自分の生き方を我慢したくない。人気芸人の地位を捨て、新たな自分に挑戦する藤原しおり氏インタビュー

印象的なボブカット、白シャツに黒のタイトスカート姿。ふたりのイケメンを従え「35億」のセリフで一世を風靡した芸人、ブルゾンちえみ。しかし、大活躍の中、今年の春、突然芸人活動から引退すると宣言した。圧倒的な個性を持ちつつ、ブルゾン改め、藤原しおりとなったいま、彼女はどこへ向かおうとしているのか。現在の思いと挑戦を続ける姿に迫った。

人気者の突然のリセットに驚きました。芸人としての活動を引退するにあたり、どのような理由、経緯があったのでしょうか。

すごく大きなきっかけがあったというわけではないんです。芸人「ブルゾンちえみ with B」として、たくさんの人たちに喜んでもらえたことは、めちゃくちゃ幸せでうれしかった。子供の時からの「テレビに出たい!」という夢が叶ったわけですから。ただ、芸人として活動していく中で自分のやりたかったことと、ちょっとずつ反れていったというか。自分が気づかないうちに。気づいたときには、全然違う方向の船に乗っているような気持ちになったんです。

違う方向といいますと?

私は、大学を3年で辞めてこの世界に入ったんです。私、小さいころから芸能界に心惹かれていて。でも、田舎者にとっては夢のまた夢、手の届かない場所だと思っていました。けれど、どうにも憧れを止められなかったんです。はじめは劇団に入ったり、歌やダンスを習ったりしていました。でも、なぜだか本気になれない。そんなとき、ある芸人さんが真剣にネタ合わせをしたり、ライブ終わりに反省したりしている姿を見かけて「あ、これだ、この人たちの仲間になりたい!」と強く思うと同時に、そのストイックなやりとりが、本当にカッコイイと感じたんです。
憧れの芸人の世界に入れたことは嬉しかったのですが、その時の自分は、まだ芸人として将来どうなりたい、どんなポジションになりたいなどの具体的なビジョンがなかった。
でも、いざ芸人の世界に入れたものの、今度は目指している将来のビジョンが見えないということに気づきました。私は、いったい何を目指しているのだろうと。そんな気持ちのままデビュー2年目ぐらいに出演したテレビ番組がきっかけで、突然ブレイクしてしまったわけです。もちろんうれしかったけれど、まったくの想定外で。あれよあれよという間にまわりから褒められる事態になって、それからはみんなの期待を裏切れなくなってしまった。スキルがないまま名前だけが先走ってしまったことを、自分自身がいちばんよく知っていました。

背伸びしなくてはならなくなったということですか。

そうですね。それでも何とかうまくやりくりして、ちょっとずつ方向転換できればよかったかもしれない。けれど、私はそれがなかなかできませんでした。たとえば、テレビのバラエティの世界は、リアルとフィクションが入り混じっていて、そのバランスが私にはずっとわからなかった。そもそも私は、小さいころから頑固で真面目。よく冗談が通じないと言われましたし、そんな自分の性質もよくわかっていました。「みんな、そんなに本気で見てないから!もっと、テキトーでいいのに!」と言われても、そのテキトーがわからない。「本気で見てないものを、どう頑張ればいいの?」と私は混乱しながらも、一生懸命頑張ろうとしました。自分のできることは全部しました。しかし、いつの日からか、いま居る場所は自分が無理しながら居続ける場所ではないのではと思い始めたんです。

それは生きづらかったでしょうね……。

もちろん、苦しいことばかりじゃなく、楽しいこともたくさんありました。ただ、心と身体、思っていることとやっていることのちぐはぐさが、鬱の状態を産んでしまったといいますか。心と身体が乖離してしまったというか。ストレスがたまって暴食してしまった結果、1か月で5キロぐらい太ってしまいました。実は、大学時代にも同じことが起こったんです。あの時は、いろいろと悩んで20キロ近く太りました。私のまわりには、将来の夢が明確で熱い人たちばかりなのに、自分は何となく通学して芸能界への夢を抱きつつ、その気持ちを押し殺している。精神的にも体調的にも苦しくなって、思い詰めてしまいました。
そんなことを思いだすと、つくづく私は自分に嘘をつくことができない人間、そして無理を重ねると身体に出てしまう人間なのだと思います。そういったことから、大学3年生の時に学校を中退しました。大学を辞めた時点で茨の道に入った、安全牌の道は終わったと思っています。でも、あの時、自分の感情に正直に従った。やりたいことはやってみるという人生に、グイッと切り替えた。今回も、同じサインが出ていると感じて、この道を選択しました。

やめることにまったく躊躇しませんでしたか。周囲からかなり説得もあったと思うのですが。

もちろん「辞めない方向で、できる方法もあるのでは」「一旦、休んだら」など、事務所からもご提示いただきましたし、何回も自分に問いかけもしました。でも、もう戻れなかった。考えに考えて一度決心したら、誰が何と言おうと変わらない人間なのだと再確認したといいますか。私は、自分以上に自分のことをわかっている人間なんていないというのが持論なんです。自分の人生だから、自分に正直に生きていきたい、常にそう思っています。

「いま」だと判断した。

はい。私は「いま」でなくてはダメだというタイミングを、めちゃくちゃ大事に生きています。いま、ここで絶対掴まなくてはいけないって。そういう不思議な自信だけはあって、本能的に嗅ぎとっています。一旦止まって安全策を講じてから動くというやり方はできないし、それでは成功する兆しが私には全く見えない。体調をくずして心をすり減らしたことはまさにサインで、動き出さなくちゃならないタイミングでした。

将来への不安などは?

