サソリ160匹、ワイナリーに放たれる —これが本場イタリア式オーナーズ・ミーティングだー
アバルト・ブランドの本拠地トリノと同じピエモンテ州のクーネオ。そこをベースとしているのが、「アバルト・クラブ・クーネオ」である。
メーカー公認クラブである彼らによる名物イベントが、夏の1日ミーティングだ。2018年で5回目。メンバー以外の参加も大歓迎ということもあり、毎年規模を拡大。もはやイタリア全国のアバルトクラブの間で知られる催しとなった。
舞台であるランゲ=ロエーロ地方はアスティ、バローロ、バルバレスコといった高級ワインの産地でもあり、そのブドウ畑の景観は、ユネスコの世界遺産に登録されている。また、アルバ地方は、世界19都市しかないユネスコの食文化創造都市に認定されていることからも、そのクオリティが窺える。
2018年7月22日日曜日。人口5千人の村コスティリオーレ・アスティに向かう。
朝8時過ぎにもかかわらず、粒チョコレートをひっくり返したような色とりどりのアバルトですでに溢れかえっていた。
その様子を微笑みながら眺めるアバルト124スパイダー・オーナーがいた。聞けば、今朝の集合地点であるホテル「ヴィラ・パットーノ」の支配人ルカ・チヌス氏だった。自らアバルトに情熱を傾ける彼は、18世紀に起源を遡るホテルをクラブの本部として提供している。
参加者の多くは既成コンパクトカーのスポーツバージョンを卒業した若い世代だ。そうした中にグレーの髪をたたえた人物を発見した。アンジェロ氏は1939年生まれ・今年79歳の元会社経営者である。
「今から62年前、17歳のときにアバルト製2輪用マフラーを買ったのがサソリとの出会いでした」と笑う。夫人のマリア=テレーザさんも「新婚時代はアバルト600に乗っていましたよ」と嬉しそうに教えてくれた。これまで所有したヒストリック・アバルトは3台。今の愛車595は4年前に手に入れた。
ツーリングのスタートは9時半。300人の参加者によって、160台のサソリが次々とワイナリーに放たれていった。
配布されたロードブックに記された総走行距離は、47.5キロメートルだ。ワインディング、ストレート、ひなびた村が心地よいリズムでウィンドスクリーン越しに反復されてゆく。
ゴールは小さな飛行場だった。草を刈って作った未舗装の滑走路をもつ、のどかな飛行場だ。アマチュア飛行家たちが、ときおり離着陸を繰り返している。
“レストラン”は格納庫という演出だった。しかし、そこはグルメの大地。メニューは前菜から始まり、第一の皿、第二の皿、そしてジェラート&エスプレッソというフルコースである。もちろんピエモンテ名物の生牛肉のタルタルも。食事の間、午前の興奮さめやらずギアチェンジの手振りをしながら、「パオー、パオー、ボン!」などとエンジン&エグゾーストノートを擬音で口にする参加者も。最高のBGMだ。
食後もお楽しみは続いた。まずは福引。特賞はなんと「ターボチャージャー・ユニット&マフラー」ということもあり、1枚5ユーロのチケットが飛ぶように売れた。テーブルで筆者の前にいた若者・ガブリエレ君は抽選の途中にもチケットを買い足し、気がつけば総額40ユーロも投じていたにもかかわらずターボチャージャーには恵まれなかった。それでも代わりにモデルカーが当たると派手なリアクションで反応。他の参加者からやんやの喝采を浴びていた。アバルティスタはユーモラスでもある。
続くは各賞の贈呈式である。
「遠来賞」はヴェネツィアから404kmを走破してやってきたファンに贈られた。
「最も古い参加車」賞を獲得したのは、1974年フィアット・アバルトX1/9だ。同車は当時ラリーを目指して僅か数台が製造された希少なプロトタイプである。現オーナーのフランコ・メッツァドリ氏には倉庫に放置されていたこの車両を3年前に発見したという。
式の間、カップルでやってきた受賞者には、たちまち「バーチョ、バーチョ(イタリア語でキス、キス)!」の掛け声が上がる。
コミカルなプライズも数々用意されていた。
「最も気が早い人賞」には、開会が待ちきれず42時間前から現地入りしていたファンに贈られた。
アバルト・オーナーになって間もない人のための「フレスコ(フレッシュ)賞」は僅か3日前にナンバープレートを取得し、愛車の走行距離150kmという若者が持ち帰った。
クライマックスの最高齢オーナー賞は例のアンジェロ&マリア=テレーザ夫妻に贈られた。彼らにも例の「バーチョ、バーチョ!」の大合唱が降り注いだのは、いうまでもない。
report 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
photo Mari OYA/Akio Lorenzo OYA