1989 LANCIA DELTA HF INTEGRALE 16V GROUP A|アバルトの歴史を刻んだモデル No.069
1989 LANCIA DELTA HF INTEGRALE 16V GROUP A
1989年ランチア・デルタ HF インテグラーレ 16V グループA
グループA時代の王者
世界ラリー選手権(WRC)が市販車に近いグループA規定で競われることになったのは1987年のこと。1980年代、フィアットグループに属するランチアは、ブランドのスポーツイメージを高めるために積極的にラリーに取り組んでいた。そこで経営陣は、競技車両の開発を担当していたアバルト直系の組織であるモータースポーツ部門に、2ボックス 5ドアのファミリーカーであるランチア・デルタをベースとしたグループA ラリーマシンの開発を委ねたのであった。
ベースとなったランチア・デルタは、1.3リッターおよび1.5リッターエンジンを搭載し、前輪を駆動するベーシックカーだったが、アバルトはその車両にターボ化で最高出力を165psまで高めた2リッターエンジンを押し込み、あらゆる路面で確実なトラクションを得られるようにグループBマシンで立証された4輪駆動方式を採用した。
こうしてグループA規定に合わせて誕生したのがランチア・デルタ HF 4WD(本連載
No.26を参照)で、アバルトの開発コードナンバー SE043が与えられた。同モデルはデビュー戦となった1987年のモンテカルロ・ラリーでの優勝を皮切りに圧倒的な強さを見せつけ、参加した12戦中9戦を制し、1983年以来のマニュファクチャラー・チャンピオンを獲得。あわせてユハ・カンクネンがドライバーズ・チャンピオンを勝ち取った。
止まらない進化
続く1988年もWRCにデルタ HF 4WDが投入され、高い戦闘力を発揮して開幕戦から2連勝を記録した。第3戦ポルトガル・ラリーからはウィークポイントを改善するとともに基本性能をブラッシュアップしたコードナンバー SE044となるデルタHFインテグラーレ(本連載No.62で紹介)が投入された。最大の特徴はより太いタイヤを収めるため、トレッドを拡大したブリスターフェンダーを採用したことにある。また、前面各部にインテークを設けることでエンジンルームの通気性の改善が図られた。
こうして戦闘力を高めたデルタ HF インテグラーレは、デビュー戦のポルトガル・ラリーでの勝利を皮切りに8勝を挙げ、1988年のマニュファクチャラー・チャンピオンを獲得。ドライバーズ・ランキングはデルタ HF インテグラーレを駆るイタリア人ドライバーのミキ・ビアシオンがWRC初のチャンピオンを勝ち取った。
より戦闘力を高めた「16V」
デルタ HF インテグラーレは改良を続けながら1989年シーズンを闘い、モンテカルロ・ラリーから5連勝を記録した。しかしトヨタ・セリカ GT-FOURや三菱 ギャラン VR4などの日本勢が追い上げ、ランチアも安泰としていられない状況となった。
そこで開発を担当するアバルトのエンジニアたちは、チューニングの可能性をより高めたデルタ HF インテグラーレ 16Vを投入した。モデル名からわかるように16バルブエンジンを採用。気筒あたり4つのバルブを備えるシリンダーヘッドを採用し、チューニングの可能性を大きく高めた。
ちなみに市販モデルの最高出力はHF インテグラーレの185psから200 psへと高められ、エンジンヘッド周りの大型化に対応してフードが膨らんだ形状を採用。このほか足回りのジオメトリーからホイールのリム幅までが変更され、トレッドが拡大された。見逃せないのは駆動力の前後配分比率がそれまでの56:44から47:53へと後輪寄りの配分とされ、アンダーステアを減らすとともに、後輪駆動車的な味付けとされたことだ。
市販車とは別物のグループA仕様
デルタ HF インテグラーレ 16V グループAには、闘うアバルトのテクノロジーが余すことなく注ぎ込まれ、開発コードナンバーはSE045とされた。エンジンは圧縮比を7.5:1にまで高めると共に、ギャレット製TB0385型ターボチャージャーを組み合わせることにより、最高出力330psを発生。トランスミッションは当初は市販車と同じ5速マニュアルギアボックスが使用されたが、1990年からアバルトとZFが共同開発したR90型6速マニュアルギアボックスへと進化している。
また4WDシステムには、機械式ヘリカルギアを用いたセンターデフ方式のフルタイム4WDを採用。出力軸の1本はフロントデフに、もう1本はトランスファーボックスへと接続され、フロントデフとトランスファーボックス間のトルク分配はビスカス・カップリングで制御された。さらに確実なトラクションを得るため、フロントデフにはリミテッドスリップを、リアデフにはハイポイド・スパイラル・ベベルギアを持つトルセン型を備えていた。前後のトルク配分は路面状況に合わせて50:50%、45:55%、40:60%に変更可能とされた。また1991年第5戦のツール・ド・コルスからは、電子制御式ビスカス・カップリング式クラッチへと進化している。
ブレーキはステージに合わせて大きさの異なる複数のブレーキディスクが用意された。フロントを例に挙げると256/282/313mm径がステージにより使い分けられた。タイヤおよびホイールは、ターマック(舗装路)では9.0J×16のホイールに245/610-16サイズのグルーブド・スリックが、グラベル(砂利道)では5.5Jまたは6.5J×15のホイールに185/640-15サイズのタイヤが組み合わされた。
車体は車両規定により基本部分の材質を変えられない状況の中、各部にチタニウムを使用するとともに、徹底的な軽量化が施され、ロールケージが組み込まれているにもかかわらず市販車の1250kgから1100kgにまでシェイプアップされていた。
インテグラーレ 16Vのデビューウィン
デルタ HF インテグラーレ 16Vは、1989年のWRC第11戦のサンレモ・ラリーに姿を現し、そのカラーリングで見る者を驚かせた。それまではホワイトをベースにマルティニ・ストライプを配したものだったが、サンレモ・ラリーでは、愛好家の間で「赤マルティニ」と呼ばれるレッドの車体色にマルティニ・ストライプという、斬新なカラーリングをまとっていた。
サンレモ・ラリーではミキ・ビアシオンのドライブにより、インテグラーレの伝統どおりデビューウィンを達成した。なお車体色は次戦からホワイトに戻されていた。本格参戦となる翌1989年シーズンは、苦手とされたサファリ・ラリーやツール・ド・コルスでも勝利を収め、結果的にランチアは3年連続してワールド・タイトルをトリノに持ち帰り、ドライバーズ・タイトルでもミキ・ビアシオンが2年連続でチャンピオンに輝いた。
1990年シーズンは前年に13戦中5勝を挙げるまで迫ってきていたトヨタの猛追があったが、地道な改良が結果に結びつき、ランチアが6勝を挙げて4年連続でワールド・タイトルを獲得。さらに1991年もトヨタと激しいバトルの末、ランチアが6戦を制して5年連続ワールド・チャンピオン獲得という前人未到の快挙を無し遂げた。
こうした連戦を達成した素晴らしい戦績は、ひとえにアバルトが持つ技術力の高さと、レースで育まれた臨機応変に対応できる経験の蓄積があったからこそ成し遂げられたものといえるだろう。
1989 LANCIA DELTA HF INTEGRALE 16V Group A
全長:3900mm
全幅:1700mm
全高:1360mm
ホイールベース:2480mm
車両重量:1100kg
エンジン形式:水冷直4 DOHC16バルブ
総排気量:1995cc
最高出力:330ps/7000rpm
変速機:ZF/アバルト6速+後進1速
ホイール:9.00×16(F/R)
タイヤ:245/610-16(F/R)