1974 ABARTH 2000 Prototipo Pininfarina SE027|アバルトの歴史を刻んだモデル No.055

1974 ABARTH 2000 Prototipo Pininfarina SE027
アバルト2000 プロトティーポ・ピニンファリーナSE027

カルロ最後のレーシング・スポーツカー

1971年にフィアット・グループ入りしたアバルトは、グループ内で主にラリー用競技車両と量産車のスポーツモデルの開発を担当した。以前のように週末ごとにサーキットへ出向き、勝利を手にしてトリノに帰るというサイクルはなくなってしまった。レースにすべてを捧げてきたカルロ・アバルトの心境は容易に想像できるだろう。

実はアバルトのレーシング部門は1971年夏の終わりに解散し、アバルトの子会社としてレーシング・カスタマー・サービスを担当していたオゼッラへと移管された。2台の3000プロトティーポ、6台の2000、そして10台のSP1000を含むすべてのワークスマシン、それに12人の技術者とメカニックも含まれた。彼らは新天地で新たな活動を開始することとなった。

これによりアバルトからはレーシング部門が消失したわけだが、カルロ・アバルトは自身の立案により、新たなプロジェクトをスタートさせた。完全新設計となる2000プロトティーポの開発である。


2000プロトティーポ。写真はモノクロだが、ボディは当時のアバルトのイメージカラーだったレッドとイエローのカラーリングとされていた。

ピニンファリーナの風洞で空力を追求

当時のアバルトはレースに自由にチャレンジできる状況にはなかった。しかし、カルロ・アバルトの想いとしては、このプロジェクトによりレースフィールドへの復帰を望むと共に、これまでにアバルトが蓄積していたテクノロジーを次世代へ継承しようという意図もあったといわれる。

開発コードナンバーSE027と名付けられたアバルト2000プロトティーポは、当時のグループ5クラスに向けた2座席プロトタイプ・スポーツカーで、それまでアバルトのレーシングマシンを手掛けてきたマリオ・コルッチ技師が設計を担当した。


丸みを帯びたノーズや空力を考慮したコクピットまわり、リアフェンダー部分でボディを狭めウイング状とした造形など、それまでのアバルトに見られない先進的なデザインを採用していた。

開発にあたって注目したい点は、当時重要性が認識されていた空力性能を突き詰めるために、完成して間もないピニンファリーナの風洞でテストを重ねてスタイリングが決定されたことである。

完成したSE027は1974年3月14-24日に開催されたジュネーブ・モーターショーで世界に向け披露された。ピニンファリーナ・ブースにシャシーと共に展示され、そこで高度なエンジニアリングと優れた空力性能をアピールしたのである。

アバルト・テクノロジーの集大成

アバルトSE027のエンジンは使い慣れた1986ccの水冷直列4気筒DOHCユニットの発展型で、圧縮比を11.4:1まで高め、ルーカス製フューエル・インジェクションを採用。最高出力は280HP/9000rpmを発生した。変速機は実績のあるヒューランド製FG400型5速タイプが組み合わされ、最高速度は318km/hに達した。


ミッドに搭載されるエンジンは、1986ccの直列4気筒ユニット。最高出力280HPを発生した。

アルミパネルをリベット留めと接着により結合したモノコックボディを採用し、その前後に鋼管製サブフレームを組み合わせるという手堅い構成とされた。各部の軽量化が進められた結果、乾燥重量は575kgときわめて軽かった。

サスペンションはフロントにAアームを用いたダブルウイッシュボーン、リアはIアームとトレーリングアームという定番の構成。個々に調整式のスプリング/ダンパーとアンチロールバーを備え、コースに合わせた細かな調整を可能としていた。


プロトタイプ・マシンのためシングルシーターとなる。部材からアルミ・モノコックの形状が良く分かる。

当時2リッタークラスのスポーツカーは直線基調のスタイリングが主流だったが、アバルト2000プロトティーポは丸みを帯びた柔らかいラインが特徴だった。コクピット回りの気流を整えるデザインや、ボディサイドのインテークなど、これまでのアバルトには見られなかった新基軸の空力デザインが取り入れられた。リアフェンダーは上部を一段狭めてウイング形状とすると共に、リアエンドに大型のリアウイングが配され、新時代のマシンであることを物語っていた。


リアから見たSE027。そのデザインエレメントは9年後に登場するグループCカーのランチアLC2に受け継がれることになる。

オイルショックによりプロジェクトが中断に

完成したSE027は、アバルトにとって庭といえるファクトリー裏のカンポ・ヴォーロ飛行場でテストが行なわれた。この新型マシンのテストにもカルロ・アバルトは実質的な責任者として随行している。

1974年5月にはサンタモニカ・ディ・ミザーノ・アドリアティコ・サーキットで本格的なテストが行われ、熟成が進められた。このテストにはドライバーのジョルジョ・ピアンタ、ピーノ・ピーカ、ヴィットリオ・ブランビッラのほか、設計したマリオ・コルッチ技師、専務のレンツォ・アヴィダーノ、そしてカルロ・アバルトと、往年のテスト思わせる顔ぶれが参加した。


SE027のオフィシャル・フォトはアバルトではなくピニンファリーナが担当した。コックピットを囲むカウルの後方はルーバー状とされていた。

順調に開発が進んでいたSE027だったが、第四次中東戦争の勃発と、続いて世界を襲ったオイルショックの影響による景気後退から計画は中止となり、完成したマシンはお蔵入りとなってしまう。

2000プロトティーポは実戦でそのパフォーマンスを披露することはなかったが、新時代のスポーツ・プロトタイプ・マシンとしてアバルトファンの脳裏には今も焼き付いている。そしてSE027はカルロ・アバルトが開発からテストまでかかわった最後のマシンとなったのである。

1974 ABARTH 2000 Prototipo Pininfarina SE027

全長:3800mm
全幅:1870mm
全高:940mm
ホイールベース:2300mm
車両重量:575kg
エンジン形式:水冷直4 DOHC
総排気量:1986cc
最高出力:280HP/9000rpm
変速機:5段+後進1段
最高速度:318km/ h