アバルト歴代モデルその2

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アウトビアンキA112アバルト
AUTOBIANCHI A112 ABARTH

それまでフィアットとは極めて密接な関係にありながらも、独立した一企業であったアバルトが、1971年をもって正式にフィアットの傘下に組み入れられることになったのは、もはやご存じのとおりである。
しかしその直前、カルロ・アバルトらはあるアイデアを暖めていた。1969年10月にデビューした小型車、アウトビアンキA112をベースとしたレーシングモデルの開発である。


フィアット・グループの市販車にグレード名として与えられる第一号車となった、アウトビアンキA112アバルト。写真は初期型の58HPバージョンだが、そのポテンシャルは侮りがたく、モータースポーツでも活躍を果たした。

1928年7月29日、自ら購入したグリンドレー・ピアレスとともに初優勝を果たしたカール。MT社で受けた裏切りからわずか数週間後に、見事リベンジを果たしたことになる。

アウトビアンキA112は、フィアットの巨匠ダンテ・ジアコーザ博士が考案、前輪駆動車のパワートレーン配置に革命をもたらした“ダンテ・ジアコーザ式”前輪駆動を採用した小型車。可愛らしい2BOXボディに、水冷直列4気筒OHVエンジンを横置きに搭載する。そして、それまでのフィアット/アウトビアンキの前輪駆動モデルと同様に、エンジンの脇にトランスミッションとデフを配置。左右不等長のドライブシャフトで前輪を駆動するレイアウトを採っていた。今や、ほぼすべての横置きエンジン前輪駆動車で当たり前のように使われている方法だが、これが“ダンテ・ジアコーザ”式なのだ。

かつてフィアット600やヌォーヴァ500、そして850にレーシングベースとしてのポテンシャルを見出し、大成功を収めたカルロの慧眼は、コンパクトでハンドリングに優れたA112の潜在能力にも気が付いていた。そこでカルロや技術主任のマリオ・コルッチ技師らは、当時のツーリングカーレースを席巻していた“フィアット・アバルト1000ベルリーナTCR”に搭載されていた、純粋なレーシングエンジン高度な半球形燃焼室を持つ“テスタ・ラディアーレ”を搭載したレーシングマシンの開発に着手したのだ。

わずか982ccながら、“テスタ・ラディアーレ”ヘッドの効用で108psを発生したこのマシンは実際にプロトタイプが試作され、1970年3月、トリノの“ビスカレッティ自動車博物館”で開催されたレーシングカーショーにも出品されたが、諸般の事情でプロジェクトはキャンセルとなってしまう。

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1000TCRの後継車として企画。TCR譲りの“テスタ・ラディアーレ”エンジンをフロントに搭載したが、ETC(欧州ツーリングカー選手権)の最小クラスが1,300ccと改定されてしまったなどの事情で、プロジェクトはキャンセルとなった。

しかしこのプロトタイプで得た経験は、1971年10月のトリノ・ショーにて、市販ロードカーとして正式発売された“アウトビアンキA112アバルト”に生かされることになる。これは“アバルト”の名がフィアット・グループの市販車にグレード名として与えられる、初めての例となった。
A112のベーシックモデルおよび高級版の“エリート”では903cc・47psだった直列4気筒OHVユニットは、アバルト版では歴代アバルト製“モノミッレ”と同じ982ccまで拡大、58psとされた。ノーマル状態でのパワーこそ比較的控え目に映るものの、アバルトのネーミングに相応しくレーシングチューンを見越してエンジン細部にまで手が入れられ、さらなるスープアップにも耐えられる余地が残されていた。

そして日常のロードユーズに使用する一般ドライバーはもちろん、ラリーやヒルクライム競技に供するアマチュアスポーツマンにも愛好されたA112アバルトは、デビュー4年後の1975年にはエンジン排気量を1,050ccに拡大。ヘッドにも再チューンを受けて70psまでパワーアップされた“A112アバルト70HP”に進化を遂げる。

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1975年以降、A112アバルトは1,049cc・70psエンジンを搭載した70HPに進化。さらにカロッツェリア・ピニンファリーナの協力のもと度重なるマイナーチェンジを受けて、1985年まで延命した。かつて日本で大人気を博したのは、この時代のモデルだった。

1928年7月29日、自ら購入したグリンドレー・ピアレスとともに初優勝を果たしたカール。MT社で受けた裏切りからわずか数週間後に、見事リベンジを果たしたことになる。

さらに1981年には、ピニンファリーナの手でエクステリア/インテリアともに比較的大掛かりなフェイスリフトが施され、モダーンなアピアランスを得ることになった。
特に1980年代のアウトビアンキA112アバルトは、我が国では本格的な“ボーイズレーサー”として極めて高い人気を獲得。1985年まで生産が継続されるロングセラーとなったのである。

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同じ“ダンテ・ジアコーザ式”システムを持つ、フィアット127のパイロット版としてデビュー。フィアットの同級モデルよりも幾分豪華な仕立てとされ、趣味の良い小型車と評価された。写真は1977年から生産された第4世代のもの。