「要件を満たすより、超える。そんな姿勢に共感を覚えます」アバルトライフFile.38 石渡さんと695 70°Anniversario
さらに一歩前へ
「このクルマを走らせていると、“もっと、もっと”とクルマが語りかけてくるような気がするんですよ。“スピードを出せ!”という意味ではなく(笑)、一歩前へ出るというか、前へ前へ進んでいこうよ、と背中を押される感じ。アバルトは常にそういう刺激をくれて、それが仕事に対するモチベーションにもつながっているようなところはありますね」
そう語ってくださったのは、アバルトカレンダー2021の8月にご登場いただいた石渡(いしわた)文一さん。愛車である「695 70°Anniversario (セッタンタ・アニヴェルサーリオ)」についてお話をうかがったときのお言葉です。
石渡さんの職業はインダストリアルデザイナー。クライアントの要望に応えて造形物をデザインするという性質上、個人の名前が表に出ることは稀ですが、石渡さんのデザインした製品は機械工業デザイン賞の最優秀賞経済産業大臣賞やグッドデザイン賞などを受賞したこともあります。そんな第一線で活躍されている石渡さんに、デザイナーという観点からアバルトについて語っていただきました。
実は695セッタンタ・アニヴェルサーリオは、石渡さんにとって2台目のアバルト。最初は2012年にクルマのイベントで初めて実車を見て、そのままショールームを訪ねて購入した、左ハンドル・MTの赤いアバルト500。エッセエッセKONIキットを組み込んで乗っていたそうです。
「クルマ好きなので、アバルトのことは以前から知っていました。でも、それまでなかなか接点がなかったんですね。もともと小さいクルマが好きだったんですけど、小さいのに過激な、その意外性に惹かれました。まるで自分の身体の延長にあるみたいな、そういうところが気に入ってました」
ところが4年後、石渡さんは一度、アバルトから離れます。50代になろうという時に落ち着いたクルマを考えたこと、奥さまにとっては左ハンドルのMTが乗りづらく、3回しか運転しなかったことが理由だったそうです。買い換えたクルマはドイツ製のスポーツクーペ。それなりに満足していたそうですが……。
「それでもサソリの毒が抜けなかったんでしょうね(笑)。実はときどきアバルトのショールームを訪ねていたんですよ。そんな中でこのクルマが日本に入ってくることを知り、抽選に応募したんです。今度はいざというときに妻も運転できるよう、右ハンドルの2ペダルです。それで当選し、手に入れることができたのは、幸運だったと思いますね。実は本国にある白もいいなと思っていたんですけど、結果的にこの色でよかったと思っています。派手じゃないけど地味でもない。アバルトを知らない人からも“綺麗な色ですね”と声をかけられたりもするんです。他にない色だし、良い印象を人に与えている色なんだな、と思います」
過去と未来をつなぐデザイン
走りのパフォーマンスに関してはまったく不満はなく、かなり気に入っているという石渡さん。アバルトのどんなところに魅力を感じているのかを訊ねてみました。
「ベースとなったフィアット500は、昔のヌォーヴァ500の造形を上手く盛り込んだクルマですよね。伝統と革新。継承していく部分と時代に合わせた新しい要素が同居しているんです。つまり過去を正しく伝えながら、現代のモノとしてつくられている。歴史を踏まえて“今”をつくり上げているわけです。デザインに関しては、まずはその受け継いだ部分と新しさのバランス感覚が非常に優れていると感じますね。昔の500とイメージは一緒だけど、デザインをそのまま流用したところはひとつもなくて、並べてみると造形はかなり異なっています。新しいデザインとして過去の名作を蘇らせるのは、実はものすごく難しい作業だと思うんです。同じようにかたちづくりに携わっている人間としては、そこに凄みを感じます。そのうえアバルトは、このクルマが本質的に持っている意志みたいなものが内面から湧き出てきている。デザインのためのデザインというような装飾的なものじゃなくて、内面から湧き出ているものが、自然に形となって現れているんです。これも凄いことですよね」
インダストリアルデザインの仕事はただ思いどおりにデザインすればいいというわけじゃなく、クライアントからの要望を満たさなければなりません。デザインを機能として成立させないといけない。そういう観点から、アバルトを見るとどうでしょう?
