した12年間の大部分をイタリアで過ごし、欧州部門の責任者を務めている。丹下事務所時代に学んだもっとも大きなものは何かと尋ねると、「本物」と話してくださった。


「デザインするうえで大切なのは様式ではない」と話す岩切さん。

「丹下先生から学んだもっとも大きなことは、“本物”とは何かということですかね。本物、本当にいいものというのは、時間が流れてもそう簡単に変わらないということです。ヨーロッパに留学して驚いたのは、現地の学生たちがフランスのル・コルビュジエについて勉強していたこと。ル・コルビュジエはもちろん有名な建築家ですが、近代建築の巨匠であり、現代を生きるぼくらにとっては、正直なところ、過去の人と捉えているところがありました。日本って流行にすごく敏感で、流行り廃れというのをすごく気にしますよね。でもヨーロッパはそうではなかった。世の中の変化がもっとゆっくりしているんです。その後、丹下先生の元で働かせていただくご縁に恵まれ、流行とか、そういうことを気にして仕事をしていたらだめだということを学ばせていただきました。本物の作品は簡単には変わらないんです。そういうことを勉強していくと、自分が何を追わないといけないかを考えるようになり、大切なことはモダニズムとかポストモダニズムとか様式なのではなく、生活スタイルにフォーカスしていくこと、という考えに行き着いたんです。そして生活スタイルから生まれるデザインってなんだろうと、考えるようになりました」


アバルトカレンダー2021の撮影で訪れたアバルト高前。その建物の設計もチームイワキリジャパンが手がけた。写真:KEI OGATA氏。

ライフスタイルをデザインする

こうしてイタリアで“本物”に触れた岩切さん。独立後、チームイワキリをイタリアで起業。日本の大手自動車メーカーのイタリア本社ビルやショールームの設計など、自動車関係の仕事を多く手がけられている。チームイワキリでは、建物の設計にとどまらず、企業のCI(コーポレート・アイデンティティ)展開も含め、クライアントが求める世界観の構築を、コンサルティングを含めて請け負っている。デザインのみならず、レイアウト、インテリア、動線といった様々な要素を、使用目的や実際に使われる状況に応じて提案し、それを形にしているのだ。


チームイワキリジャパンの作例。岩切さんがヨーロッパでの設計活動を通じて培ったもの、目にした都市、そこで吸収した経験を生かし、設計&コンサルティングを行なっている。

冒頭の岩切邸内のカリフォルニア風の空間も、ご自身がオフの時間を心地よく過ごしたり、訪れた人をおもてなししたりするために作られた、いわば自分のためのオーダーメイド。そこには岩切さんの職業やこれまでの経験、あるいは自身のモチベーションを高めたり癒したりする場所として岩切さんのパーソナリティが反映されている。その空間を岩切さんは自分にとっての “おもちゃ箱”だと話す。

「まだ製作途中なんだけど、ぼくの中にイメージがあって、あっちの空間のテーマはシチリア。テラコッタのタイルを貼り、これからプールも作りたいなと思っていて、そんなイメージです。いわば『ゴッドファーザー』の世界ですね。で、こっちはアメリカ。『スカーフェース』の世界です。イタリアで現地の暮らし方を見て、アメリカではアメリカの暮らし方を見てきて、それぞれスタイルは違うんだけど、でも根っこの部分は共通していて、それは“生活を楽しもう”という気持ちだと思うんです。ぼくもそういう気持ちを大切にしたいと思っています」


シチリアをイメージしたという空間。アバルトにヤシの木、そしてテラコッタが空間を演出している。なお岩切さんの愛車はMake Your Scorpion特別カラーとして設定されたビコローレの595 Competizione。

