1985 LANCIA DELTA S4|アバルトの歴史を刻んだモデル No.014

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1985 LANCIA DELTA S4
ランチア デルタS4

アバルトだから作ることができた最強グループBマシン

今回は、アバルトがブランド活動を休止していた時代に登場した「ランチア デルタ S4」を紹介しよう。デルタS4は、車名にアバルトの名こそ入らなかったものの、開発はアバルトチームによって行われ、競争が激化したグループBカテゴリーで存在感を発揮。デビュー戦のRACラリー(世界ラリー選手権の最終戦)を制し、モンテカルロラリーでも優勝を果たすなど、高い戦闘力を発揮したモデルである。

FIA(国際自動車連盟)の競技車両区分のひとつとして1982年に発効されたグループBカテゴリーは、それまでのグループ4(特殊GT/改造範囲の広いGTマシンのクラス)の発展型といえるものだった。グループ4では義務生産台数が連続する24ヶ月間に400台だったものが、グループBでは12ヶ月間/200台へと緩和され、自動車メーカーはより先鋭化したマシンを送り出すことが可能となった。

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デルタ S4ロードバージョン発表時のオフィシャルフォト。ルーフとリアサイドに備わるインテークは、戦うことを前提に作られたモデルの証し。

ところでグループBをWRC(世界ラリー選手権)に代表されるラリー専用のクラスだと思っている人が多いようだが、FIAの構想では以前のグループ4と同様に、サーキットのレースとラリーの両方を展開する予定だった。しかしレース参戦を目指すメーカーがフェラーリ(288GTO)だけだったためサーキットでのレースは成立せず、一方のラリーは注目度が高かったことからそのような認識が広まったようだ。

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リアから見たデルタ S4。車名は「デルタ」を名乗っていたが、従来のデルタとはかけ離れたデザインで、テールランプにわずかにその面影が残る程度だった。

さて、アバルトが製作し、ランチアの名前でWRCに挑んだモデルとしては、デルタS4の前にも「037ラリー」があった。それは1983年にメイクスチャンピオンを勝ち取ったものの、その後、苦戦を強いられることとなった。ラリーは、ターマック(舗装路)からグラベル(砂利道など)、雪道とステージによって路面コンディションが大きく異なるため、純粋なレーシングマシンの手法で作られた「037ラリー」は、雪や滑りやすい路面では不利だったのだ。またテクノロジーの進化によりパワー競争が激化したため、2輪駆動ではトラクション性能に限界があった。そうした背景のもと、ラリーシーンではあらゆる条件下で安定感の高い4輪駆動のマシンが戦闘力の高さを誇示するようになっていた。そこでアバルトは037ラリーの次の世代のグループBマシンとして、ミッドシップ(最終的にリアエンジンレイアウトとなる)で4輪駆動化したスーパーウェポンの開発に取り掛かった。それがデルタS4だった。

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デルタ S4 ロードバージョンの透視イラスト。エンジンのカムカバーにはABARTHの文字が誇らしげに輝いていた。

デルタS4は1985年から1986年にかけて200台作られた。ミッドエンジン+4輪駆動で、シャシーは設計の自由度が高いスペースフレームというレーシングカーそのもののつくりだったが、フィアット側からの市販モデルとかけ離れたスタイリングではプロモーション効果が弱い指摘を受け、当時のランチアの主力モデルであった「デルタ」のイメージを受け継ぐデザインが追求された。

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過給器概念図。まずターボで圧縮され、その後インタークーラーを経てスーパーチャージャーに入り再びインタークーラーを経てインテークに導かれる。

「ABARTH 233 ART18S」という型式が与えられたエンジンは、実績のある水冷の直列4気筒DOHC 16Vユニットをベースとしつつ、排気量は過給機係数を掛けて2500cc以下のクラスとなる1759ccとされた。037ラリーに較べるとパワー的に不利に思えるが、アバルトのエンジニアたちは世界を驚かせるメカニズムを採用していた。そのエンジンはアバルト製の機械式スーパーチャージャーとKKK K26型ターボチャージャーというふたつの過給機を備え、低回転域はスーパーチャージャー、高回転域はターボチャージャーが受け持つことで、全域で優れたレスポンスとパワーを発揮した。さらには大型のインタークーラーを2基組み込み、安定して充填効果を高められる構成とされた。

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デルタ S4コンペティツィオーネのエンジン回り。エンジン本体が見えないぐらい巨大なインタークーラーを2基搭載していた。

組み合わされる5速ギアボックスはエンジンの前方に配置され、往年のアバルトが得意としたリアエンジンレイアウトに近い配置だった。ギアボックスはセンターデフを設ける関係からシフトレバーのすぐ後方にミッドマウントし、そのギアボックスの左横に配されたセンターデフを介して、前後30:70の割合で4輪に駆動力を配分するフルタイム4WDシステムを採用した。