「機能が形をつくるとは昔からいわれていることですけど、確かにそれはそのとおり。私は以前、工作機械の会社でデザインをやっていたんですけど、機能一点張りの製品にデザインという要素を取り入れることで、販売面で優位に立てるものをつくり上げることが求められました。この場合にデザインとは単なる装飾ではなくて、使いやすさとか使い勝手など、人が使うことで初めて機能するものですね。例を挙げるなら、カバーのデザインひとつでメンテナンス性が変わるわけです。デザインというのは人との関係性の中で成り立つものです。そこがうまくまとまると、製品として優れたものになる」
「私はもともとはカーデザイナーになりたくて造形の勉強を始めた人間で、自動車メーカーに入ることを考えた時期もありました。大学ではカーデザインを学んで、レンダリングを描き、クレイを削っていました。クルマの場合はボディの中に複雑な機能が詰まっていて、その機能がクルマの性格を決めるところがあるでしょう? だから機能と形がアンバランスだと、本来的には製品として成り立ちにくいわけです。でもアバルトは、本質的な意志のようなものが内面から湧き出てきて、それが造形へと繋がっている。つまり機能が形をつくっているわけです。それも無理に小綺麗にまとめようとしているわけじゃなく、自然と人間の感性に響くような、とても魅力的なスタイリングに仕上がっている。このあたりの感覚、イタリア人はものすごく優れているなと感じますね」とアバルトのデザインを評価する石渡さん。
期待を超えることへの挑戦
アバルトのデザインには、さらに感心させられるところがあるのだとか。
「フィアット500がベースという前提があるわけだから、ホイールベースは短いしサスペンションの設計にも制限はあったはず。ということは、クルマの動きにも当然規制されるところはあると思うんです。けれどアバルトはそこを逆手にとって、“いいじゃんコレで。だって楽しいだろ?”というように、それをファンな乗り味につなげていると思うんですよね。そこに強烈な説得力を感じます。もちろんそういうところが合う人もいれば合わない人もいるだろうけど、合う人にはかなり強く引かれるクルマです。他の製品でもそうですけど、日本人の場合はどうしても、誰にも何も言われないような、優秀なものをつくろうとしてしまう。だから尖ったものが生まれにくいし、つくりづらいと思うんです。その点、アバルトは尖った魅力をたっぷり活かしたクルマづくりをしているところが、すばらしい!」
そう語る石渡さんは、ご自身も仕事でデザインを手がける時に、クライアントからの要望を超えるモノづくりを心掛けているそうです。
「私も以前からクライアントにデザインの提案をするときには、もちろん必要とされる機能や要件をちゃんと満たしたうえで、尖ったものから提案していくタイプでした。言われた通りのことだけやって平均的なモノづくりにつなげていくのは、それはただ形にしているだけであってデザインではない。そんな中からはいいモノは生まれないし、進歩もないと思うんです。だから私の提案はすんなりそのまま通ることがほとんどないんですけど、“それなら少しこの部分の条件を緩和するからもう少しこうできないか?”みたいに、ちょっとずつステップが進んでいくことはあります。楽ではないけれど、そういうステップを踏んだうえで要望以上のモノを生み出せたときの喜びは大きいので、挑戦のしがいはあります。だからアバルトに対してシンパシィを感じている部分もありますし、挑戦を後押ししてもらっているというか、前へ進みたいと考えている自分の気持ちを後ろから気持ちよく蹴飛ばしてもらっているような部分はありますね(笑)。やっぱりアバルトに戻らないと! って思ったのは、だからなのかもしれません」
デザイン以外についてもうかがってみました。
「普段は仕事場に毎日乗っていったり、休日にクルマのイベントに出掛けたりするくらいなんですが、制限速度の中でも十分に楽しい。40km/h制限の道をあたり前に40km/hで走っているだけでも気持ちが高揚してくる。それは他のクルマでは味わったことがない体験ですね」
「それに、このクルマって決して従順ないい子ちゃんではないでしょう? クルマが明確な意志を持っているんです。クルマが意思を持って主張してきて、自分にも自分の意思がある。常にお互いがコミュニケーションを取り合っている。そこが一致したときが、とても気持ちいいんです。仕事でもそうですけど、目指すところは同じでも発想の原点が違って意見も食い違う、っていうことがあるじゃないですか。それでもお互い信頼し合っているから、最終的にはゴールに辿り着く。そのときの何ともいえない喜び。このクルマに乗っていると、そういうことがよくあるんですよね。それも他のクルマでは味わったことがない」
「だから別のクルマに乗り換えようという気持ちにはまったくならないんです。いずれEVのアバルトも出てくるでしょうから、それには興味津々ですけれど(笑)」
アバルトはこれまで、単なるデザインのためのデザイン、装飾のための装飾ということをしないブランド。元がチューナーでありレース屋なので、基本、機能のない造形になどに関心はないのでしょう。いずれ世に出ることになるだろうアバルトの電気自動車も、きっとそういうクルマとして生を受けることになるのでしょう。そのときに石渡さんが695 セッタンタ・アニヴェルサーリオから乗り換えるのか、それとも増車になるのか──興味津々です。
文 嶋田智之