FIAT PUNTO ABARTH S1600|アバルトの歴史を刻んだモデル No.023

171025_Abarth_01

2000 FIAT PUNTO ABARTH S1600
フィアット・プント・アバルトS1600

フィアット傘下入り後にアバルトの強さを発揮したラリーカー

1949年の創業以来、モータースポーツで数々の栄光を手にしてきたアバルトは、1971年にフィアット・グループの傘下に入ってからもラリーカーを中心とした競技用マシンや高性能市販モデルの開発を受け持った。たとえば名車フィアット・アバルト124ラリーもこの時に登場している。1979年にフィアットの組織変更が行われ、アバルトはフィアット・アウト・コルセと名を変えることになったが、実質的にはアバルト時代と何ら変わらず、スタッフもアバルト時代からの熟練が数多く開発に携わった。この時代は本シリーズでも紹介しているフィアット・アバルト131ラリーランチア・ラリーランチア・デルタS4、6年連続でWRCマニュファクチャラーズ・チャンピオンを獲得したデルタHF 4WD(のちにHFインテグラーレに進化)といった傑作マシンを送り出している。その後もアバルトはフィアット・グループ内のレース/ラリー用モデルの開発を担当しており、アバルトの名が表に出ることはなかったものの、血筋が絶えることはなかった。

171025_Abarth_02
フィアット・プント・アバルト登場時にフィアットから発表されたオフィシャルフォト。当初アバルトの名は付けられていなかったが、アバルトチームが手がけた製作経緯を踏まえ後にアバルトの名が加えられることになった。

世界ラリー選手権の中に28歳未満の若手ドライバーを対象とするFIAジュニアWRC(ジュニア世界ラリー選手権)というクラスがあるが、若手ドライバーの育成に力を入れてきたフィアットはこのレースへの参戦車両を手掛けることを決めた。使用されるマシンは1600ccまでの自然吸気エンジンを搭載する前輪駆動車の量産車に限られ、スーパー1600(S1600)と呼ばれた。S1600マシンの車両最低重量は950kgでエンジンは60mmの吸気リストリクターの装着が条件とされるほか、最高出力発生回転数は9000rpm以下と定められるなど、戦闘力のイコール化が図られた。またプライベートドライバーが競うクラスのため、ワークスチームの参加は認められていなかった。

171025_Abarth_03
ナイト・セクションに備えて4連のライトポッドが備わる。昼間は取り外して走行する。

フィアットはこのレースへの出場のために量産モデルのプントをベースに車両を製作した。実際の開発はキバッソのアバルトの血筋を受け継ぐフィアットのエンジニアが行い、フィアット・グループ内でモータースポーツのプロモーションおよびマネージメントを担当するNテクノロジーが製作を担当した。

171025_Abarth_04
1.8リッター DOHCのプントHGT用をベースに排気量を1579ccまでスケールダウンしたエンジンは、アバルトの高度なチューニングにより215bhpを発揮した。

エンジンはプントHGT用の1.8リッターDOHCユニットをベースとし、車両規定に合わせて特製のショートストロークのクランクシャフトや新開発のレーシングピストンとコンロッドを組み込むことにより排気量を1579ccにスケールダウン。排気量を縮小したにも関わらず、高度なチューニングにより215bhpの最高出力を発揮した。フューエル・インジェクションと点火システムは、フェラーリのF1マシンにも使われているマニェッティ・マレリ製を採用した。

171025_Abarth_05
キャビン内のクーリングのためルーフにはインテークダクトが新設されている。ラリーカーに欠かない装備のひとつだ。

ボディは基本的にフィアット・プントHGTのものを使用するが、トレッドが122mm拡大されたためフェンダー形状を変更したワイドボディにモディファイされている。フロントにエアダムが追加されるとともに、軽量化のためエンジンフードやドアの材質を改め、ルーフ後端にはカーボンコンポジット製のウイングを追加し戦闘的なアピアランスを手にした。

