万年筆の選び方

さて、今回で3回目となる万年筆の特集。
最終回となる本編では、万年筆を選択する基準を考えてみたい。
前回、そして前々回に引き続き、今回もフルハルターの森山信彦氏に一般的なセオリーを伺った。
これを一助に、最良の万年筆選びをされてはいかがだろうか。

 話の腰を折るようで申し訳ないが、まず始めに断っておきたいのは、これはあくまで一般的な傾向であるということ。カタチが好みであるとか、特別に心に決めた1本がある場合は別として、万年筆選びはそう簡単なものではない。最良の伴侶を追い求めるのであれば、なにはともあれ実際に実物を手にして、それが自分の手に馴染むか否か、それだけは絶対に確認して欲しい。ペンの長さ、太さ、重心の位置、全体の重さ、そのどれもが書き心地、そして使い心地に大きく影響する。それゆえ、ここではオーソドックスなモデルと、その傾向をお伝えする。これを参考に、最終的には自分で確認して、そしてさらには森山氏の助言の元に自分なりの万年筆を決めて頂きたい。

 まずは、自分の万年筆の用途をしっかりと考える事から始めよう。それが、手帳用なのか、ノートに考えやアイディアを纏めるためのモノなのか、それとも手紙を書いたり、日々の日記に活用するものなのか。手帳用として用いるならば、小柄なボディでペン先は細めの方が適しているだろうし、紙面の大きなノート用で文字も大きく書けるのであれば、太めのボディをゆったりと握って太いペン先で滑らかに文字を書く方がいいだろう。小さな文字を書く場合には、どうしてもペン先は細くなくてはならない。ペン先が細いと紙の繊維にニブポイントが引っかかり、ガリガリとした書き味になりやすい。逆に、制限がないならば太めのペン先を選択して、スムーズに筆記した方が心地よい書き味を楽しめるばかりでなく、思考を妨げる事無く自然にスラスラと文字が紙面に溢れていくことだろう。

イタリアの老舗名門ブランドであるアウロラの万年筆。写真のモデルは残念ながら生産終了品だが、現在でも多彩なラインナップを誇る。ペン自体が軽く、扱いやすいのが特徴。ただ、モデルが違っても重量や重心の位置にあまり変化が見られない。

 とは言うものの、実際に万年筆を使用するところを想像した場合、多くの人にとってそれは限定されたあるひとつの用途に限ったものではないはずだ。普段は無意識に使っている筆記用具だが、誰しもがその折々でボールペンやサインペン、マーカーやマジックなど、様々なペンの中から最適な道具を適宜使い分けているはずだ。ゆえに、万年筆を使い始めるにしても、その用途を絞り込んで限定することはなかなか難しい。そこで、多種多様な万年筆の中から、消去法によって自分に合った1本を見つけてはいかがだろうか。

 例えば、松井秀喜やイチローといった超一流の野球選手であっても、常にバットの仕様を変更し続けている。それは、体のコンディションの変化や、自分のバッティングスキルの進歩によるものなのだろうが、万年筆においてもまったく同じ事が言える。万年筆は使い続けていく内に、自分の書き癖に合った形状へとペンポイントがすり減っていき、極上の書き心地を楽しめるように成長していく。また、同時にペンを使う側もその扱いが上手くなるにつれ、筆記する際の余計な力が抜けてごく自然にリラックスして文字が書けるようになる。この無駄な力が抜けた状態こそ理想のスタイルであり、不要な力が抜ける事で疲労は最小限に抑えられ、かつペン自体が意思を持って文字を書いているかの様に万年筆が軽やかに紙の上を走るようになる。ここまで万年筆の扱いが上手くなれば、ペン先が太く、大きなボディのペンでも完全に使いこなす事ができるようになる。逆に、万年筆の扱いが上達した事によって、筆記スタイルが矯正され、場合によっては今までとは違う調整が施されたペンの方が使いやすくなったりもする。用途によってもそうだが、使い手のスキルによっても万年筆選びは変わってくるのである。それは、プロのスポーツ選手が道具を変え続けていくのと同じなのだ。

 では、一般論として、初心者向けのペンを考えてみよう。ここでは、様々なブランドの中からペリカンを例に挙げてみたい。というのも、小さなボディの万年筆から、大ぶりなものまでスキの無いラインナップを誇り、その品質は文句なく高く、フルハルターでも販売の主力となるだけのユーザーからの圧倒的な支持を得ているためだ。特別生産品や、凝った装飾があしらわれたモノ、派生モデルを除いたいわゆるベーシックなラインナップだけでも、もっとも小ぶりなM300から、最上級モデルとなるM1000までと、計5モデルが揃っている。ブランドによっては、多数のモデルを扱いながらも、実はそれぞれのペンの重さや重心位置などにあまり変化が無い場合もあるが、ペリカンの万年筆はそれぞれに異なるキャラクター付けがなされており、より多くの人の手に合うようなラインナップ構成としているのが特徴だ。