まったくありません。先の約束なんてないし、すごく勇気のいることだけど、あるがままに生きれば、大丈夫。なんとかなると確信しています。私は恵まれた家に生まれたわけでも、特別な才能があるわけでも、美貌があるわけでもない。けれど、いつも自分の意志で選択して、実行してきた。いまの立場を失うのが怖いとか、まったくないんです。手放すことの怖さがない。むしろ自分の中で、惜しいと思ったものを手放した時に、それ以上のギフトが入ってくるということも体感で知っています。チャンスって、誰にでも訪れると思うんです。それを、ちゃんと選んで実行するかどうかだと感じています。
人それぞれ、やり方はあると思います。けれど、私はたとえば「何歳であろうと、すべてを投げ捨てて、やりたいことに向かってアメリカに飛びました」とか、そういう話を聞くのがすごく好きなんです。その潔さが気持ちいい。挑戦する人、好きですね。だから、私も挑戦する。たとえ失敗したとしても、挑戦した時点で成功なんですから。

今後の未来予想図は描かれていますか。イタリアに住むという話も伝わってきていますが。

イタリアって、2018年にひとりでふらっと行って、ひとめぼれした地なんです。どうしても行きたかった場所というわけでもなくて、本当にふらっと。行ってみたら、陽気でノリがよくて派手で。しかし、一方ではものづくりの職人気質もあってすごく面白い。歴史も、建物も、雰囲気も全部が好きになって、いつか絶対に住むと決めたんです。というか、住まなくちゃいけないと。実は、今年(2020年)からイタリアに行く予定でしたが、コロナウイルスの影響のため延期することになりました。しかし、その間にアバルトとの出逢いや、在日イタリア商工会議所のオフィシャルPRアンバサダー就任のお話など、現地に行く前にイタリアにいろいろと関わることができて、とてもうれしく思っています。
様子を見ながらですが、来年の4月にはイタリアにわたり、まずは1年ぐらい住みたいと思っています。どうしてこれほど惹かれるのかはわからないけれど「根拠のない好きこそ、根拠があるんだろう」って本能で感じています。何かを学びたいとかではなくて、とにかく住むことをしたいんです。

これから先、芸能界での仕事はどのように考えていらっしゃいますか。

私、やっぱりエンターテインメントが好きなので、ずっと関わって挑戦していきたいと思っています。本当に自分がやりたいことを、エンタメというカタチで表現して認められるのがいちばんだと思いますから。たとえば、私が子供の頃から興味を持っている環境問題とか、動物愛護とか、教育問題とか、あるいは恋愛のこととか。それらを、エンタメを通して、楽しく、たくさんの人に伝えられるのではないかと考えています。恋愛研究家に「男なんて忘れなさい、35億人もいるんだから」といわれるより、ネタで言ったほうが伝わる。エンタメの強さやパワーって、そこなんだと思います。たとえば、アーティストのライブって「よし、明日も頑張ろう」という、チカラを与えてくれる。映画や演劇、たとえ悲しい話であったとしても、魂を震わされるような感動を与えてくれる。そういうものを創り上げる人たちってすごいと思うし、とんでもない活力を持つ世界だと感じています。

エンタメって、人生に欠かせないものですね。

そう思います。それからもうひとつ。メンズの集団を従えて(笑)、何かしら伝えていきたいとひそかに考えているんです。「ワンピース」みたいな、私の海賊団を作りたい(笑)。このメンズへのワクワク感って、それこそ本能的なもので、たくさん共感してもらえると感じています。いま、心の片隅で仲間探しているところです。辿り着くためのルートなんて、まだまったく見えないし決めてないんですけどね。

うかがっているだけでワクワクします。挑戦は続きますね。

私は、こういう生き方をしたいのではなくて、こういう生き方しかできない。自分の生き方を我慢したくないんです。本能のまま、挑み続けます。

●プロフィール
1990年、岡山県生まれ。島根大学教育学部中退。帰郷し地元の劇団で活動後、大阪の音楽専門学校に入学し歌を学んだ。2013年に上京、ワタナベエンターテインメントカレッジに入学し、卒業後に所属した。ブルゾンちえみとしてデビューし、2016年、後輩の2人組お笑いコンビ「ブリリアン」と、ユニットを結成。17年『ぐるナイ! おもしろ荘 若手にチャンスを頂戴 今年も誰か売れてSP』で優勝し、テレビ出演が増加する。ブレイク後は、舞台やドラマに進出し女優としても活躍した。2020年3月末をもって、芸人を引退表明。芸名を藤原しおり(本名・藤原史織)と改名した。