171025_Abarth_06
リヤにはカーボン・ファイバー製のウイングが取付けられている。もちろん角度は調整可能で、小さいながら高速セクションで大きなダウンフォースを得ることができた。

サスペンションは車両規定によりオリジナルのマクファーソン・ストラット形式を保つものの、許された範囲の中で徹底的に手が加えられ、ワイド化されたボディに合わせて再構築された。ストローク量が増大されたライトアロイ製の軽量なストラットに収まるビルシュタイン製のデュアル・セッティング・ダンパーを採用し、ターマックとグラベルでのハンドリング性能を向上させている。リヤはオリジナルのトーションビーム式が踏襲されたが、スプリングを始めとするセッティングはまったくの別物だった。

171025_Abarth_07
張り巡らされたロールケージに加えシーケンシャル・シフトのシフトレバーと実戦的なハンドブレーキにより、コックピットはまったく別物に仕立てられている。

こうして誕生したプント・アバルトS1600は2000年シーズンのカタルニア・ラリーから参戦し、初戦はメカニカル・トラブルでリタイヤに終わったものの、同年のサンレモ・ラリーでS1600クラス初優勝を勝ち取った。プント・アバルトS1600はジュニア世界ラリー選手権のほか、FIAヨーロッパ・ラリー選手権、イタリア・ラリー選手権でも活躍を始めた。

プント・アバルトS1600の残した主な戦歴
●2002年イタリア・ラリー選手権:スーパー1600と2WD車クラス優勝、
●2003年イタリア・ラリー選手権:マニュファクチャラーズ/ドライバー総合優勝、
スーパー1600と25才以下クラスの勝利
●2004年イタリア・ラリー選手権:スーパー1600優勝

ここで紹介しているプント・アバルトは、イタリアの有力プライベート・チームであるグリフォーネから参戦し数多くの勝利を勝ち取ったマシンで、当時グリフォーネの日本における窓口を担当していたチンクエチェント博物館が輸入したもの。アバルトのコンペティションカーらしく精緻な作り込みが施され、実戦向けの設計のなかにも機能だけではなくアバルトらしい美意識が見て取れる。

171025_Abarth_08
張り巡らされたロールケージやカーボン製のヘルメット・ホルダー、ワンタッチで取り出せるスペアタイヤと工具類が、ラリーカーであることを端的に示している。

このプント・アバルトはイタリア人ドライバーのルカ・ペデルソーリがドライブし、2000年のWRCサンレモ・ラリーでクラス優勝を果たし、続くツールド・コルスはアクシデントでリタイヤに終わるが、ERCのタルガ・フローリオ・ラリーでクラス優勝を勝ち取っている。2001年にはERCのラリー・デル・アドリアティーコでのクラス優勝を皮切りに常に上位に食い込む活躍を見せた。2002年シーズンからS1600仕様にモディファイされ、引き続きルカ・ペデルソーリがドライブした。

171025_Abarth_09
まとまりのあるデザインとカラーリングから分かり辛いが、太いタイヤを収めるためにフェンダーはワイド化され、車体幅はノーマル・プントに比べ128mm拡大している。

アバルトが姿を潜めていた時代に、本領を発揮して製作されたプント・アバルトS1600。そこには、かつてのアバルトの情熱を知る者たちのこだわりが込められおり、サソリの存在を強くアピールしていた。こうしてアバルト
のスピリットは脈々と受け継がれ、2007年にアバルトは再びフィアット・グループ内の独立したブランドとして復活することになった。

2000 FIAT PUNTO ABARTH S1600

全長:3800mm
全幅:1788mm
全高:1480mm
ホイールベース:2460mm
車両重量:950kg
エンジン形式:水冷直列4気筒DOHC
総排気量:1579cc
最高出力:215bhp/9000rpm
変速機:6段マニュアル
ホイール:7J×17(ターマック)、6J×15(グラベル)