ペリカン・スーベレーンM300。ペリカンのラインナップでもっとも小柄なペン。ペン先は14金製で、かなり柔らかい。ボディの太さも細いため、必然的に力が加わりやすい。柔らかいニブに力をかけてしまうと文字は当然太くなる。小柄で手帳向きでありそうだが、細かい文字を書くには慣れが必要。

ペリカン・スーベレーンM400。定番的人気を誇るペン。軽く、クセの無いディメンションで万人向けであり、様々な用途に対応できる点も特徴。長文筆記にも適しており、細字を組み合わせるのにも、適度な大きさのペンである。

ペリカン・スーベレーンM600。M400とM800の人気の陰に隠れがちだが、実は双方の良いとこ取りをしたモデルだと言え、多くの人と用途にフィットする可能性を秘めている。M400では小さいがM800では大きい、そんな印象をもたれたならM600を試して欲しい。

ペリカン・スーベレーンM800。ペリカンの万年筆といえばコレ、そう言える程のド定番モデル。太く、長いボディは、握った瞬間に頼もしさや、安心感を感じさせる。ただ、重心の位置が後ろ寄りなので、理想的な握り方はペンの相当後ろ寄りを握る事になる。慣れるにはそれなりの時間が必要かも知れない。

ペリカンのラインナップにおける頂点が、このスーベレーンM1000。ボディはかなり大きく、重心もそれなりに後ろ寄り。筆を扱うような書き方で使うのが理想。ペン先は、現代の万年筆にあって、異端とも言える程にソフト。柔らかいニブは、使いこなせればかなりの快感をもたらし、世界中に熱狂的なファンを持つ。

 では、具体的にご紹介しよう。まず、もっとも小さく手帳のペンホルダーにもスッポリと収まってしまうM300、そして多くのファンを持つ一般的なサイズ感のM400、クルマで言えばミドルクラスとも言えるM600、ペリカン万年筆の定番的存在のM800、かなり大きめのサイズで上級者向けとも言えるM1000といった具合に様々なニーズに応えうるラインナップを誇る。この中で、最初の1本を選ぶとなるとM400かM800がまず妥当だろう。

 その理由は、M300は大人の手にはやや小さすぎるため、長文を書くにはそもそも不向きであるし、小さいがゆえに筆記の際に必要以上に力が入りやすい。万年筆はペン自体の重さだけで文字が書けるので、あえて力を加えてペン先を紙面に押しつけるのはタブーだ。そこへきて、M300のペン先はかなり柔らかいセッティングなので、ボールペンを使い慣れた筆圧の高い現代人がいきなり使うには向いていないのである。同様に、M1000も相当にペン先が柔らかい。この柔軟なフワリとした書き心地をもたらすM1000のニブが、世界中の多くの愛好家に親しまれているというのは事実だ。しかし、初心者にはペン先が柔らかすぎるのと、ボディが大きすぎるというのもまた事実である。クルマで考えてみればわかりやすいと思うが、旋回性能を向上させるためには重心を車体の中央に近づけた方が良く、ゆえにレーシングマシンやスーパースポーツカーの多くはミッドシップレイアウトを採用している。同じように、万年筆を軽快に扱うには、ペンの重心位置を握って筆記するのが正しいスタイルで、M1000ぐらい大きなボディだとペンのかなり後ろよりを握るかたちとなる。大げさな表現をするならば、それは習字で筆を握るような感覚に近いと思ってもらえば良いだろう。そんな状態では、使う用途もかなり限定される上、慣れない人には使い勝手が悪く感じられるはずだ。

 そこで、まずはM400とM800を握り比べてみて、どちらの方が自分の手にシックリと馴染むかを確認して欲しい。M800も、割合大きめのボディなので、やはりペンの後方を握ることになるが、ペン先は堅めなので初めてでも違和感は少ないと思われる。後は使っていく内に、段々と慣れてきてペンを持つ位置も自然と後方へとスライドするのが一般だ。比較的小さめの文字で、長文を書くにはM400が適当だろう。小さな文字を書くための細字ニブには、ボディが小さい方が合っているのと、書く量が多いのであればペンは軽く小ぶりの方がいい。議事録をとる様な、筆記速度が速い場合もM400が妥当と言えよう。実際に、司法試験を受けるために勉強している人達の多くもM400を選択しているのだそうだ。


