ABARTH SIMCA 2000|アバルトの歴史を刻んだモデル No.028

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1963 ABARTH SIMCA 2000
アバルト・シムカ2000

最強かつ最後のアバルト・シムカ

アバルトとフランスの自動車メーカー、シムカ社とのコラボレーションにより誕生したアバルト・シムカシリーズ。「アバルト・シムカ1300」と「アバルト・シムカ1150」についてはすでに本連載で紹介したが、今回はその3部作の最強モデルであるアバルト・シムカ2000をご紹介する。まずはそのベースとなったアバルト・シムカ1300および1600をざっとおさらいしていこう。

180323_Abarth_02-minアバルト・シムカ2000のフロントビュー。戦闘力を高めるためブレーキ冷却用の丸いエアインテークダクトがヘッドライト下に追加され、ノーズの下部にはオイルクーラー冷却用の吸入口が追加された。

1961年にアバルトと提携したシムカ社からの要請により、同社のヒット作であるシムカ1000ベルリーヌのメカニカル・コンポーネントを使用した、高性能な小型グランツーリズモの開発がスタートする。こうして誕生したのがアバルト・シムカ1300だった。リアに搭載されるエンジンはシムカをベースにしたものではなく、アバルトが新たに開発したDOHC水冷直列4気筒ユニット。ボア×ストロークはφ76.0×71.0mmで総排気量は1298cc、圧縮比は10.4:1とされた。これに2基のウェーバー45DCOEツインチョーク・キャブレターを組み合わせて125HP/6000rpmというパワーを実現した。

180323_Abarth_03-minアバルト・シムカ2000のインテリア。メーターナセルは1000ビアルベーロに準じるデザインで、中央の回転計の両脇に補助計器が4個並べられた。

アバルト・シムカ1300はすぐに実戦に投入され、目論みどおり1300ccクラスを制圧する強さを見せ、勝利を積み上げていった。そして1963年のジュネーブモーターショーでは、新たなコラボマシンをお披露目する。それが1600ccクラスへの参戦を狙って開発された「アバルト・シムカ1600」だ。リアにはアバルトが新設計した1.6リッターユニットが搭載され、スタイリングも1963年モデルの1000ビアルベーロをより流麗にしたコーダトロンカ型(リアを垂直に切り落とした形状)に改められ、お約束のダックテールを組み合わせたこの時代のトレンドを汲んだものだった。

180323_Abarth_04-min大きく張り出したリアのオーバーフェンダー。アバルト・シムカ2000圧倒的なパフォーマンスを如実に物語っていた。

しかしアバルト・シムカ1600はレースに姿を見せることはなかった。1964年から国際GT選手権の排気量分けが変更され、それまで1300cc以下、1600cc以下、2000cc以下に分けられていたクラス分けが、1300cc以下と2000cc以下のふたつに整理されてしまったためだ。結果、アバルト・シムカ1600は2リッターの競合車と闘うのは不利と判断されお蔵入りとなった。そしてより排気量の大きなアバルト・シムカ2000がその責務を担うこととなった。

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フロントのトランク内には、燃料タンクとバッテリーが搭載された。

1964年シーズンにシリーズ最強版として送り出されたアバルト・シムカ2000は、1600用のDOHC水冷直列4気筒5ベアリング・ユニットをベースに排気量を1946ccまで拡大したもの。燃料供給は2基のツインチョーク・ウェーバー58DCOE3キャブレターを組み合わせ、より確実な点火のためダブルイグニッションシステムが採用された。

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1946ccのDOHCエンジンは、2基のウェーバー58DCOE3キャブレターとダブル・イグニッション・システムを備え、公道用で185HP、レース用は204HPを発揮した。

これらのチューニングにより、アバルト・シムカ2000は公道用のストラダーレとしてはパワフルな185HP/7000rpmを発揮し、より突き詰めたチューニングが施されたレーシングバージョンではパワーが204HP/7200rpmにまで高められた。組み合わせられたトランスミッションは量産シムカ1000用をベースにアバルトが自社開発した4速、あるいは6速MTを選択することが可能だった。車重はわずか665kgに収められたことから、最高速度は当時のトップクラスである270km/hをマークした。

ボディについては、基本的にアバルト・シムカ1300/1600のデザインを踏襲したが、ヘッドライト回りの処理は2000独自のものとされた。それまではヘッドランプにボディラインに合わせたプレキシ製のカバーを付けるという手法だったが、2000ではライトハウジング内に方向指示灯を組み込んだものとされ、ここが1300との識別点となる。

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カンパニョーロがアバルト用に製作したエレクトロン(マグネシウム合金)ホイールが標準で組み込まれた。

レースバージョンのアバルト・シムカ2000は、より戦闘力を高めるモディファイが施された。特に識別しやすいのはフロントノーズ部分だ。ブレーキの冷却性能を高めるための丸いエアインテークダクトがヘッドライト下に追加され、ノーズの下部にはオイルクーラーに外気を大量に取り込むため、ちり取りのようなエアインテークが装着され、より戦闘的な表情となった。このほかCピラーにはエンジンルームのクーリング用に小さなエアベントが取り付けられている。

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Cピラーにはエンジンルームのクーリング用に小さな丸いエア・ベントが付く。フューエルフィラーはリアウインドに備わる。

こうしてレースフィールドに姿を見せたアバルト・シムカ2000は、GT選手権やヒルクライムで狙いどおりの圧倒的な速さを発揮。実戦で当時の2リッタークラスにその存在を脅かす敵はいないほどだった。しかし闘いを進めるにつれ重大なウィークポイントが露呈した。ギヤボックスがシムカ1000のものをベースとしていたため、改良が施されていたとはいえ200HP超のパワーに耐えるには耐久性が不足していたのだ。そのためいくつかの勝利を逃すことになってしまい、世界選手権は最終的に3位で終えることになってしまう。

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アバルト・シムカ2000のカタログ。2色刷り1枚ものの簡素なものだった。

ここでギヤボックスを作り直せばポテンシャルの向上は明らかだったが、その改良は実行されなかった。それはアバルト社とシムカ社の契約は1964年末で終了することが明らかになったからだ。シムカ社はアメリカのクライスラー社の傘下となり、アバルトとのコラボレーションは区切りが付けられることになっていた。アバルト・シムカのモータースポーツ活動も1964年いっぱいで終えることが決まり、アバルト・シムカ2000の活躍はそこまでとなった。

こうしてアバルトは1965年シーズンに向け、再び手慣れたフィアットをベースとしたOT1300/2000の開発に取り掛かることとなった。

スペック
1963 ABARTH SIMCA 2000
全長:3610mm
全幅:1480mm
全高:1210mm
ホイールベース:2090mm
車両重量:665kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量:1946cc
最高出力:185HP/7000rpm
変速機:4/6段マニュアル
タイヤ:5.00-13/5.50-13
最高速度:270km/h