1962 ABARTH SIMCA 1300|アバルトの歴史を刻んだモデル No.010

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1962 ABARTH SIMCA 1300
アバルト シムカ 1300

最強のコンペティションGT

モータースポーツにおいて、1000cc以下のクラスを制圧したアバルトは、その上のクラスへのチャレンジを始める。そんな折、1962年シーズンからFIA国際マニュファクチャラーズ チャンピオンシップがGTマシンで競われることになり、排気量によるクラス分けが細分化された。排気量1000cc以下のディビジョン1は、700cc以下、850cc以下、1000cc以下の3部門に分けられ、2000cc以下のディビジョン2は、1300cc以下、1600cc以下、2000cc以下の3部門に。ディビジョン3は、2500cc以下と3000cc以下、3000cc超と定められた。

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アバルト シムカ 1300の初期型は、1961年型1000 ビアルベーロと同じ、丸いテールデザインが特徴。レース時には放熱のためエンジンフードを浮かせた状態で固定された。

アバルトは既にディビジョン1の3部門を席巻していたため、次なる目標としてディビジョン2の1300cc以下クラスに照準を合わせる。この新規定の発効と前後してアバルトは、フランスのシムカ社とのコラボレーションをスタートさせる。シムカ社は1935年に創業し、当初からフィアット社と深い関係を持っていた。第二次大戦後フィアットとシムカは技術的な協力関係を継続しており、1961年にフィアットの技術者が「600」で得た経験を基に開発し、シムカにとって初めてのリヤエンジン車となる「シムカ1000」がデビューする。

シムカ社は、アバルトがフィアット車の量産車とそのコンポーネンツを使用し、レースの勝利により高いプロモーション効果を得るのを横目に見ていた。そして、それまでモータースポーツとは無縁だったシムカという地味なブランドを変革するには、エンスージァストに注目される魅力的な高性能車の開発が近道と考えたようだ。こうしてシムカ社は、アバルトにシムカ 1000のコンポーネンツをベースとしたスポーツモデルの開発を依頼するのだった。

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レースを前提に開発されたGTだけにインテリアは走るために必要なものしか備わらない。シートはこの時代のアバルト車に使われたバケットタイプが備わる。

アバルトは先に大成功を収めたレーシングGTの「フィアット アバルト1000 ビアルベーロ」と同様の手法でシムカベースの新型GTの開発をスタートさせる。ベースはシムカ社の意向からシムカ 1000のフロアパン、トランスミッション、ステアリング、サスペンションを用いて設計が進められた。

こうして誕生したのが「アバルト シムカ 1300」である。リヤに搭載されるエンジンは、アバルトが新たに開発した水冷直列4気筒DOHCユニットで、総排気量は1300cc以下のクラスに適合させるべく1298ccとされた。10.4:1まで高めた圧縮比と2基のウェーバー45DCOEツインチョークキャブレターが組み合わせられ、125hp/6000rpmのパワーを発生した。エンジンオイルの潤滑方式は、エンジン搭載位置を下げられるドライサンプ式が採用された。

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リヤに搭載されるティーポ 230エンジンは、総排気量1298ccの水冷直列4気筒DOHCユニットで、125hp/6000rpmの最高出力を発生した。

ボディのスタイリングは、一足先に登場していたフィアット アバルト 1000ビアルベーロに倣ったモダンかつ流麗なものを纏う。社内でデザインされた最新ベルリネッタスタイルを踏襲し、カロッツェリアのベッカリスでアルミ製のボディが製作された。一回り大きいシムカ 1000のフロアパンを用いるためボディは拡大されていた。ディメンションは全長3555mm×全幅1480mm×全高1140mmで、ホイールベースは2090mm。乾燥重量は630kgと軽量だった。

アバルト シムカ 1300は1962年2月から正式に販売が開始されると、アバルトファンはもちろんのこと、世界中のエンスージァストから高い評価を得る。ロードカーの販売と同時にGTクラスのホモロゲーションが申請されるが、公認を得るまでは生産台数と車両規定のゆるいスポーツカークラスでレースに挑み、カテゴリーとしてはひとつ下のモデルながらライバル達に脅威を与える活躍を見せた。

同年10月8日にグランドツーリングカーカテゴリーのホモロゲーションが承認され、アバルト シムカ 1300は正式にレースデビューを果たす。すぐさまGTカテゴリーのレースで高いポテンシャルを見せつけ、さっそく9つのメジャーレースで優勝を勝ち取った。

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ノーズには「ABARTH SIMCA 1300」のレタリングが配される。アバルトのエンブレムは、上部のABARTH文字のベースがイタリアントリコローレとされていた。

翌1963年になると本格的な活動が始まり、2月のデイトナ3時間レースではハンス・へルマンが駆るアバルト シムカ 1300は、GTカテゴリー全体で2位、1300cc以下のクラスで優勝を飾るとともに、総合でも堂々の9位入賞を果たした。最高峰の国際GTマニュファクチャラーズ選手権の1300cc以下のクラスの年間ポイントではアルファ ロメオにわずかに及ばず2位に留まったが、多くのレースでクラス優勝を果たした。

1963年モデルでは、リアエンドのデザインが変更される。ジュネーブショーで発表されたアバルト シムカ 1600GTや1000 ビアルベーロの1963年モデルと同様に、リアエンドがストンと切り落とされたコーダトロンカ形状とされ、エンジンフードの後端が跳ね上がった“ダックテール”デザインにとされた。このタイプはマニアの間では高い評価を得ており、究極のアバルト シムカ 1300として珍重されている。ちなみに初期型の丸いテールデザインのタイプは「ラウンドテール」と呼ばれ、区別されることとなった。

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1963年に登場した後期型はリアエンドのデザインが他のモデルと同様に変更された。エンジンフードの後端が反り上がることから“ダックテール”と呼ばれる。

1964年シーズンはセブリング12時間レースでクラス優勝したのを皮切りに、イタリア国内はもとより、ヨーロッパやアメリカの様々なレースやヒルクライムでも大活躍した。現在のWECに相当する国際マニュファクチャラーズ選手権では、GTカテゴリーの1300cc以下クラスを遂に制覇して、世界一の座を勝ち取ったのである。

しかし、アバルトとシムカのコラボレーションは、1964年をもって終了する。その理由はシムカ社が1963年にアメリカ ビッグ3のひとつであるクライスラーの傘下に入ったためで、同社はアメリカ的な新たなプロモーションを考えていたのである。そのためアバルトとのエンスージァスティックなレース活動は不要になってしまった。こうしてアバルトは新たなレーシングGTとして「フィアット アバルト OT1300/2000」の開発に取り掛かるのだった。

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ダックテールになったアバルト シムカ 1300後期型のカタログ。1枚もので2色刷りのシンプルなものだった。

▼スペック
1964 ABARTH SIMCA 1300

全長 :3555mm
全幅 :1480mm
全高 :1140mm
ホイールベース:2090mm
車両重量 :630kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量 :1288cc
最高出力 :125hp/6000rpm
変速機 :4段マニュアル
タイヤ :145-13
最高速度 :230km/h