時空を超えたパッション – レトロモビル 2018 リポート
■『アバルト物語—サソリ座のもとで』
レトロモビルは毎年2月にパリで開催される欧州最大級のヒストリックカー・ショーである。2018年2月7日から11日に催された第43回には、5日間で10万5千人のファンが訪れた。
今回はアバルトにまつわる2つのブースが設けられた。
ひとつめは特別展『アバルト物語—サソリ座のもとで』である。
コレクションの主は、スイス北部ゾロトゥルンの愛好家エンゲルベルト・メール氏だ。1960年代初頭にファクトリー・ドライバーとしてアバルトを駆った彼は、引退後に自動車インポーター業を経営する傍らで歴代アバルト車の収集を開始した。現在所蔵車は40台以上におよぶ。
今回は22台が厳選され、国境を越えて花の都にやってきた。
その多くはレーシングモデルだが、なかには極めて珍しいモデルも含まれていた。
たとえば1973/74年のコードネーム『SE027』ミドシップ・プロトタイプスポーツカーである。その空力ボディは1972年に完成したばかりのカロッツェリア『ピニンファリーナ』の風洞で徹底的に洗練されたものだ。加えて、重量は僅か575kgに抑えられている。
ロードカーも素晴らしい。たとえば、1965年フィアット-アバルト2400クーペ。流麗なシルバーのアルミボディは伝説のカロッツェリア『アレマーノ』によるもので、カルロ・アバルトがプライベートで所有していた車である。
車両の脇には歴代エンジンも数々ディスプレイされた。
『ティーポ240』と名付けられた1967年のV型12気筒は、5982ccの大排気量をもつ。世界選手権とル・マン24時間を戦うマシンのために開発されたもので、テストでは600馬力を超えるパワーを発生した。ところが1968年にレギュレーションが突如変更されてしまい、計画は中断を余儀なくされた。メール氏のものは、3基造られたうち唯一現存する1基である。
『アバルト物語』のブースには3館連続したパビリオンの中程が充てられていたにもかかわらず、一般公開日は多くのビジターで賑わった。他の多くのヒストリックカーと違い、車両の現役時代を知らない若者たちが熱い視線を投げかけていたのも印象的だった。
■ヘリティッジ部門、発進
もうひとつの話題は新たなサービス『アバルト・クラシケ』だった。
会期初日に催された記者会見では、かつて新生アバルトのチーフデザイナーを務め、2016年からメーカーで『FCAヘリティッジ』を率いることになったロベルト・ジョリートが登場した。
『アバルト・クラシケ』は、歴史的アバルト車に関する、さまざまなサポートを行う。
ひとつは『Certificate of authenticity』だ。歴史家も含むプロのチームがアーカイヴを駆使しながら、歴代アバルト車を対象に、真正なアバルトの製品であることの証明書を発行する。
もうひとつは高度なレストレーションよるハイクオリティな歴史車両の販売だ。近い将来は、トリノに開設される工房をベースに、歴史モデルの復元サービスも視野に入れる。
ブランドが保有する歴代車両も、より活躍の機会を増やしてゆく。
ジョリートによると、タルガ・フローリオ、ミッレミリア、グッドウッド・フェスティバルといったヒストリックカー・イベント、またレトロモビルに代表されるショー、さらにコンクール・デレガンスにも積極的に参加してゆく。
それらの根底にあるポリシーとして、ジョリートは「車を保存するだけでなく、そのカルチャーをシェアすること」と定義する。
参考までに『アバルト物語』のコレクター、エンゲルベルト・メールもコレクションをただ収集するだけでなく、親しい友人に操縦させることを楽しみにしてきたという。
会場にはカルロ・アバルトの未亡人アンネリーゼ・アバルトも同席した。
カルロ・アバルトと同じオーストリア出身の彼女に会見後『アバルト・クラシケ』の誕生の感想を聞くと、「今年は夫の生誕110年。記念すべき年に新たなプロジェクトが発足するのは、とても嬉しいことです」と答えてくれた。
そして、1963年に出会った夫について回想してもらうと、「仕事では常にアイディアに富み、それを徹底的に追求することを躊躇いませんでした。しかし、家庭では極めて優しく、穏やかな夫でした」と語ってくれた。
舞台装置とキャストは揃った。アバルトの世界とその伝説は時空を超え、さらに広がりをみせてゆく。
Report 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
Photo Mari OYA/Akio Lorenzo OYA
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カテゴリ:アバルトクラシケ
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