伝説のヒーローを見た、あの日からーーテヒノクラシカ・エッセン2018リポート

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■「クラシケ」ドイツにも上陸

世界最大級のヒストリックカー・ショー「テヒノクラシカ・エッセン」が3月21-25日にドイツ北西部エッセン市で開催された。

エッセンはデュッセルドルフの北東40km。日本の教科書にも出てくるルール工業地帯の一都市で、市内のツォールフェアアイン炭鉱業遺産群はユネスコ世界遺産にも指定されている。インダストリアル・デザイン賞「レッドドット・デザインアワード」の本部もこの街にある。

テヒノクラシカ・エッセンは今年で30回目。東京ドームの約2.5倍にあたる12万平方メートルの展示スペースに1250の出展者・団体が参加。販売用に展示されたヒストリックカーは2700台に及んだ。国境に近いことからオランダからの来場も多く、ビジター数は前年と同水準の18万8千人を記録した。

毎年テヒノクラシカは地元ドイツのメーカーも積極的に参加している。とくにプレミアムブランドは、今年も自社の歴史コレクションとともに華やかなブースを展開した。

いっぽう今年は、イタリア車ファンにもグッドニュースがあった。 
レトロモビル2018リポートで紹介したメーカー直轄のヘリティッジ部門『アバルト・クラシケ』が、ここでも初参加を果たしたのだ。

創業者カルロ・アバルトの個人所有車だった1964年アバルト2400クーペが展示されたブースでは、メーカー自らがレストアした歴史車両を販売する「reloaded by Creators」プロジェクトやヒストリックカー向けオイル「セレニア・クラシック」のドイツプレミアが行われた。

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アバルト・クラシケがヒストリック車両を対象に発行する『Certificate of authenticity』。「エンジン、車、レース、自動車への情熱、スピードへの情熱・・・それは美しい病である」というカルロ・アバルトの名言も綴られている。

歯科医は熱かった

民間のヒストリック・アバルト専門ショップも盛況だった。
フルレストア済みの1966年フィアット・アバルト695SSには、まだ会期2日めというのに、SOLDの文字が。ドイツにおけるアバルト人気が窺えた。

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民間のアバルト・スペシャリストのブースから。次なるコレクションを探すビジターで賑わっていた。

このイベント、参加クラブの数も200以上と夥しい。
そうしたクラブのひとつ『アバルト・ヒストリック・ドライバー』を訪ねてみた。

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アバルト愛好会のひとつ『アバルト・ヒストリック・ドライバー』のスタンド。仲間が次々とふらりと立ち寄っては、サソリ談義を楽しんでいた。

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ノルベルト氏は、自身の1962年フィアット・アバルト・モノミッレを展示した。欧州各地のどこかのサーキットで、毎週末アバルトが勝っていた時代のモデルだ。

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モノミッレで、カルロ・アバルトは「デイリーユースできるGT」を目指したという。

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1961年から65年に製造されたモノミッレの総生産台数は、50台以下といわれる。細部までよく磨き込まれたエンジンに、ノルベルト氏の愛情が感じられる。

主宰のノルベルト・ゲレシュン氏は歯科医師という。加えて、近づきがたい風貌だ。筆者はやや身構えた。
しかし筆者がアバルトとの“馴れ初め”を尋ねると、たちまちノルベルト氏の頬がゆるんだ。

「それは1952生まれの私が、10歳のときでした」。
自動車メカニックだった父親にせがんで、ニュルブルクリンク・サーキットに連れて行ってもらうことにした。「なぜかって? リアフードを開けたまま走るアバルトの本物が観たかったのですよ」。そう言ってノルベルト氏は笑みを浮かべた。
ファンならご存知のとおり、当時リアエンジンのアバルト車は、冷却効率を高めるため、よく後部のフードを開け放しにして走っていたのだ。
今日、大人が見てもエキサイティングな姿である。子どもの眼には、さぞ魅力的に映ったことに疑いの余地はない。

1枚の写真から

念願叶って、夢のサーキットに立ったノルベルト少年には、さらなる幸運が待ち構えていた。
一般来場者がパドックやピットにも自由に入れる、のどかな時代だった。「そこでカルロ・アバルト本人を発見したのです」。伝説のヒーローに遭遇した彼は、持っていたカメラで必死に追ってシャッターを切った。

出来上がった写真の中の御大は、後ろ姿だけだった。

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56年前、ニュルブルクリンクで撮ったカルロ・アバルトの後ろ姿。ノルベルト氏が人生をアバルトに捧げるきっかけとなった写真である。

だが、以来彼は、ますますアバルトのファンになった。
そして成人して歯科医となってからも、サソリに熱意を注ぎ続けた。
1980年代からはモータースポーツの世界にも足を突っ込んだ。
今日ガレージには今回展示した1962年フィアット・アバルト・モノミッレも含め、10台がある。
「クラブは今年で設立30年。テヒノクラシカ・エッセンでは、第1回からの参加です」とノルベルト氏は胸を張る。

後日クラブのウェブサイトで、ノルベルト氏のプロフィールを見た。年齢欄には、本当の歳の代わりに「今も充分に若い」と誇らしげに記されていた。外見と対照的なユーモアに、思わずニヤリとしてしまった筆者だった。

アバルトには、乗る人の熱いストーリーが秘められていることが多い。今日のモダーン・アバルトでも、オーナーの物語が少しずつ紡がれているに違いない。そう確信したドイツのイベントだった。

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普段は歯科医。アバルト談義になると、たちまち笑顔が浮かぶ。

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クラブの仲間と共に。テヒノクラシカは30年前の第1回以来、連続参加だ。

Report  大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
Photo  Mari OYA/Akio Lorenzo OYA/Norbert Gelleschun Archive