LANCIA DELTA HF 4WD|アバルトの歴史を刻んだモデル No.026

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1986 LANCIA DELTA HF 4WD
ランチア・デルタHF 4WD

ワールドチャンピオンをイタリアに奪還

1971年にフィアット傘下に収まったアバルトは、その後グループ内の高性能マシンや、レースマシンの開発に参画した。1980年代に入るとアバルトの精鋭たちは、世界ラリー選手権(WRC)グループBに参戦していたランチアのレーシングマシン開発を中心に取り組むことになる。アバルトならではといえる先進的なメカニズムとパフォーマンスを備えた「ランチア・ラリー」(アバルト開発コードナンバー:SE037)や、究極のグループBマシンといわれる「ランチア・デルタS4」(アバルト開発コードナンバー:SE038)を送り出し、1983年にはWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンを勝ち取っている。

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デルタHF 4WDのリアビュー。外観はおとなしいが、内に高いパフォーマンスを秘め、自動車ファンから高い人気を誇った。

その後、改造の自由度が高いグループBマシンは高性能化が進み過ぎたことからレース中にアクシデントが続発し、主催団体のFIAは1987年からWRCを市販車に近い(=改造範囲の狭い)グループAマシンで開催することを決定する。各メーカーはそれまでのグループBマシンでは参戦できなくなるため、急遽グループAマシンの開発を迫られることになった。こうした中で1986年シーズンを終える前にいち早く発表されたのが「ランチア・デルタHF 4WD」。アバルトの名前やエンブレムはどこにも見当たらないが、開発コードナンバー:SE043が与えられた、れっきとしたアバルトの作品である。

グループA 規定では5000台以上の義務生産台数が課されたため、メーカーは認定を得るために競技ベース車両を相応の販売が見込める現実的なロードカーとして仕上げる必要があった。
アバルトの動きは早かった。ベース車両には、ランチアのカタログモデルからコンパクトな5ドアハッチバックの「デルタ」を選択。1979年にフォルクスワーゲン・ゴルフに対抗するモデルとして誕生したデルタは、SOHC1.3リッターおよび1.5リッターエンジンを搭載するファミリーカーだったが、アバルトはこれをベースに’60年代と変わらぬ勝利の方程式でマシン開発を進めた。

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グループA仕様のデルタHF 4WDの透視イラスト。仔細に見ると大型化されたインタークーラーや強化されたブレーキなどが見て取れる。

エンジンは、131アバルト・ラリーやランチア・ラリーで実績のあるDOHC直列4気筒2リッターユニットにギャレット製T3ターボチャージャーを組み合わせ、ロードバージョンで165HP、グループAのレース仕様では260HPを発生した。現在のアバルト595コンペティツィオーネは1.4リッターターボから180psをマークするが、30年前は165HPでも垂涎のハイパワーだったのである。

ドライブトレーンはWRCマシンにとってグラベルやアイスバーンのみならず、ターマック(舗装路面)でも確実にパワーを伝える4輪駆動システムを採用し、センターデフにはビスカス・カップリングを用いた。このアバルトによるパッケージングは、このあと登場する各メーカーのグループA車両のスタンダードとなる完成度の高いものだった。

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ヘッドライトは変形角2灯式だったものが性能に優れる丸型4灯式に改められた。またスカート内にドライビングランプが追加され精悍な顔立ちとなった。

サスペンションは規定により基本構成を変更できないため、アバルトの開発チームは限られた改造範囲の中でグループA仕様のパワーに見合った構成を煮詰め、入念なチューニングを施した。

こうしてランチア(アバルト)は1986年、デルタHF 4WDを世に送り出した。外観はデルタのベースモデルに比べ、角形ヘッドライトが丸4灯式に変更された程度で、タイヤ/ホイールも14インチ径のままとグループAベース車両とは思えぬおとなしい姿だった。インテリアも大きな変更はなかったが、アルカンターラの表皮で仕上げられたレカロ製のスポーツシートは高性能感を伝え、アバルトタイプのステアリングホイールがサソリの血筋を受け継ぐクルマであることを誇示していた。FIAへの申請もすぐさま行い、デルタHF 4WDは公認番号A 5324を得て、1987年1月1日から参戦が認められた。

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真横から見ると姉妹車のHFターボ(1.6リッターターボでFWD)との差異はわずか。スカートのHF4WDバッジとボディサイドのピンストライプで識別できる程度だ。

こうして誕生したデルタHF 4WDのロードカーは、その後登場するデルタ・インテグラーレに比べると素っ気なく感じられるが、当時は公道でドライビングを楽しめるモデルとして大いに注目される存在となった。デルタHF 4WDは卓越したパフォーマンスを備えるとともに、コンパクトなボディサイズとコントロールしやすい足回りにより、アバルトの仕事が間違っていないことを証明した。それまでに存在しなかったファン・トゥ・ドライブなクルマは、世界中のエンスージアストから高い支持を集めることになった。

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インテリアのデザインはHFターボと共通。ステアリングホイールはいわゆる“アバルトタイプ”で、このクルマの作り手を静かに主張した。

デルタHF 4WDにとって命題であるWRC/ラリーの参戦は着々と準備が進められていた。それまでと同様にマルティニのスポンサードを受け、ワークス・デルタHF 4WDにはおなじみのマルティニ・カラーで彩られ、マルティニ・ストライプは前任のデルタS4のデザインを受け継ぐものだった。

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当初発表されたグループA仕様のデルタHF 4WD。基本的なスタイリングは変わらないが中身はまったくの別物だった。

1987年シーズンの開幕戦となるモンテカルロ・ラリーには3台のワークスマシンを持ち込み、ミキ・ビアジオン/ティツィアーノ・シヴィエロ組がデビューウインを飾り、ユハ・カンクネン/ユハ・ピロネンが2位を獲得。デビュー戦で1-2フィニッシュを果たした。このほかより改造範囲が狭いグループNクラスにも大勢のプライベーターがエントリーし、ベルトラン・バレス/エリック・レーネ組がクラス優勝を果たすとともに総合でも9位に入る活躍を見せた。

デルタHF 4WDはその後も勝利を積み重ね、シリーズ全13戦中9勝を勝ち取り、1-2-3フィニッシュを1回、1-2フィニッシュを4回マークする圧倒的な強さを見せ、1987年にWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンを獲得。1983年以来となる栄光をイタリアに持ち帰ることに成功した。ドライバーズ・チャンピオンはユハ・カンクネンが獲得し、2位にミキ・ビアジオン、3位はマルク・アレンとランチア勢が上位を独占する完璧な勝利をものにした。

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デルタHF 4WDは開幕戦のモンテカルロ・ラリーでデビューウインを果たし、1987年シーズンは13戦中9勝を勝ち取り、ダブルタイトルを獲得した。

さらにアバルトのエンジニアたちはこの成績に満足することなく、1戦ごとに様々な改良を施して戦闘力を高めていった。こうしてランチア・デルタHF 4WDは、アバルトから受け継ぐテクノロジーにより、前人未到となる6年連続WRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンの序章を刻んだのである。

1986 LANCIA DELTA HF 4WD(ROADCAR)

全長:3895mm
全幅:1620mm
全高:1380mm
ホイールベース:2475mm
車両重量:1190kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC+ターボチャージャー
総排気量:1995cc
最高出力:165ps/5250rpm
変速機:5段MT
タイヤ:185/60R14
最高速度:208km/h