1988 LANCIA DELTA HF INTEGRALE|アバルトの歴史を刻んだモデル No.062

1988 LANCIA DELTA HF INTEGRALE
ランチア・デルタHFインテグラーレ

アバルトの隠れた仕事

1980年代から1990年代、アバルトはフィアット・グループにおいてグループ内のラリーマシンの開発に徹する黒子の存在だった。カルロ・アバルトが率いた時代に勝利を導くマシン製作の技術を習得したエンジニアたちが、競技車開発部門の第一線で腕を振るっていたのだ。既にアバルトの名は公式には消えていたが、“優勝請負人”としての役割は往年と何ら変わることはなかったのである。

当時、モータースポーツを統括していたFISA(国際自動車スポーツ連盟)は、ラリーで重大事故が多発したグループB車両に代わり、1987年からは市販車をベースとするグループA車両で競うことに規定を変更する。この新規定にいち早く対応したのがランチアだった。フィアット・グループの方針でランチアとしての参戦とされたが、実際に車両の開発を担当したのはアバルトの精鋭たちだった。


デビュー時のランチア・デルタHFインテグラーレ・グループA仕様のオフィシャルフォト。ルーフ後端にはスポイラーのようなものが見える。使用するオイルの商標は、この時点ではオーリオ・フィアットだったが、途中からフィアット・ルブリカントに名称が変わる。

こうした中で1986年シーズンを終える前にいち早く発表されたのが「ランチア・デルタHF 4WD」だった。もともと1.3~1.5リッターのエンジンを積むファミリーカーだったランチア・デルタをベースに、ターボで武装した2.0リッターエンジンを積み、フルタイム4WDを採用。ラリーでの勝利を追い求めた戦闘機といえる存在だった。

デルタHF 4WDグループA仕様には、アバルトの名称やエンブレムはどこにも見当たらないが、開発コードナンバーには、アバルトの仕事であることを示すSEを含む、SE043が与えられていた。


オフィシャルフォトでは、ターマック用のスピードライン製の3ピースホイールが組まれている。ウインドウ越しに見えるロールケージが競技車であることを物語る。

デルタHF 4WDは1987年シーズンの開幕戦、デビュー戦となったモンテカルロ・ラリーで1-2フィニッシュを果たす。その後も圧倒的な強さを見せつけ全13戦中、実に9勝を勝ち取りWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンとドライバーズ・チャンピオンのダブルタイトルを獲得。1983年以来となる栄光をイタリアに持ち帰った。

より戦闘力を高めたインテグラ―レ

アバルトのエンジニアはこの結果に満足することなく、さらにウイークポイントを克服し戦闘力を高めたニューマシンの開発を続けた。デルタHF 4WDでは開発時間が短く実現できなかった部分があったが、進化型デルタでは1シーズンを戦った経験をもとに実戦に向けた改良が盛り込まれた。


スタイリングや基本構造は市販のロードカーから受け継ぐが、エンジンやサスペンションはアバルトにより徹底的に機能が突き詰められ、非常に競争力の高いレーシングマシンに変貌していた。

この進化型デルタは1987年のフランクフルトモーターショーで「デルタHFインテグラーレ」として姿を現す。新たに追加された「インテグラーレ」という名は、イタリア語で「完全」を意味するもので、大きく進化したマシンへの自信ともいえた。ちなみにインテグラーレ・グループA仕様のアバルト開発コードナンバーはSE044となる。

変更点の中で最も目を惹くのが、大きく張り出したブリスター・フェンダーだ。これはワイドなスリックタイヤを装着できるようにするためで、車両規定でボディワークは市販状態から変更できないため、必要なものは当初から組み込んでおく必要があった。あわせてホイールは15インチへと大径化され、ブレーキローターも284mmに拡大された。

エンジンは基本的にデルタHF 4WDから2リッター直列4気筒DOHCユニットを引き継いだが、ターボチャージャーをギャレットT3型に変更し、インタークーラーの大型化などにより、最高出力は市販車では20psアップした185ps。グループA仕様では、よりチューニングが高められ295psを発生した。


ワールドチャンピオンを獲得したランチアの歴代ラリーマシンと並んだインテグラ―レ(手前)。先代となるデルタHF 4WD(右端)とのカラーリングの違いがよく分かる。

あわせてウォーターポンプの効率を高め、ラジエターとオイルクーラーの容量も拡大されるなど、クーリング性能に余裕を持たせていた。このほかエンジンルームの冷却を助けるために、バンパーやライト回りにインテーク、エンジンフードには放熱用のスリットが設けられ実戦でのハードな使用に備えていた。

ドライブトレーンはデルタHF 4WDのものをキャリーオーバーし、トランスミッションのギアレシオも共通だった。センターデフはビスカスタイプでトルク配分もフロント56:リア44とデルタHF 4WDから変わりなく、リアデフにはトルセンタイプが組み込まれた。最終減速比はホイールの大径化もありデルタHF 4WDの2.944:1から3.111:1へと変更された。

2年連続ワールドチャンピオンを実現

デルタHFインテグラ―レは1988年のWRC(国際ラリー選手権)第3戦ポルトガル・ラリーから投入され、見事にデビューウインを果たす。1988年シーズンは13戦中10戦(2戦は不参戦)を制する圧倒的な強さを見せ、2年連続でワールドチャンピオンを勝ち取った。


1000湖ラリーで豪快なジャンプを決めるマルク・アレンが駆るデルタHFインテグラーレ。このレースでも優勝を勝ち取った。

ドライバーズタイトルではデルタHFインテグラ―レを駆るミキ・ビアシオンが5勝を挙げてチャンピオンを勝ち取り、チームメイトのマルク・アレンが2位、アレッサンドロ・フィオリオが3位と上位を独占した。以来、活躍は続き1989年シーズンは第11戦のサンレモ・ラリーで後継モデルとなるインテグラーレ16Vが投入されるまで4勝を挙げ、マルティニ・ランチア・チームでの任務を全うした。


ランチアにとって念願だったサファリ・ラリーで初優勝したのは1988年のこと。高い信頼性を備えたデルタHFインテグラーレをミキ・ビアシオンが駆り、サファリに強い日産200SXやトヨタ・スープラを打ち破り優勝を遂げた。

表立ってアバルトの名は与えられなかったものの、一部のパーツには「ABARTH」の文字が誇らしげに刻まれ、勝利を追求するアバルトの血筋は脈々と受け継がれていた。こうしてデルタHFインテグラ―レはラリーでの活躍ぶりから、日本を始め世界中で人気車となった。

1988 LANCIA DELTA HF INTEGRALE(ROADCAR)

全長:3900mm
全幅:1700mm
全高:1380mm
ホイールベース:2480mm
車両重量:1200kg
エンジン形式:水冷直4 DOHC8バルブ+ターボ
総排気量:1995cc
最高出力:185ps/5300rpm
変速機:5速MT+後進1速
最高速度:215km/h
タイヤ:195/55R15