知られざるミクロの世界

巷では空前の文房具ブームである。
雑貨感覚の洒落たデザインの便利な小物文房具や、筆記用具、ノート、手帳などなど、ビジネスをサポートする優れたメソッドを元に開発された商品から、かわいらしさやシンプルだけれども美しさを備えた自己主張を演出できるモノまで、続々と新製品が店頭に並べられている。

特に、手帳術やノート術といった書籍は、軒並み大ヒットしており、人々がアナログのツールでいかに自己管理を行おうとしているか、また、チャレンジしながらもうまくいかなかったり、又はさらなる高効率化を求めているかが伺える。
今回は、そういったアナログツール、その中でも手書きの筆記用具として究極の存在である、万年筆をフューチャーしたい。

文房具ブームの中でも、とりわけ人気が集中しているのはペンだろう。
ペンとひと口にいっても、その種類は様々で、さらに最近ではそのバリエーションが一気に増大している。一般的なモノで言えば、ボールペン、メカニカルペンシル(シャープペンシル)、鉛筆、筆ペン、ローラーボール、ラインマーカー、万年筆、特殊な例ではあるがタブレット端末の普及に伴い液晶画面に手書きで文字や絵を書き込むためのスタイラスなどもある。

なかでも、多くの人がもっとも身近に使うペンといえば、やはりボールペンとメカニカルペンシルではないだろうか。メカニカルペンシルに関して言えば、書いたものを手軽に消すことができるので、特定の用途においてその存在意義は絶対である。同様に、ボールペンも重要書類や公的文書などでは欠くことのできない存在である。なぜならば、ボールペンのインクは油性であり、耐水性、耐久性に優れるからである。最近では、この2つのペンの良いとこ取りをしたペンが大人気だ。これは、一見ボールペンのようでありながら、特殊なインクを用いることで、熱を加えると文字が消せるというものだ。ボールペンのように扱いながらも、間違えたところはペンの後ろについた消しゴムのようなパーツでこすって文字が消せるのである。これらは、手軽さや便利に使える機能性が受けた典型と言えるもので、万年筆とは対極の存在である。

一方で、油性インクを使用しながらも、その粘度を抑えて軽く滑らかな書き味を実現しているボールペンも絶大な支持を得ている。こちらは、さらに書き味が滑らかであると謳う商品が、各メーカーから続々とリリースされており、人々がいかに書き味の良さを求めているかを象徴している。また、日本では、あまり馴染みのないローラーボールも書き味が非常に滑らかだ。欧州では、非常に人気のあるローラーボールは、インクが油性ではなく水性のため、粘度が低くスーッと軽い感触の書き味が持ち前である。要するに、書くという行為の快感を人々は既に知っているという訳だ。

ペンは用途に合わせて、様々な種類を使い分けるもの。多機能ペンや特殊な特性を備えたペンは、目的に合わせて大いに活用すべきだ。だが、書き味や筆記による疲労の低減、さらなる趣味性、書いた文字の味わいなどを求める人には、ぜひとも万年筆をおすすめしたい。

グリーンの縞模様が美しいペリカンM101Nトータスシェル。’30年代後半から’50年代にかけて製造された同社の大ヒットモデルである101Nの復刻版。特別生産品となり、フルハルターでは予約しての購入となる。現在、まだ予約が可能かどうかは要問い合わせの状態。既に入手が困難になりつつあるため、欲しい人は即決を。

万年筆は、書くという作業を快感へと変えてくれる。だが、ハッキリ言ってしまえば、万年筆は便利さとはほど遠い存在である。いちいちキャップを開け閉めしなければならないし、インクも補充が必要で、そして不安定な姿勢では書き辛いなど、ノック式のボールペンのようには扱えない。そして、繊細で脆弱な面もある。このご時世にそんな不便なモノを……、という気持ちは十分に理解できる。だが、一度知ってしまうと、他のペンでは満足できなくなってしまう魅力がそこには確かにある。高級そうで見栄えが良いだとか、ちょっと他人とは差別化が図れるだとか、そういった魅力も確かにあるが、神髄はもっと深いところにある。

