世界で3台のみ作られたアバルトを所有 アバルトライフFile.13小嶋さんと750ゴッチア ヴィニャーレ
1950年代の空力の追求がそのままカタチに
アバルトの黎明期である1950年代にリリースされたモデルの多くは、カロッツェリアによるスペシャルボディをまとっていた。それらのなかにはワンオフあるいはごく少数のみがつくられた、製品というより作品と呼びたいモデルもあった。今回紹介する1957年「フィアット アバルト750ゴッチア ヴィニャーレ」も、そうした1台である。イタリア語で「しずく」を意味する“Goccia”という名のとおり、空力を意識したであろう水滴型のボディ。50年代の未来図に描かれたようなレトロフューチャーな雰囲気は、個性派ぞろいの初期アバルトのラインナップのなかでも異彩を放っている。
そのスタイリングを手がけたのはカロッツェリア・ミケロッティ。同社と協力関係にあったカロッツェリア・ヴィニャーレがアルミボディを製作し、アバルトがスープアップしたエンジンを積んだフィアット600のシャシーに架装。というのが大まかな成り立ちだが、生産台数はわずか3台で、うち1台はすでにこの世に存在しないといわれている。
つまり取材車両は、2台のうちの1台というきわめて希少な個体。さらにロードレース時代の最終年度となった1957年のミッレミリアにエントリー、総合94位、GT750クラス4位で完走したヒストリーまで付いているのだ。この超希少な750ゴッチア ヴィニャーレ(以下ゴッチア)のオーナーは、福島県郡山市在住の小嶋伸吾さん。
ガレージには4匹のサソリが
10年ほど前にジャガーEタイプでクラシックカーの世界に入ったという小嶋さん。ゴッチアは彼をこの道に誘った地元在住の旧車趣味の師匠が日本に入れたクルマで、初めて目にしたときには、そのたたずまいに強烈なインパクトを受けたという。
「アバルトについて多少の知識はありましたが、ゴッチアの存在はそれまでまったく知りませんでした。ですが、なんでこんな形にしちゃったんだろう? という感じの奇抜な姿に一目惚れ。師匠が熱く語ったヒストリーにも心を揺さぶられ、もし手放す気になったら譲ってほしいと申し出たのです。とはいうものの、まさか自分のものになるとは思いませんでした」
それが現実となったのは、5年ほど前のこと。ゴッチアの入手と前後して、小嶋さんは猪苗代湖に近い福島県磐梯町に別荘を建てた。東日本大震災の後、自宅周辺は放射線量が高く、屋外で遊べなくなってしまったお子さんに、存分に走り回れる自然豊かな環境を与えたい、というのが動機だったという。
「ところが、行ってみたら周囲にはドライブが楽しめる道がいくつもあって、旧車趣味にも絶好の環境だったんですよ」
絶対的なパワーは限られているが、エンジンはよく回るし、なにより車体の軽さが効いて、ワインディングロードを水を得た魚のようにキビキビ走る。車齢60年を超えてますます元気なゴッチアを楽しんでいるうちに、サソリの毒がヒタヒタと小嶋さんの体に回っていった。気付いたときには「595SS」とザガート製ボディに750ccのビアルベッロ(ツインカム)ユニットを積んだ「750 レコードモンツァ ザガート」という2台のクラシック、加えて普段使い用として現代の「695トリブートフェラーリ」と、先住のゴッチアと合わせて4匹のサソリがガレージに住み着いてしまっていたのだった。
「思えば免許を取って最初のクルマがクラシックモデルでしたし、もともと小さなクルマを好む性向はあったんでしょう。ゴッチアを手に入れたことで、それが一気に顕在化した感じでしょうか」
小嶋さんにとって、ゴッチアをはじめとするアバルトの魅力とは、小さな体で、たとえばポルシェやフェラーリのような大きなクルマに敢然と立ち向かっていく心意気。そうした思いから、ゴッチアが希少で文化遺産としての側面もあるとはいうものの、走らせてこそ存在意義があると考えている。
「今後もオリジナル状態を維持して、壊さないよう配慮しつつ楽しみ、いずれは次世代にバトンを渡せればいいかと。私よりクルマのほうが、絶対に長生きするでしょうから(笑)」
アバルトへの熱い思いと敬意に満ちた彼のようなエンスージアストによって、そのスピリットとレジェンドは継承されていくのである。
文 沼田亨
写真 荒川正幸
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