ペリカン・スーベレーンM800(上)とスーベレーンM400(下)を比較してみたところ。どちらも、ペリカンのラインナップにおいて絶大な人気を誇るモデルだが、こうして並べてみるとその大きさと太さがかなり異なる事が良くわかる。M800は、重心もペンの後ろ寄りとなる。

 では、M400とM800のどちらかで迷った場合はどうすれば良いか。そういった人にはM600という選択肢がある。双方の中間と言える大きさと重さで、握った瞬間にコレだ! と確信できれば間違いない。M600を選べばいい。ド定番のM400とM800の良いとこ取りをしたモデルとも言える訳で、様々な用途に対応できる柔軟性を備えている1本だ。

 最後に、ペン先についても軽く触れておこう。特定の用途が定まっているのであれば太字や極太字でも構わないが、最初はEF(極細字)かF(細字)あたりが使いやすいだろう。太くてもM(中字)どまりに留めておくのが無難な選択だ。ボールペンやシャープペンシルに慣れた我々には、やはりペン先が太い、すなわち太い線で文字を書くことに扱い辛さを感じる場合が多い。それでもそのまま使い続けていけば次第に慣れていくのだが、なにも我慢してまで使う事も無い。それに、使い勝手が悪いモノは、大体にして自然と使わなくなってしまうものだ。それこそ、悲惨な結末としか言いようが無い。万年筆は、ペン先が太ければ太い程、滑らかに気持ち良く文字が書けるのは事実だが、逆にペン先が太い程インク切れを起こしやすい。筆記スタイルの定まった上級者には太字でも問題無いが、その時々でペンの持ち方も書き方も変わってしまう慣れない人にとっては、太字のペン先は本来の実力を味わえないばかりか、インクがかすれて不快ですらある。

 そこで、最終的にはM1000の3Bを扱いこなすことを目標に、まずは使いやすい最初の1本を選ぼうではないか。くどいようだが、実際に様々なペンを手に取り、その書き味を試し、自分との相性を確かめる、それだけは絶対に怠らないで欲しい。自分に最適な万年筆を手にしたいのならば、フルハルターの門を叩けば良い。きっと、店の奥から森山氏がやってきて、万人向けに調整を施した万年筆を1本1本手渡してくれることだろう。それぞれの握り心地、ペン先を紙に当てた時の感触、自分で書いた文字の見栄えなど、直感的に感じ取れる要素は自分が思う以上に豊富なはずだ。そしたらとにかく、自分が感じ取ったこと、好み、疑問点、なんでも率直に森山氏に伝えるべきだ。情報が多ければ多い程、ニブポイントやインクフローの調整の参考になるかも知れないのだから。気構えなくとも自分の正直な想いをそのまま話してみると良い。森山氏曰く「私は、例えるならコックのようなもので、私が作った料理を美味しいと感じてくださる方もいれば、しょっぱいだとか味が薄いだとか思う方もいる。同じ料理でもその感じ方は人それぞれなんですね。だから、こちらとしてはできる限りお客様の好みに合った料理をお出ししたい。常にそう思っていますが、旨いか不味いかというのが抽象的なのと同じで、万年筆の書き味も非常にあいまいなものです。そこを理解して頂いて、リクエスト下されば努力は惜しみません。お互いが幸福感を共有するためには、コミュニケーションを通じて要望を理解することが大切なんですね」。

 アバルトのキーをひねりエンジンに火を入れた瞬間の気持ちの昂ぶり、心地よいロールを伴う鮮やかなコーナリング、トップエンドまで一気に吹け上がり痛快な刺激を与えてくれるパワーユニット、そういった五感に訴えかける快感というものは、いくらカタログを眺めようが、ショールームで実車をあちこち触ってみても理解できない。数あるクルマの中からアバルトを選択した人だけにしか分からないのだ。森山氏の創る万年筆も同様だ。サスペンションやエンジンのセッティングをチューニングするつもりで、自分の要望をオーダーすればいい。きっと、机上のアバルトとでも呼びたくなるような最上の1本を仕立ててくれるはずだ。

全3回に渡り、万年筆についてアドバイスをして頂いた森山信彦氏。モンブランで培ったノウハウをいかし、現在はひとりでも多くの人に心地よい万年筆を使ってもらえるように、万年筆専門店「フルハルター」を営む。心の中に迷いがある、自分にピッタリの万年筆と巡り会いたい、自分専用の1本を調整して作ってもらいたい、そんな方はぜひ一度来店されるといいだろう。遠方であっても、わざわざ足を運ぶだけの価値はあるはずだ。現に、全国にお客さんがいることがその証だろう。


万年筆の専門店 フルハルター
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