「ぼくは、みんなに共感してもらおうと思っているわけではないですが、個々の人がそれぞれの生活スタイルを持つ、そんな成熟した大人の社会にしていきたいという気持ちがあるんです。自分流に生活を楽しもうよ、と。イタリアで長年暮らして得た感覚というのは、そういうところなので、じゃあ自分もそれを体現しようと思って、この空間を作りました。お客さんとのコミュニケーションをとるのも、いわゆる夜飲みに行って……というのではなく、家に呼んでファミリーパーティとしてやろうと。そういうスタイルに切り替えたんです。そうして生活を楽しむ、夢を叶えるということにおいて、エアストリームは自分にとっての“大人のおもちゃ箱”。若い頃の憧れや、思い出の品を飾ったり、今はリモートオフィスとして使おうかなと考えていたり。仕事が終わって夜帰って来た時に、ここに入るとリラックスもするし、イマジネーションも膨らむんです」


エアストリームの内は、おもちゃ箱。インスピレーションを得たものや、ドッグショーのトロフィなど大切なものが飾られている。

さあ、もうすぐ60。ワクワクしよう。

“生活を楽しむ”とおっしゃいましたが、アバルトもそういう存在のひとつですか?

「アバルトは、ぼくにとっては、“おじさんの遊びグルマ”。アバルトカレンダーの取材の時に、イタリアのポルトフィーノという港町で、夏になると60くらいのおじさんが短パンでアバルトに乗ってやって来て、クルーザーに乗り付ける情景が目に焼き付いているという話をしたけれど、それはその人のライフスタイルの一部として溶け込んでいるから、アバルトがかっこよく見えるのだと思うんです。人の真似をしたいわけではないけれど、ぼくも60を前にして、そういう生き方をしたいなっていう。ぼくはアバルトでないと……とか、そういうタイプではないのだけど、色気がないクルマは嫌なんです。アバルトは家の前に置いておくとサマになるし、空間の中にあって映えるクルマだと思います。そういう自分の好きな空間にいた方が人生ハッピーでいられるじゃないですか(笑)。だからぼくにとってアバルトもおもちゃ箱の延長線上にある存在ですね」

持っていてワクワクする、楽しくいられることが大事。そういうモノや空間を大切にされていることが伝わってきます。

「それは建築もクルマも一緒だと思うんです。自分は生活をデザインするというか、どういう空間に自分がいるかを大事にしたい。設計をするときも、どういう暮らしやワークスタイルを実現しますか? とクライアントに投げかけて、いろいろなキーワードをぶつけてみるんです。それで響いたワードがあれば、それを形にしていく。建築とコンサルテーションをミックスして、お客さんの求めているものを実現するお手伝いをするというスタイルで仕事しています」

最後に岩切さんにとっての“挑戦”について教えていただけますか?

「答えになっているかわからないけど、ぼくにとって挑戦は、いつまでもドキドキ、ワクワクしていること。自分の中におもちゃの空間を持っていられるか、が挑戦ですね。何かを見て、ワーッと思ったり、スゲーって興奮したりする純粋無垢な気持ちというのは歳を重ねていくと薄らいでいく。ぼくは50歳くらいまでは普通にワクワクしていたけど、でも55を過ぎたくらいから、周りに人生見切ってしまっているような人が増えてきた。人生をいかに楽しむか。いつまでもワクワクしていられるか。そういう気持ちがなくなったら、自分のやっている仕事はできない。素直に楽しみワクワクする。そういう想いを努力しないと勝ち取れなくなるとすると、それを得ることって挑戦ですよね。アバルトに乗ることもそう。世の中にもっと楽で快適なクルマはいくらでもあるけど、マニュアルで、小さくて詰めるものも限られてしまうクルマというのは、ヤンチャな気持ちがないと乗れないですよね。でもそれに乗っていることで自信がつく。それはぼくにとって挑戦のひとつだし、アバルトはそういう意味でも元気にしてくれるクルマだと思います」

人生を楽しむことをとても大切にされている岩切さん。豪邸に住まれて、好きなもので周りを固めて、と理想的な生活をされているように見えるものの、ご本人が強調していたのは、 「成功者やお金持ちとして語りたくない」ということ。ご本人はそういう自覚はなく、あくまで「色々と実現したい。夢を追いかけている立場として伝えたい」とのこと。努力し、工夫して楽しい空間を作っているというところを見て欲しいということだと思います。どこまでもクリエイティブでいつまでもチャレンジを続ける。そんな姿勢が素敵な岩切さんなのでした。

写真 荒川正幸

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