ペリカンM101Nのペン先。現行のペリカンに採用されるデザインではなく、往年のモデルと同様のデザインのペン先で、素材は14金。現代のペリカンとしては柔らかめのタッチが特徴で、程よいしなりが心地よい書き心地をもたらす。ペン先の太さは、EF(極細)から、F、M、B、BB、3B(極太)という順に表す。このペン先は、BBのモノをM(中字)程度にまで研いだもの。

一度万年筆を使い込んだ人々が、その虜となってしまうのは独特の書き心地に魅了されるためだ。「ガリガリしていて、滑らかさとはほど遠い」だとか、「インクがかすれて使い物にならない」といった不評もしばしば聞かれる。ただし、それは使い手の知識不足や、たまたま相性の悪い万年筆と出会ってしまった場合が大半だと思われる。では、どうすれば最良の伴侶と出会えるのだろうか?

万年筆とは、スチールないしゴールドのペン先にイリジウムのペンポイント(紙とペン先が触れる部分)を溶接し、毛細管現象により導かれたインクをペンポイントを通じて紙の上に流すことで筆記するペンである。書き味の善し悪しは、ほぼペン先の状態で決まる。いくら高級ブランドの高価な万年筆であっても、使い手との相性いかんでは、その真価を発揮できないでいることだってままある。万年筆は、他のペンと比べ非常に高価だ。だが、間違いの無い選択をすれば、文字通り一生モノとなる。真に極上の1本と出会いたいのであれば、話は早い。万年筆専門店であるフルハルターを訪れて欲しい。

フルハルターの店主である森山信彦氏は、長年モンブラン社で顧客のペンを調整し続けてきた職人である。それも、生半可な職人ではない。その技術と優れた洞察力は世界屈指のものと言っても過言ではなく、ドイツ本国のみならず世界各国のモンブラン社員に「モリヤマ」の名は知れ渡っている。そんな氏が、モンブランを退職した後に、自身で構えたお店がフルハルターなのである。

フルハルターの店主、森山信彦氏。どういった万年筆が最適なのかを、豊富な経験を元に会話をしながら導き出してくれる。ペンの大きさや、重さ、重心の位置、ペン先の研ぎ方などを総合的に考慮してくれるので、大船に乗ったつもりで任せられる。特に、初めて万年筆を購入する人にとっては、心強い存在だ。気兼ねなく、何でも相談して一生の伴侶を手にして欲しい。

フルハルターは、率直に言うと、ものすごく変なお店だ。おおよそ世の中の販売店にける常識を逸脱している。それも、消費者にとってはものすごく有り難い意味で、である。取り扱う万年筆はすべて定価での販売となる。今や、ネットショップを巡回すれば、高級万年筆もそこそこ割安で購入することが可能だ。そういった意味では、定価での購入は一瞬躊躇してしまうかも知れない。だが、この定価での販売には、万年筆の調整代金が含まれている。氏曰く、フルハルターは万年筆屋ではなく、研ぎ屋だと語る。ここが重要なポイントだ。

ペンの持ち方、そして書き癖や、筆圧の強さなどは、各人によってまったく異なる。癖が強い人によっては、インクがかすれたり、果てはまったくインクがでなかったりもする。ペン先の傾き具合によっては、ガリガリ、ゴリゴリといった感触の書き味になったりもする。それを、それぞれの人の書き方をもとに、ペンポイントの形状を最適に調整してくれる、それがフルハルターの特徴であり、ポリシーでもある。

左:ペリカンM800のペン先。現行のペリカン万年筆のラインナップ中では、2番目に大きい(太い)ボディのM800は、握った際の安定感がありペリカンを代表するモデル。ペン先は18金で、3B(極太)を角を丸める程度に研いだモノ。別名「森山スペシャル」と呼ばれるこのペン先のもたらす書き心地は極上のひと言。この書き味は一度は経験すべき価値がある。
右:ペリカンM400のペン先。太すぎず細すぎず、定番的人気をほこるM400に組み合わされているこのペン先はBを元にEFにまで研いだもの。万年筆は、ペン先が細くなれば細くなるほど書き味がガリガリとしがちだが、丁寧に研がれたこのペン先はスムーズに紙の上を走る。

ある人にとっては極上の書き味をもたらす万年筆であっても、使い手が変わるとまったく最低な書き味だと評価されることは珍しくない。また、一般的にはインクフロー、すなわちインクの流れる量は潤沢な方が滑らかに筆記することができると言われている。だが、例えば手帳用だとか、薄い紙用に使いたい場合、ページを繰った際にインクが反対側のページにうつるのを避けたいなどといった理由で、インクフローを絞るというようなオーダーも可能である。