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駆動方式はエンジン前方に配されたギアボックスの横に位置するセンターデフにより前後にトルクを配分するフルタイム4WD方式。

車両区分は排気量2500cc以下のクラスだったため、最低重量は037ラリーが属した3000cc以下クラスの960kgから890kgへと軽量化が可能になり、排気量の縮小によるパワーダウン以上のメリットが得られたことも見逃せない。車体を軽くするためボディパネルはFRPで製作し、ラリーバージョンではさらなる軽量化のため一部にカーボンファイバーやケブラー製のボディパネルを用いていた。

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車体骨格は、レーシングマシンそのものといえる高剛性なクロームモリブデン鋼によるスペースフレームを基本に、サスペンションは前後ともAアームのダブルウィッシュボーン式とし、サスアームの取り付け位置はラリーの特性に合わせて3ポジションに変更できる構造を採用。どの部分を見てもアバルトが手掛けてきたレーシングマシンの集大成といえる構造だった。

こうして送り出されたデルタS4のロードカーは、テールランプや一部のパーツをデルタから流用したものの、とても似ているとは言い難い武骨なスタイルだった。勝つために必要な装備を盛り込み、それをデルタ風に仕立て上げた。そんなモンスターだった。

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シャシーはクロームモリブデン鋼で組み上げられたスペースフレームを基本に、フロントにはアルミ製の補助フレームが組み込まれる。サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン式。鋼管のAアームやピロボールのジョイントなどはレーシングカーと変わらないつくり。

ちなみにデルタ S4は、アバルトによる開発であることを示すSE038というコードネームが与えられた。車両形式は037ラリーがフィアット用100番台で、ZLA151を用いていたのに対し、デルタ S4はランチア用の800番台ではなく、ZLA038の開発コードがそのまま形式番号とされ、特別なモデルであることが示されていたのだ。

市販されたロードバージョンの デルタ S4は、1759ccの排気量から250bhpを発揮し、車重1200kgの車体を最高速度225km/hに届かせた。ラリーを戦う戦闘機のホモロゲーション(生産義務台数をクリアするための)モデルながら、インテリアはランチアらしくアルカンターラを使い豪奢に仕立て上げられていたのも特徴である。

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デルタ S4ロードバージョンのインテリア。グループBホモロゲーション用のモデルだが、アルカンターラを多用したランチアらしい豪華な仕立てにされていた。

デルタ S4は、1985年のWRC最終戦となるイギリスのRACラリーに姿を見せ、ヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト組が見事にデビューウィンを果たした。このラリー用のコンペティツィオーネは当初450bhpを発揮したといわれ、最終的に600bhpを発揮するまで熟成が進められた。1986年シーズンは開幕戦となるモンテカルロラリーもトイボネン/クレスト組が制し、栄光をイタリアに持ち帰る期待が高まった。

ところが第5戦のツールド・コルスでトイボネン/クレスト組がアクシデントに見舞われ帰らぬ人となってしまう。これ以前にもグループBカーによるアクシデントがラリー中に続いていたため、FIAはこれを契機に性能が高くなり過ぎたグループBを1986年いっぱいで終了し、1987年からは量産車に近いグループAマシンで競わせることになる。ちなみにランチアはグループA用に「デルタHF 4WD」を送り出すが、このマシンの開発もアバルトの開発陣が担当していたのである。こちらの詳細については、機会を改めてご紹介したい。

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ランチア デルタ S4のカタログ。左が表紙で、右は裏表紙。A4版の4つ折タイプで、開くと中面はポスターになっていた。

限られた車両規定の中で、最高のパフォーマンスを発揮するアバルトの手腕は、ランチア デルタ S4にも生かされた。登場したのはアバルトのブランド名が姿を消していた時期だったが、それでもマシンの随所に”ABARTH”の文字が誇らしげに刻まれていた。アバルトの技術力とスピリットはブランド活動を休止していたこの時期も健在だったのである。

スペック
1985 LANCIA DELTA S4
全長 :4005mm
全幅 :1800mm
全高 :1500mm
ホイールベース:2440mm
車両重量 :1200kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC 4バルブ+スーパーチャージャー+ターボチャージャー
総排気量 :1759cc
最高出力 :250bhp/6750rpm
変速機 :5段マニュアル
タイヤ(F/R):205/55R16
最高速度 :225km/h

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形式名ABARTH 233 ART18Sと呼ばれるエンジンは、手慣れた水冷直列DOHC 4バルブ4気筒ユニットで排気量は1759ccとされた。