近年では、高級ブランドの万年筆であってもペンポイントの研ぎ作業は機械化されているモノがほとんどだ。機械加工と聞くとその精度は高そうであるが、熟練の職人による手作業には適わない。写真のペン先をご覧頂けば一目瞭然だが、機械加工されたものは、角のエッジが立っており、ペン先を紙に対して垂直に当てて筆記する分には問題無いかも知れないが、必ずしも誰もが模範的なペンの使い方をする訳では無い。つまり、ペン先の自由度、ペンの扱い方に対する許容範囲が狭いのである。これでは、扱い方によっては、インク切れを起こしたり、角が紙の繊維に引っかかりガリガリ、ザラザラした感触をもたらしかねないのである。

それに対し、フルハルターの森山氏により研がれたペン先は、角が丸められスムーズにペン先が紙の上を走る様が容易に想像できる。しかも、単に角を丸めているだけではなく、使う人の癖に合わせて形状が調整されている。万年筆を購入して手にした瞬間から、自分の手、指の一部のように使いこなすことが可能なのである。さらに、このペンポイントは、太字用の大きなイリジウムを削りだしてオーダーした太さまで加工したものだ。それゆえ、ペンポイントの長さが非常に長く、ペン先と紙との角度の許容範囲は更に大きい。筆記時にペン先の位置がしっかりと定まっている人は希で、相当量の文字を日常的に書く人でもない限りペンの扱い方はその時々で変わるものである。それゆえ、インク切れを起こさない許容度の大きい柔軟なペン先が重要となってくるのだ。

ペリカンの3Bペン先をアップにしたもの。左が工場出荷時の状態で、右はそれを研ぎ出した「森山スペシャル」。一見しただけで滑らかな書き心地が容易にご想像頂けるだろう。エッジが落とされ、毛羽だった紙の繊維に引っかからずにスーッとペン先が紙の上を移動する。しかも、書き手の癖に合わせて調整が施されるので、誰もが極上の気持ちよさを堪能できる。

そして、ペン先に溶接されたイリジウムは、使い続けていく内に日々進化していく。というのも、紙とこすれることで徐々にペンポイントがすり減って書き味の滑らかさが増していくのだ。そうやって万年筆は、持ち主の書き方に最適な状態へと育ち、どんどんと書きやすくなっていく。これこそが万年筆の最大の魅力であり、他の筆記具とはまったく異なる点なのである。つまり、万年筆はある程度使い込まなければその真価を発揮しない筆記具であり、使い使われることで互いに歩み寄り調和していき、まるで体の一部のように扱えるようになるのである。そして、使い始める以前にしっかりと調整されたペンであれば、ペン先が馴染むことによってなお一層のこと書き心地はシットリと芳醇な味わいを醸すようになるのだ。

フルハルターの森山氏は、万年筆の書き味を料理に例える。「ある人がものすごく旨いと感じた料理でも、別の人にはしょっぱく感じたり、味が薄く思う人もいる。味付けは人の好みで変わる、万年筆もそれと一緒ですよ。自分がすごく書き味が良いと思ったペンでも、他人はそうは思わない。人それぞれの好みや、用途で変わってくる。今まで、数多くの人達と出会い、沢山の万年筆を調整してきたけど、今でもお客様に万年筆をお渡しする瞬間っていうのは不安なものなんですね。これで満足して頂けるのかなってね。」この道38年、ベテランの言葉には重みがある。同時に、万年筆とそれを使う人への愛情に満ちている。様々な想いの込められた筆記具で、使い続けることで自分色に染まっていく過程を楽しみながら、「書く」という所作を堪能する。

所有する喜び、ペン先を走らせる快感、それは「サソリ」のバッチを纏ったイタリアンスポーツとも相通ずる官能の世界を巡る旅路である。芥川賞作家である開高健は、自身の万年筆を指の一部だと表現した。その境地へ向けて旅立ってみてはいかがだろうか。心配は不要だ、フルハルターという心強いアテンダントがいるのだから。


万年筆の専門店 フルハルター
〒140-0011 東京都品川区東大井5-26-20-102
Tel.03-3471-7378